ボトムアップの建築設計ツールとしての生成AI "京島LoRAプロジェクト"(3)
京島LoRAプロジェクト
築100年の木造長屋地域のリジェネラティブな郷土的建築文化の再発掘
生成AIを用いて建築や循環型社会を考えてみよう、という内容の国際コンペに応募した。
本記事では、プロジェクトのコンセプトから作業プロセスまで、生成AIで地域的建築を考えた軌跡の全容を紹介する。
3ページにわたって5章の内容を紹介する
プロジェクト概要 (p1)
最終成果物 (p1)
画像生成AIプロセス (p2)
詳細コンセプト (p3)
今後の展開 (p3)
4. コンセプト
生成にあたって、いくつかの建築思想を念頭に置いた。
『パターンランゲージ』と『建築家なしの建築」は、本プロジェクトと、そして生成AIと密接に関わる概念であると考える。
本章では、それらを紹介することで利点や相性の良さを確認しつつ、生成AIがそれらを乗り越えられないか探っていく。
4-1. 集合的記憶とAI
AIは、複雑な処理を複雑なまま行うことができる装置と捉えることができる。
人間は、世界を知覚するために五感を用いる。他者とコミュニケーションをとり、自分の脳内で抽象的思考を組み立てるために言語を用いる。文明を発展させてきた人間に欠かせない大きな二つの要素は、視覚と言語であった。
AIは、人間とは全く異なる世界把握を行う(脳神経の仕組みを再現した仕組みではあるが)。深層学習において、与えられた無数のデータは、人間を介さずに自分で特徴を判断し学習される。世界はアルゴリズムや確率で把握され、たとえ同じものでも、定義や判断の仕方は人間とは全く異なるものとなる。
同じことが追加学習でも起こる。
LoRAで学習された街並みの画像は、人間とは全く異なる方法で解釈されカテゴライズされる。それはきっと言語には還元できないもので、人間が言葉にすることのできない類似性や差異さえも吸収されたものだろう。こうして、ぬるっとした「○○っぽさ」という曖昧な概念がAIによって生成される。
建築における郷土性を集合的な記憶と定義してみると、それもかなりぬるっとしたものだろう。住民たちが想像する「○○っぽさ」の和集合ではあるが、その輪郭は曖昧で全貌は掴めない。時間と空間に広がる彼らの記憶は、液体のように混ざり合った状態でなんとなく存在している。無意識が集まったような言語には還元できない概念である。
LoRAは、分かりにくい世界を分かりにくいまま解釈し生成することができる装置と捉えることができる。これは合理性や分かりやすさが求められる現代における、新たな設計手法に繋がるのではないだろうか。
4-2. 液体状のパターンランゲージ
本プロジェクトは、生成AIを用いた新たなパターンランゲージの探索と捉えることができる。
『パターンランゲージ』はクリストファー・アレグザンダーによって提唱された、建築や都市計画に関わる理論である。パターンがランゲージ(言語)となり、生き生きとしたコミュニティを生成するツールとなる。
もちろんパターンは人間によって発見される。「小さな人だまり」「座れる階段」「街路を見下ろすバルコニー」など、住民たちが心地よいと感じる環境が、言語やイラストといった記号として収集される。これらをもとにしたデザインを積み重ねていくことで、望ましいコミュニティが作られていく。
建築家はあくまで手助けをするのみで、パターンは住民自身によって発見される。自分の住んでいるコミュニティを自分たち自身で考えていくというボトムアップの設計手法は、トップダウンの近代都市計画の発想とは正反対である。地域に根差したヒューマンスケールの要素が重視される点で、建築以外の分野でも高く評価された。
画像生成AIとLoRAを用いた計画手法はパターンランゲージと似ている。住民自身によって撮影された大量の写真をもとに構成された「○○っぽさ」という概念は、多数のパターンの集合とみなすことができるかもしれない。これを用いて生成された画像も、やはりその地域の要素を反映したものとなる。
しかし、ここでのパターンは、人間に理解可能なランゲージ(言語)ではない。パターンはAIによって解釈されカテゴライズされる。非言語情報の集合体として、曖昧な形でパターンは整理され、統合されていく。
パターンランゲージの実践として、アレグザンダーの盈進学園東野高等学校(1985)がある。住民参加の設計手法の実践として興味深い事例だが、必ずしも高く評価されているというわけではない。様々なパターンが丁寧にコラージュされているが、それらはどこか浮いていて一体感のないものに見える。記号的表現の連なりのように見えてしまう今作は、ランゲージの結合の難しさを物語っているようである。
生成AIによるパターンランゲージは、それとは異なるものとなる。AIによって液体のように吸収されたパターン集は、AIによって液体のように混ざり合って画像として生成される。言語として表現できない微妙な類似性や差異、集合的な記憶、そのようなリアリティが、新しくも違和感のない風景として描写されるのである。
4-3. 建築家なしの建築へ
生成AIは、建築家なしの建築を支える強力なツールとなりうる。
『建築家なしの建築』は、バーナード・ルドフスキーによる書籍である。「風土的」「無名の」「自然発生的」「土着的」「田園的」という5つのキーワードから、さまざまな国の風土的建築や集落に光を当てる。作家性を重視する近代建築観からは発見できない、匿名の建築の凄みが語られている。
生成AIは作家性を揺るがす存在として、社会に議論を巻き起こしている。
有名なイラストレーターの作風を学習させたパッチがいくつも配布され、それを用いて生成した絵を販売してお金を稼ぐ人々が既に無数にいる。ここ数日で多くの販売サイトがAI生成作品の規制を発表したりと、今とてつもない勢いで創作と作家性の危機が叫ばれている。
しかし、そもそも建築においては作家性の是非は数多く問われてきた。無数の人々が関わり、経済的要因や社会的義務も関係してくる建築は、果たして建築家一人の創作物であっていいのか、という具合に。パターンランゲージや建築家なしの建築も、そういった疑問を投げかけてきた。
生成AIはデザインの民主化を推進する存在として、社会に期待されている。
デジタルファブリケーションやオープンソース文化など、デザインの民主化は一気に起こっている。画像生成AIも簡単に高品質の画像を作ることができる点で、デザインを社会に開く存在となるだろう。ワークショップから実際の制作まで、幅広い領域で一般の人々がデザインに参入することができる。
本プロジェクトもこの流れを汲んでいる。
地域の住民と一緒に撮り回った写真からLoRAを作成し、ワークショップを行うなかで自分たちの地域の良さを再発見し、実際のデザインまで考えていく。このような未来像を描いている。
また、ルドフスキーが発見したような自然発生的な風景も、近代建築のように言語的で分かりやすい方法ではなく、非言語の曖昧なLoRAを用いることで達成できると考えている。
4-4. さまざまな境界の融解
AIはさまざまな境界を融かしていく。
人間は、文明の発展とともに4つの境界を融かしてきたと言われている。地球と宇宙(コペルニクス)、人間と生物(ダーウィン)、身体と精神(フロイト)、そして人間と機械(ハラウェイ)である。そして、AIも作家性と匿名性、個人と集団などさまざまな境界を融かしていくことが予想される。
ここで、ポストヒューマニズムという人文思想を参照する。
ここでのポストヒューマンは、サイボーグやシンギュラリティによる人間を超える人間のことではない。西洋近代的な主体像を解体し、動物や機械との関連の中にいる人間という人間像のことである。マルチスピーシーズのような人類学と近い概念である。
AIは今後さらに人間社会に入ってくる。まるで友達のように振舞ってくれる人格化されたAIが、あるいは道具として素晴らしい能力を発揮する高性能なAIが。どちらにせよ、彼らは境界の融解を進めていくだろう。デザインをどんどん開いていく存在になるだろう。
本コンペの要件は「リジェネラティブ」だった。生成(ジェネラティブ)AIのみならず汎用AIが出現された社会において、リジェネラティブはどのように達成されていくのか。境界はいかに消滅し、また保持されていくのか。
5. 今後の展開
京島LoRAプロジェクトは、あくまで画像生成AIによる地域ボトムアップデザインの可能性を見ただけに過ぎない。今後、ワークショップや制作の実践に繋げていきたい。
私たちのグループ「令和の農地改革」では、都市農場をテーマに民意反映のための生成AIの可能性を探っている。
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