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循環する子育て

カミラとデューン 叱らない子育て

でゅーーん――
まーみーー 

と何度も何度も呼び合う声がビレッジに響いてる。


絶世の美女カミラが、1歳ちょっとのデューンくんを連れてビレッジに住むことになりました。

デューンくんはなんでも手伝います。

カミラがこの子に対して叱っているのを見たことがありません。

とにかく本人のやる気を待つという方針のようです。

食べ物は砂糖やお菓子などはあたえず、そのかわりビレッジになっている木の実、食べていいベリー類はどんどん取って食べていいと教えるので、手に赤い実を握りつぶして口のまわり真っ赤でドラキュラのようになっているのを何度も目撃しました。


カミラがご飯をつくっているときは、椅子にのって人参や何かを切っています。

小さいナイフを使ってます。指はなんどか切ったらしい。本人はナイフを使っていることが自慢でしかたありません。


オムツ嫌い


デューンくんは、オムツが大嫌いなので、ほぼ四六時中、下半身裸のままでそこらじゅうをうろうろしています。

自分の子供には、そんな恰好してるとペドに狙われるよ、と言って脅したものです。でも、ビレッジであれば、見知らぬペドが見ている不安もあまりないかもしれません。

自分が親らしくするのが苦手なのでいちいち見ていてすごいなあと思います。


カミラのママはものすごい教育ママでした。

話したときに学校の先生みたいだと思っていたら職業は学校の先生だったらしいです。
シュタイナー教育でカミラを育ててるようです。私のいまの家を建てた元ヒッピーのデイブクラークは、カミラのママは本当に厳しい。本当に厳しい。と何度も何度も繰り返して言ってました。

カミラの話では、完全に自然食で、オーガニックなものだけで育てられたけれど、反逆児だったので10代にはいってからは親の言うことは一切きかなかったそうです。
今子供ができて、はじめて親のしてきたことと同じものを子供にあげたいと思っているようです。


お母さんも厳しそうだけど、カミラも意志が強くて、何事もはっきりと意思表示をします。何をしたいか、常にわかっていて、はきはきと話して、気が強いです。


叱らない秘訣を聞いてみた


そんなカミラに、怒らないで子供の意志をあくまで尊重する子育てってすごいなと思ってみてるの、叱らない秘訣は?と聞いてみました。


答えは…

LETTING GO 、とのことです。

「LET GO することは、一番大変だったけど、その大変さを乗り越えたことでなんとかできている」といいます。

LET GO を日本語でどう説明したらいいのでしょうか。

「なるがままに任せる。」

とでもいいましょうか。相手をコントロールしたい欲求、相手に自分のしたいことやしてほしいことを押し付けたくなる気持ちを抑えることだと思います。


たとえば、デューン君にオムツをはいてほしいとします。

「デューン、オムツはいて」とカミラが言います。

デューン君はいやだと言います。


嫌だといわれても、とにかくママがどうしてほしいか伝えます。

もし本人が、ママのしたいことを理解したうえで、それでも嫌だからといってはかないなら、それはそれで、その場は放っておきます。



ここが

LETTING GO です。


そのまま夜になって寝る時間になります。

デューン君はおっぱいをのみたいので、おっぱいを飲みたいと言ってきます。

そのタイミングで、「ママはオムツをはいてない子におっぱいはあげられない。」といいます。

そうするとだいたい自発的にオムツをはくそうです。

このようなかんじで、時間をあけてもいいので、親が望む結果…夕ご飯が7時までにできていてみんなが食卓につくことでも、車にのることでも、お風呂にはいることでも、なんでも、望む、作りたい状況を伝えて、協力してくれるようにたのむそうです。


協力してくれないことも勿論あります。その場合は、叱らずに、ほっておいて、オムツの例のように、本人が自発的にしたくなるまで待つそうです。場合によっては何日も待つこともあるようです。

何日もたっても、自分(ママ)の望むものを変えないでいることも大事。これが、よく子育てで言われてる、「一貫性のある子育て」になるのかもしれないですね。

これで、叱らない子育てが完成します。

まさに、循環する子育てです。


循環する子育て


親の意志と、子供の意志が、循環して、その流れが止まらずにぐるぐる回っているイメージです。


このやり方だったら、子供にとっては、自然に、相手の気持ちと、自分のしたいことが違うことがわかってきます。

自分の望みをかなえるには、相手の気持ちも大事にしなければならないことも、そのうちにわかってくることでしょう。

試してみると、この方法は自分の子供の13歳にも通用しました。

たとえば、私の望む結果が、7時までに夕ご飯ができてるようにしたい、でも、そのまえに、洗濯物を片付けて、たまっているお皿を洗って片付けて料理する場所をつくり、部屋を掃いて、車から買い物したものを運んで、暗くなる前にローズヒップを家の中にいれたい、とします。

これを全部わたしだけでしてると7時までに夕ご飯はできない。だからいくつか家事を分担してほしい。

そこまで伝えると、手伝ってくれることがわかりました。

わたしは子供に料理を手伝ってもらうのも苦手でした。

完成した料理をイメージできていることが少なかったので、自分の近未来のビジョンがはっきりしていなかったことも大きな要因のひとつであることがわかりました。


まずは数時間後にどうなっていてほしいのか、はっきりとイメージし、はっきりさせたうえでそれを言葉にして手伝ってくれる相手にわかるように言わなければ、手伝う側も混乱するだけです。

この年まで、どういうふうに子供に伝えて手伝ってもらったらいいのかわからなくて、全部自分ひとりでやってしまって、夕ご飯つくるのがものすごく遅くなったりしていました。

普通に考えて単なる馬鹿なのですが、これを馬鹿と考えていなかったことにも大きな敗因があるかもしれません。


みんなで子育て

カミラが我慢の限界に近くなるときは、年配のママスーザンが「ゆっくり、ゆっくりね」と励ましています。

ママスーザンもシュタイナー教育を信条としています。

このビレッジの最寄りの町、”オーガニックキャピタル”ウィランガにはウォルドルフ学校があり、みんなそこに子供を通わせ、もう何世代もシュタイナー教育を実践して子育てしています。


デューンくんは、少し前までわたしのこともママと呼んで、あぷ、あぷ、(UP, UP)(だっこ)といってきてました。

わたしは抱っこはできません。癌で骨が痛くて持ち上げられません。
あぷ、あぷ、と、となりで両手をあげて延々と言っている乳児に、「ごめんねー。ばーちゃんね、力ないからあぷできないの。危ないからね。おっことしちゃうかもしれないしね。」とこちらも延々と言いつづけます。

デューンくんは、うんちも触ります。カンガルーやウサギや袋ネズミや鶏のうんちがそこら中に落ちているなかで、自分のうんちを触ってはいけないのが最初理解できなかったけど、次第にわかるようになってきたそうです。

おしっこもうんちも、どこでもしてしまいます。一度、わたしの家にはいってきてぴしゅ、ぴしゅ、(さかな、さかな) といって魚をみながらおしっこをされてしまいました。以後オムツをしてないなら、ウチには入らないでねというようになりました。カミラはそれを聞いて、「違う家には違うルールがあるのよ」と言い聞かせてました。

体調がよければ、みんなで子育て、という輪の中に参加して…ちゃんと教えてね、といってノーパンの乳幼児が家の中に入ってきてもいいのかもしれません。


オシッコされたら掃除すればいいのです。

でも…無理(笑) 

掃除自体が息のあがるハードな運動となってしまった今の私には、床のおしっこもササッと掃除、という技ができません。

いいよいいよ、とやったとしたら、きっとみんなに対する、言えない怒りが心の底に蓄積してくるはず。

それにカミラもほかのビレッジの住人も、あまり気にしてないみたいなので、大丈夫そうです。

ちょっと肩身が狭いですが、こういう境界をきちんとすることが、人付き合いで大事であることを、ようやく学んだのでした。

このエコビレッジにきて、わたしもいろいろ成長させてもらってるのかもしれません。






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