向いてるとか向いてないとか
編集作業中です。さっさと進めたいのにPCのアップデートを余儀なくされて変な時間ができたので、noteを更新します。
タイトルの通り。
何か岐路に立たされた時、選択に迫られた時の判断軸とか折り合いをつけるための理由だったりとかで考えるアレです。(もっと賢そうに文章書きたいのですが、向いてないみたい。わかりやすさ重視でw)
このnoteの結論
向いてるとか向いてないとかは好きだ・やってみたいに敵わない。そして案外、なんとかなる。
そういう話です。
たぶん向いてない気がするんですよね…
なぜか定期的に就活生や転職を考えている人など進む道を悩んでいる人たちにこの手の相談をされることがあるので、まとめてみようとおもいます。
この人向いてなさそうだけどチャレンジしてる感が滲んでいてなにか話を聞いてみたいと思ったのか。背中を押してもらいたいと思って相談してくれてるのか、話が来る理由がわからないけど、なにかサンプルやヒントになればいいな〜。
では、ザクザク掘っていきます。
ちなみに、自分は映像に関わる仕事をしていますが本当にクリエイティブなことは向いてないなって常々思っています(笑)絵は描けないしー。
こうしてクリエイティブが求められる仕事で生活していくなんて、親戚・家族はびっくりでした。だって、本当にもともと苦手なんだもん(笑)
ぜんぜんクリエイティブじゃない話
小・中・高と一番苦手な教科はずっと変わらず図工/美術の授業。成績も足を引っ張る教科でした。嫌いではないけど、気が重い。
この苦手意識の決定打は、忘れもしない小学校の時の図工の話。
「紙粘土で好きなものを作って色を塗って、中に磁石をいれてマグネットを作りましょう!」という2週に渡り1週2時間ずつの4時間の図工。
「いやいや、お題ざっくりしすぎじゃない?」
なにを作ればいいのか?好きなもの?なにを作ればいいのか?みんなには完成形が想像できていて、作り始めている。できた!っていう声も聞こえる。
途中、見かねた先生がかけてくれた言葉は
「考えすぎずに自由に作ってみてね!」
せんせー、適当なものというわけにもいかないでしょ?自由って困るよ。
とか考えていたら紙粘土をコネコネしたまま2時間終わりました。とにかく苦痛の2時間だった。
とりあえず最後駆け込みで作ったのは丸めたなにものでもない物体。磁石は入っている。来週まで教室の後方の棚で全員分乾燥。休み時間の度に友達との「これなに?」「ひみつー!」ってやりとりが嫌だったけど、色を塗るまでの1週間考える猶予ができたことにホッとしていた。
「なんでもない丸いなにかを何かにするには」
でも残念なことに、この難題の答えが出ないまま2週目の図工の授業がやってきてしまった。最初の1時間はフリーズして終わった。
「やばい、あと1時間しかない。」
迫りくる制限時間とずっとグレーなままの丸いなにか。焦る気持ち・情けない気持ちで辛すぎて恥ずかしすぎてお家に帰りたかった(笑)
授業終了まで残り10分「塗ってしまえ。」とやけくそになって塗った色は茶色。あと黒でちょんちょんと顔を書いて試合終了のホイッスル。
もう「自由に」「好きなように」「作り出す」「図工」一気に苦手な言葉になりました。中学校になっても、高校生になっても、大人になっても苦手なまま。得意・不得意ってこんなにも突きつけられる現実なんだなって思いました。
翌週の授業参観日。教室の後ろに全員分図工で作ったマグネットが展示された。絶望感…
おかん「あんた、クマって知ってる?耳は?」
茶色く顔の書かれたなにものかは「クマ🐻」と名付け、母に混乱を与えたのでした。
End
良くも悪くも
そんな調子でクリエイティブなものとは決別していたのですが、ないものねだりとはこのことかと言わんばかりに興味や憧れはすごいあって、結局クリエイティブと密接に関わる仕事をしているわけです。
「あーなにも思いつかない」「猿でも考えられる平凡な案だ」「ちっともおもしろくもなんともない」とか思って、あああ、やっぱり向いてない!なんてザラに思う日があるんだけど、結局なんとかなって今日があるのも事実です。
苦手意識があるからこそよーく考える時間も増えるし、答えを出したい覚悟が違うから生まれ出てくるアイデアや思考、表現にオリジナリティが加わっているように感じるんですよね。逆に得意な人には出来ないでしょ?って言えるものもたくさんありました。得意だって胸を張って言えない自分がいるので天狗になることもありません。苦手意識って案外、自分を助けてくれる武器になってると思うんですよね。
もちろん得意・不得意、向き不向きは、残酷なことに?現実問題として人だからあるんだけどそれを理由になにか判断をしようと思っている人には、こんな考え方もあってこんな人もいるんだなと思ってもらえたらいいなと、いつも話しています。
向いてるとか向いてないとかは好きだ・やってみたいに敵わない。そして案外、なんとかなる。
そういう話でした。
自分のやっていることがものすごーく向いてるぜ!って思ってやれている人もそういないんじゃない?って思うし、向いてないと思っている世界でやっている中でさらにもがいていると、向いてることが突然見つかったりもするんですよね。面白いですね。
ひとりじゃなんもできないのよ
映像作るのってそもそもひとりじゃできないんです。何においてもそうなのかもしれないけど。
例えば映像作るとして
出演する人×演出する人×カメラで撮る人×現場を仕切る人×・・・
出したらキリがないくらいの人が関わっていて、それぞれのプロが自分の持ち場でプロフェッショナルを発揮して作り出すものだから、本当に演出しかできない自分ってひとりだったらなーんもできないなって感じます。
ひとりでなんでもかんでもできたらいいけど。とっても羨ましい!でも人と関わったことでしかできなかったことやものも実際存在して、自分だけだったら想像もできなかった展開になったり、それが良かったりするから自分はなんでもかんでも得意じゃなくてよかったなって思って過ごしています。
だから、不得意・向いてないから絶対無理ってことはないんですよね。得意なところがあるっていう人にはどんどんお任せしてその化学反応を楽しめたらもっと気が楽になるし面白い。向いてる・向いてないってそれくらい大したことないんだなって、それより好きかどうかってことの方を気にした方がいいんじゃないだろうか。
というわけで、向いてる・向いてないっていうのは今日も一旦忘れて、自分の個性の外側の縁を少しずつ少しずつ押し広げるように頑張っていきたいなと。
クリエイティブが向いてないわたしでした。
おわり🐻