相対的平等

フェミニスト

日本語では『女性の権利擁護者』と訳されることが多いと思います。
この訳には、違和感を覚えます。しかし、女性の権利について考えることは良いことだと思います。

女性の権利について考えること、
それは、男性と女性の違いを考えることだと思います。
男性と女性の違いを知るには、女性は男性のことを、男性は女性のことを知らないといけません。

つまり、女性の権利について考えるということは、男性の権利について考えることでもあるのです。

女性の権利・男性の権利というと少し範囲が広いかもしれませんね。
同じ女性でも、年齢によって違いますし、障がいの有無、子どもの有無によっても違います。これは、男性にもいえることです。

人は、様々な事情を抱えて生きています。
私の当たり前があなたの当たり前でないように、あなたの当たり前が私の当たり前ではありません。

だからこそ、権利を考えることは、とても難しいことだと思います。
憲法で様々な権利が保障されています。しかし、これらの中には公共の福祉によって制限されるものもあります。

世の中は、絶対的平等ではなく相対的平等です。

未成年の飲酒・喫煙が法律で禁止されているのには理由があります。身体の発育に影響を与えるからです。
このように正当な理由で、権利が保障されないこともあります。

そして権利を主張するということは、義務を果たすということでもあります。義務を果たしていないのに、自分の権利だけを声高に主張することは違うと思います。

権利を考える際には、
ジェンダー、ジェネレーションの垣根を無理に越えず、それらを議論の基礎として考えることが大事なのではないでしょうか。
男性と女性はからだのつくりが違います。年齢が異なれば、体力も能力も異なります。
それらを前提として、各々の実力が発揮できる社会を目指すべきだと思います。

「私は、これが得意です。これが苦手です。」
「私は、これが得意なので、手伝います。」

苦手なことを苦手なままにしておいていいというわけではありません。
出来るようになるための努力は必要だと思います。
でも、お互いの得意分野でそれぞれ力を貸す。それだけでも違うのではないでしょうか。

多様性が叫ばれるようになってから、自分と異なる相手を受け入れなければならないという考えも見受けられるようになってきました。
相手を受け入れるのではなく、「私とあなたは違うのね」と知ることが大事なのだと思います。
「私は、これが得意でこれが苦手なの。だから、こうしてもらえたら助かります。」
そう言われたときに、手を貸すことができればいいのだと思います。
集団でいるときには、そんな意見が通らないときもあります。でも、それはそれでいいんだと思います。必ずしも受け入れる必要はない。お互いの妥協点を探るのもありだと思いますし、100%手をかすこともありだと思います。

身近な人、1人を知る。そういう人たちが増えて、社会がよくなっていくんだとおもいます。

社会を変えようなんて大きな目標をもって人を動かすことは、難しいです。
人は、自分とは違います。

身近な人に影響を与える。その人がまた身近な人に影響を与える。そうやって社会は少しずつ前にも後ろにも進んでいくのだと思います。

なんだか、だらだらと書いてしまって結局何が言いたいのかわからなくなりました笑。私には、世界を変えるほどの力はありません。このnoteを読んだ方に何か響いて、私はそんな人たちを大切にしていく。自分の身の回りの人を大切にしていく。それだけです。

お付き合いいただきありがとうございました。

いいなと思ったら応援しよう!