学術書を読む 鈴木哲也
学術書を読むのは大変だ。
知識がないと、まず本を選ぶのが難しい。
いきなり有名な古典とか、最先端の知見が載った分厚い本を手にとっても、数ページ読んだらきっと夢の中。
でも「分かりやすすぎる」本も不安になる。
ちょっとスマホで検索すれば、何でもすぐ分かる時代。簡単に分かりやすく説明してくれるブログや動画はいくらでもある。
でも、飲むだけで痩せるサプリがないのと同じで、読めばすべてが分かる本なんてない。
分かりやすすぎる文章は、きっと自分に都合のいい話で、実は何の新しさも与えてくれない。
「分かりやすさ」を重視し、「分かりにくさ」への風当たりが強くなってきている。
これは、みんなの「分からなさ」耐性が弱まっているからだと思う。
だから、これさえ押さえれば大丈夫!と宣伝する。「分からなさ」をできるだけ遠ざけた情報、「分かりやすさ」を売りにした文章が増える。
小難しい本を読まなくても、ダイジェスト版を押さえておけば大丈夫。検索すれば分かるから大丈夫。そうやって、仮の安心感を穴の開いた風船に吹きこむ。
また、効率よく本を読む方法、早く量を読みこなすメソッドを紹介する本も多い。紹介されたメソッドを使って、それらの本を読んだら何が残るのだろうか。
早くたくさん読むことが良い。この意識も「分からなさ」を味わう余裕がこの世の中になくなってきたからかもしれない。
学術書を読むこと。
それは「分からなさ」を味わうところから始まる。