【プレサスインタビュー Vol.3】潮来市・横地綾人さん
茨城県潮来市で一般社団法人いたこミズベデザインの代表理事を務める横地綾人(よこち あやと)さん。横地さんは東京都内の経営コンサルティング会社に勤める傍ら、移住先である潮来市で水辺の活性化を行うSUPチーム「LOC SUP ITAKO」を立ち上げ、活動を行っています。
横地さんは東京都出身。都内の大学を卒業後、新卒で入社した住友金属工業株式会社(現・日本製鉄株式会社)での初任配属が鹿嶋市だったため、新卒で鹿嶋市へ移住をすることに。約4年間、鹿嶋市で生活をし、その後、本社への異動とともに東京へ帰郷。数年後に都内の経営コンサルティング会社へ転職をするも、鹿嶋市で出会った奥様の出産や復職を機に移住場所を検討、2019年に潮来市へ移住をしてきました。
大都会・東京からカシマへ
東京で生まれ、東京で育った生粋の都会人の横地さん。都内の大学を卒業後、都内に本社を構える住友金属工業株式会社(以下、住友金属、のちの新日鐵住金株式会社、現・日本製鉄株式会社)へ新卒で入社しました。
「元々、鉄鋼メーカーに入りたかったんです。日本の経済や産業を支えるような会社に入って大きなことをしたいという想いがあって。大学の時、読書が好きで読んだ山崎豊子さんの「大地の子」という本がきっかけなのですが、グローバルに国を跨いで、ひとつの国の経済環境を変えてしまうような産業っていうものにすごい憧れを持っていて…。そこから鉄鋼メーカーを知っていくうちに、なんて熱い想いを持った人たちが働いている会社なんだろう、って。」と語る横地さん。
1冊の本がきっかけで日本の経済や産業を支える大手鉄鋼メーカーへ憧れを持った横地さんは、住友金属へ入社をするも初任配属は鹿島製鉄所での製鉄所の管理業務。不安も大きな社会人1年目の春、横地さんとカシマとの間に接点が生まれることになりました。そして、異動までの4年間を鹿嶋市で過ごすことになります。
「もちろん鹿嶋への移住は戸惑いもありました。知っている人が誰もいない、縁もゆかりもない、希望もしていない全くの知らない土地に配属になって、友達もいないし、寂しさもありました。それに東京との違いだったり、田舎の生活に慣れるかなという不安も…。でも、住んでみたら人との触れ合いがたくさんあって、東京と比べるとウエットな人との付き合いが多くてそれにだいぶ助けられたんですよね。そこが田舎の嫌なところって思う人もいるし、仕事をしていても自分の人間性とか自分自身を曝け出さないと受け入れてもらえない部分もありますが、受け入れてもらえるようになると家族のように接してもらえることも多くて、田舎の良い面にすごい助けられました。」と横地さん。東京生まれ東京育ちの生粋の都会人も田舎の良さを感じられるカシマの魅力に取り憑かれたようです。
4年間の鹿嶋での生活を経て、東京の本社へ異動となった横地さん。しかし、4年の間に鹿嶋で勤務する奥様と結婚をしていたため、鹿嶋と東京の二拠点生活がスタートします。その後、現在勤務している経営コンサルティング会社に転職をするも、都内での勤務は変わらず。奥様の出産や復職を機に東京と鹿嶋の行き来がしやすい場所への移住を検討、最終的に潮来市への移住を決めました。
潮来で出会ったSUPと仲間
都内で会社員をしながら、住居のある潮来市で水辺の活性化を行うSUPチーム「LOC SUP ITAKO」を仲間と立ち上げた横地さん。しかし、現在はSUPチームのキャプテンを務める横地さんも約1年半前はSUP未経験者でした。
潮来に移住するも、コンサルタント業は激務で東京との往復に疲弊する日々。約1年間、東京から潮来に寝に帰る生活をしていた横地さんはその時は不満も迷いもなかったものの、コロナ禍になり家にいる時間が増えた時、自分自身の根っこがどこにあるのか分からなくなったと言います。
「子供は潮来が地元で、奥さんもこっちで仕事をしていて、自分だけが潮来に住んでいないような感覚になってしまって…。子供の故郷である潮来で自分が出来ることがあるのではないかと考えるようになりました。」と、コロナ禍でご自身の生活や感情に変化があったと語る横地さん。
そんな時、潮来市地域おこし協力隊の小林さんに出会い、移住促進の動画撮影やインタビューなど移住者の立場の横地さんだからこそできることを見つけ、移住者としての活動を始めていきました。
三方を水辺に囲まれている水郷・潮来。潮来でSUPをやったら面白いのでは、と小林さんに誘いを受けた横地さんは潮来でSUPデビューをします。その後、地域おこし協力隊の事業の中で行政と民間とで一緒になって「SUPで水辺の可能性を探る」というテーマをかかげ、検証事業をモニターで行い、民間・市民代表として横地さんがキャプテンを引き受けることになりました。
潮来の水辺を盛り上げたい
潮来のSUPチーム「LOC SUP ITAKO」のキャプテンである横地さんですが、ただ単にSUPを広げたい、SUPをみんなにやってもらいたいという想いがあるわけではなく、SUPはあくまでもきっかけ、手段のひとつと考えているようです。
「SUPに強いこだわりがあるかと言われたら、決してそういうことではないんです。SUPの楽しさを伝えたいというよりは、潮来の水辺をどう盛り上げるかというところを考えていて、それが地域創生、活性化に繋がると思っています。”潮来の水辺を利活用してどう楽しむか・盛り上げるか?”というところをSUPという手段でスタートさせたという感じですね。一般社団法人を立ち上げ、法人の名前を”いたこミズべデザイン”と付けたのはその想いがあったからで、いずれは行政の皆さんと連携をしながら、水辺の規制緩和の検討なども含めてやっていきたいですし、水辺の活性化に向けて尽力していきたいと考えています。」と横地さん。
「いたこミズべデザインのビジョンとしては『水辺を日常にする』を目指しています。潮来市は水辺・水路に囲まれているけど、水辺が市民にとっての日常ではないのが現状。でも、水の近くにいることで心が休まったり、水辺だから出来ることやアクティビティもあると思いますし、それが交流の場所だったり出会いの場所、憩いの場所になるような日常をどう作れるか、というのが私たちのミッションだと思っています。」と語る。
そして、「僕が潮来市を活性化したいと思っているのはまちづくりが好きとかでは全然なくて、自分の地元になってしまった場所だから。良い場所の方が自分も楽しめるし、自分の人生や暮らしを豊かにするためにまちを活性化させたいという想いがあります。成り行きに任せてダメになってしまうまちを放っておいて、自分だけ東京に出稼ぎしているという状態はあまり健全ではないと思っているので…。」と話す横地さんは現在、本業の東京でのお仕事も在宅を取り入れるなど柔軟な働き方をしつつ、潮来の田舎ならではの暮らしの魅力にも気付き始めています。
水辺でのPlayfulな瞬間
現在、道の駅いたこが管理を行っている津軽河岸あと広場をエントリー場所とし、潮来市を流れる前川や茨城県と千葉県の間を流れる利根川を越えた千葉県香取市佐原の加藤洲十二橋を中心にSUPツアーを行っている「LOC SUP ITAKO」。毎週末、様々な層のお客様からお申し込みを頂いているようです。
「色々な人にSUPを体験してもらってSUP自体の楽しみを感じてもらえたり、SUPを通じて地域の魅力を再発見してもらえて笑顔になってくれたときがとても嬉しいですね。自分が面白いと思った潮来の水辺を他の人たちが同じように楽しんでくれている、という価値観を共有できた瞬間はものすごい嬉しいです。この瞬間があるからこの活動を続けられているし、それは間違いないかな。」と横地さん。SUPや潮来の水辺を通じてご自身のPlayfulな瞬間を感じることが出来ているようです。
「潮来で活動し始めて、SUPの体験をしてくれた人だけでなく、周りにいる行政の方々や市民の方々、地域事業者の方々に理解をしてもらえることが増えてきて、温かく迎えてもらえていることをかなり実感しています。自分たちだけの楽しさではなくて、誰かになにか期待をしてもらえていると感じることがとても増えてきたのもやりがいになっているし、間違っていなかったと励みになっています。」と語る横地さん。自分たちの活動が地域の方々に認められていると実感することがやりがいや励みに繋がっているようです。
是非、みなさんもSUPにチャレンジして、新しい水郷潮来の魅力を感じてみてください。LOC SUP ITAKOのSUP体験は下記よりお申し込み可能です。
SUP体験はこちら
★ プレサスインタビューとは
私たちが大切にしている「Playful Sustainable」という言葉。
この言葉には「Playful」答えのない好きの追求、「Sustainable」自然や文化など長く続くものの力を借り、守り続けるという意味が込められています。
私たちがこの地域で活動していく中でカシマにも本業・趣味関係なく、好きなことをとことん追求し、継続的に活動をされている方々にお会いする機会が多く、そんな好きを追求するプレイフルな方々のプレイフルな瞬間にフォーカスし、深堀りしてみることにしました。
どんな活動をどんな想いでされているのか、今後どうなっていきたいのかを実際にインタビューをしてお話しをお伺いし、掲載をしています!
下記、まとめ記事より是非ご覧ください!!