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「回復」の再定義

「病気から回復する」というのはどういう事なのだろうか?

おそらく、自分自身を苦しめ宇症状を取り除くことを回復の定義としている事がほとんどである。

僕がコロナウイルスに感染し、自宅療養をしている時の「回復」もまさに、症状からの回復を指していた。

身体的な病気の場合はそれでいいかもしれない。

しかし、精神疾患の場合はどうだろうか?

1980年頃から精神疾患がより科学的に扱われるようになり、DSMやICDなどのマニュアルによって、より症状にフォーカスがあてられるようになり、多くの治療が症状の改善を治療のゴールとしている。

しかし、本当にそれでいいのだろうか?

例えば、統合失調症という病気の原因はいまだに分かっていない。

仮説は沢山あるが、まだこれといってはっきりとしていない。

しかし、DSM-5には診断の基準が記されている。

つまり、統合失調症だと診断される人はほぼほぼ症状しか見られていない事になる。

しかし、1800年代、エミール・クレペリンは「統合失調症(dementia praecox)」は脳の病気であり、完治は不可能だと、かなり消極的な考え方をしていた。

その後、オイゲン・ブロイラー (Eugen Bleuler) によって「dementia praecox」から「schizophrenia」という名前に徐々に変わっていき、統合失調症は克服できるという考え方が主流になっていった。

しかし、この時点での回復はあくまで症状からの解放である。

統合失調症の症状は様々で、主に幻聴や幻覚、妄想、まとまりのない思考・会話などの陽性症状と、意欲低下や感情鈍麻などの陰性症状の二つからなる。

これらの症状は投薬や心理療法によって取り除くことが可能である。

しかし、これでは彼らの主観的な体験や彼らの中にある絶望、欲求、苦しみは完全に無視されている事になる。

これは統合失調症に限ったことではない。

例えば、抗うつ剤治療によって症状を軽減しても、うつ病の苦しみから解放されたように感じないのは症状からの開放が本当の回復ではないという事の表れである。

では、どうすれば回復だと言えるのだろうか?

それもまた様々な定義が存在する。一般的に言われているのは、症状の除去と社会的機能の回復である。

社会的機能の回復とは、社会や仕事、人間関係、家族内の関係において一般的なレベルで機能するようになるという事をいう。

むしろ最近はそちらの方が重要視されている。

実際、精神疾患の症状と共に暮らしている人もたくさんいる。必ずしも彼らが社会的に機能していないかというと決してそうではない。

そんな彼らは「回復」していないと言えるだろうか?

非常に難しい問題である。

僕は絶対的な定義を定めるのは不可能だと思う。

精神疾患が主観的な体験であり、その原因も苦しみも主観的なものである以上、回復の定義も主観的なものでなければならない。

つまり、普遍的な定義ではなく、その人その人が求める「回復」を追求する事がセラピーの役割であると考えている。

「回復」の再定義。


最後まで読んで頂きありがとうございました。


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