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時間という死の贈り物

共同病室は朝7時。


7時のハンドオーバー前。神対応は、スーパーバイザーらしい先輩看護師さんにどんなだったか話してる。


「全部できることをやった。体温見て、パンツ見て、対応して。話すと意識はキチンとしてて、対話は成り立つんだ。

何度もコールベルおして、呼ばれて来たらちゃんと使えてるのかチェックしてるって…
いろいろ確認して安心してもらって1時間くらい寝たと思うとまた15分ぐらいパッチリ目が覚めて時間が知りたいとか
コールベル押せないとかベル押したのに電気がつかないとか…

さすがに一晩中、疲れた」


「ベルは正常なんだから何度も押さないでまってて。」

「どれくらいよ。1時間⁉︎」

じーちゃんは面白がってる気がする。


神対応さんは、10年この仕事してると話していた。


じーちゃんの隣のベッド新患さんはこの病院で13年スイッチボードで仕事してたそうだ。

「インテレスティングナイト」

なかなか興味深い夜だったわね、と自分も体調悪いのに、被害者意識もなく、懐がおっきい感覚。

病院で働くという人を癒す仕事を長く担ってきた人の心の深さがやっぱり温かい。


レックスじーちゃんは、寂しかったんだろうなと思う。


ハンドオーバーが終わって挨拶しに来た神対応さんたちに、今度は電話を使いたいというじーちゃん。

デリラ、デリラ、と、娘さんと話したいという。

今日は娘さんかくるよ。

何時⁉️

今電話して!

まだ朝はやいから。でもくることになってますよ。あとではなせるよ。



じーちゃんは95才。

自ら入院して、病院で倒れて怪我して
トイレも1人で行けない状況になってしまった。

わたしもちょっと似てる。

わたしは53才。

心臓の水で息ができなくなって緩和医さん達に連れてこられて、水抜いたはいいけど、倒れ初めてしまった。

息が急にできなくなって動けなくなる、
肋骨や背中や左胸がギューっといたい発作がでるとその場でたおれてしまう。

薬でかなりコントロールできるようになってきたけど、2ヶ月前みたいに運転して家事して自炊してっていうのがどこまでできるのかすらわからなくなってしまった。

退院してはやってみて、救急に逆戻りの連続。

入院中の有り余る時間、テレビも新聞も見ないし、若干YouTubeみたりゲームしたり、それでも、メディアがくれるエンタメは、この先に自分が実際にできることがないとなると、何もかも紙芝居みたいで虚しくて興味が持てなくなってしまう。


あとは人との交流ぐらいが日々の楽しみになってしまう。


じーちゃんが、周囲とのコミュニケーションをしたくて、からかったり、お願いマンになったりしてる気持ちも、ちょっとわかる。


人間が、1番面白いからだ。



でも、病院はエンタメではない。

看護師も医者も掃除の人もみんな仕事で忙しい。

周囲の患者は自分をなんとかするのに忙しい。


迷惑かけないように病室でじーっとしている退屈が、煉獄のように思てくる。


とくにじーちゃんや私のように、退院しても何ができるという楽しみもイマイチ思い浮かばないと、介助も介護もなしにできることもないとなると、このまま面倒みてもらえてる病院のプロの温かい人の中で死んでしまえたらという仄暗い願いすら浮かんでくる。

そんな中で、スマナサーラ長老が死に方について話していたことを思い出す。


今回、ぐれんと世界がひっくりかえり、頚椎骨折がよくなるまで元お姑さんにもお世話になった


複雑な心境ながら、とにかくありがたかったけど、わたしとにた自分勝手な人生の果て、20才年上なのに毎日泳ぎにいったり、付かず離れずも家族に囲まれ、古いアパートもきちんとお金かけてリノベーションできてエアコンもあって、EVものれてる。

嬉しいけど、羨ましい。


それに引き換え、なにも持ってない自分。
全部引き換えに、子供のためにがんばってきた。

全部もってる彼女は私が命を捧げて育ててる子を、自慢の孫として私が死んでからも自慢にしてくれるだろう。


スマナサーラ長老は、嫉妬するのは、みんなが自分にたいする期待がおおきすぎるんだといっていた。


自分が人よりすこしでも価値があるんだと思うから嫉妬する。


こんなに頑張ってる私のがあの人より報われて当然なのにっていう勘違い。



それが見えてしまうと、なら死んでいいんじゃない、となげやりにもなれる。


でも、レックスじーちゃんの状況はわたしなんかよりもっと自分でできることがない。


この死ぬまでの退屈な時間、何をしたらいいんだろう?


レックスじーちゃん、息子や娘さんと、一緒に過ごせた、辛かったりたのしかったりしたことに思いを馳せてみたらどうかな。


そうして、会えたら、たのしかったねって言う。一緒にがんばれて、たいへんだったけど、なかなかだったね、と、どうやって気を利かせてつたえられるか、考えるのに時間をつかってもいいのかな、なんて思えた朝でした。






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