行動療法で行う事
心理療法の一つに行動療法というものがある。
John B WatsonやB F Skinnerなどが確立した行動主義の考え方を元にした療法で、主にうつ病や不安障害、恐怖症の治療に用いられる。
その中でも恐怖症の治療に用いられる事が多く、その療法を「曝露療法」という。
聞いた事がある人も多いと思うが、根本的な考え方は、恐怖を感じている状況や経験にあえて身を投じるという事を繰り返す事で恐怖を克服するという治療法である。
これだけ聞くとかなりの荒治療に聞こえるかもしれないが、もちろん段階を踏み一つずつ恐怖をクリアしながら完治を目指すものである。
例えば、閉所恐怖症でエレベーターに乗れない人にいきなり一人で乗ってみろとは言わない。
まず、エレベーターに関する事で怖くない事と怖い事の境界を探す。
例えば、エレベーターを動画で見るのは大丈夫だが、直接見るのは怖くて出来ない人がいたとする。
その場合、例えば、実際エレベーターの前に行きカメラ越しで見る所から始める。
そして、カメラ越しで見れるようになったら直視してみる。
そして、少しずつエレベーターに近づいていく。
という風に「エレベーターに1人で乗る」というゴールまでのステップを出来るだけ細かく分け、一つずつクリアしていくのが暴露療法である。
では、細かくステップ分けをして、どうなったら次のステップへと進めるのか?
それは、そのステップが退屈になったらである。
例えば、エレベーターをカメラ越しで見ていても何も起きない。
そうすると人は退屈になってくる。
この退屈になるというのが暴露療法においては非常に大切である。
恐怖と退屈は対極にある。
恐怖を感じている時は、体が危険を感じ目の前の事に細心の注意を払って構えている状態である。
のに対して、人は退屈になるとその事に注意を向けなくなる。注目して見なくなる。
つまり、それは恐怖ではないという事である。
なので、暴露療法において退屈が大切なのだ。
そして、次は直接エレベーターを見る。しかし、何も起きない、そして退屈になる。
このプロセスを繰り返していくのだ。
細かいステップを、そのステップが退屈になるまで続けるのだ。
そして、最終的にエレベーターに乗るという体験が、人生の一大事のように感じるんではなく、何気ない日常の一部になっていくのだ。
しかし、誤解してはいけないのは、これは決してその恐怖に慣れたわけじゃない。
「あ、何も怖くないわ、余裕やわ」と思い込むことは逆に危険だろう。
そうではなくて、恐怖に対して新たな気づきを得て強くなったのだ。
「あ、自分が恐れていた事って起きないんだな、じゃあ乗ってみよう」という風に、恐怖に対して強くなり勇気を出してその恐怖に身を投じる事ができるようになるのが暴露療法の目的であり、行動療法の意味である。
過去にも書いたが、必要なのは安全ではなく恐怖であり、恐怖がなくなったと思い込んではいけない。正しくは恐怖に強くなったのだ。
行動療法で行う事。
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