平成転向論 小峰ひずみ
いいこと書かなあかんプレッシャーを勝手にかけて、全然書けなかった。
でも、今しか書けないことがある。
平成転向論(小峰ひずみ、2022)
出版されてすぐ借りて読み、また今年に入って必要な気がして購入した本。
「転向」という言葉について、簡単に。
平成転向論が取り上げているのは、SEALDsの転向だ。
SEALDsが活動していた時、ちょうど僕も大学生だった。でも、今以上に社会の問題への関心はなく、自分の学生生活(部活やバイト、勉強)で頭がいっぱいだったと思う。
どこかでデモやイベントとすれ違っていたはずなのに、見た記憶も友だちと話した記憶も残っていない。
政治とか学生運動とか、きっと大切なことを言ってるんだろうけど、何となく距離を置きたい気持ち。
だから、SEALDsの話は近くて遠い。
それなのにこの本を読んで、感想まで書くのは、「政治的活動をしたい!関心を持とう!」という宣伝をしたいから…ではない。もちろんあるにはあるけどね。
この本について書く理由に入る前に、本の紹介をしよう。
SEALDsの転向
勢力的に活動し、賛同者も多数いたSEALDsは解散した。学生たちは政治的な活動を辞めて(つまり転向して)、ふつうに就職して生活をしているらしい。
彼らはなぜ「転向」したのか?
その「転向」にはどんな背景があったのか?
「転向」しないで活動するとはどういうことか?
そんなことが本には書いてあった。
正直に言えば、学生運動・政治的活動にそこまで興味はない。街頭演説やビラ配りをする活動家の横を冷たく通り過ぎる群衆の1人だ。
本来の「転向」は、学生運動、特に政治的な活動を辞めて、言ってしまえば普通の社会に戻ることを指している。
その意味での「転向」は僕に当てはまらない。
それでも、この平成転向論には、僕のことが書いてあった。
自分の転向
先日、学生の時から続けてきた、障害者運動に基づく活動を辞めた。外から見たらただの転職だけど、僕にとってはそれ以上の意味があった。
「何もできない障害者とその介護をする者」という社会のまなざしと戦うために、僕は活動を続け、そして辞めた。
SEALDsと状況も活動内容も違う。でも、不思議と似たところを感じる。それはもしかしたら、同じ時代の空気を吸っているからかもしれない。とにかく、どうしても他人には思えなかった。
これからの自分は(筆者の描く)SEALDsのその後になるのだろうか。それは僕にとって一番身近で、あり得る未来だ。
でも、未来はそれだけじゃない。
筆者の用意した、SEALDsのアナザーストーリーは鷲田清一と谷川雁という人物だった。
2人は一見、転向したようにも見えた。
しかし、実際に彼らの言葉を紐解くと、非転向者のあり方が見えてくるのだった。
僕の非転向論
非転向者として生きる未来が自分にもあるのだろうか。
形式的には転向した新しい生活の中でも考えてきた。これからも生活は続く。でも、非転向のイメージが少しずつ描けてきたように思う。
自分は何がしたいのか、何ができるのか。
ずっと考えてきたし、これからも考え続けたい。
これから僕の非転向論は始まる。
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