ヴェルハウゼン『古代イスラエル史序説』(プロレゴメナ)序文(4)
(↓ はじめから読む)
この根本的な文書が申命記とともに分けられた後に残るのがヤハウィスト的な歴史文書である。
このヤハウィスト資料は他の二つ〔祭司文書と申命記〕とは対照的に、本質的に物語の性格をもっており、大きな共感と楽しさをもって、伝えられた資料を明らかにしている。
父祖たちの物語はほぼ全体がこの文書資料に属しており、その性格を最もよく表している。
また、この物語は後に続く大きな重要性をもつことの単なる概略的な紹介ではなく、そのものとして大きな重要性をもっている研究対象である。
この文書資料に法律的な要素が入るのは、シナイ山での律法授与(出エジプト記20-23章、34章)が歴史との関連において語られているときだけである。
* * *
学者たちは長く、六書〔創世記から申命記、およびヨシュア記〕のうち、申命記的ではない部分は、このように二重になっているとすることで満足してきた。
創世記は「基本文書」とヤハウィスト資料に分けられると考えられていたが、フプフェルト Hupfeld が創世記の一部について、第3の連続する資料として「新エロヒスト文書」があることを示した。
「新エロヒスト」という呼び方がされるのは、この文書においては「基本文書」の出エジプト記6章までと同様に、「エロヒーム」〔神の普通名詞〕が神の呼称として用いられているからだが、今では「新」とつける必要はないものと考えられる。
つまり、もはや「基本文書」はエロヒストと呼ぶのが適切とは考えられなくなっているからである。
〔※ 今日における「ヤハウィスト資料」「祭司文書」「エロヒスト断片」という考え方の始まり〕
フプフェルトはさらに、この3つの資料はすべて、のちの時代にひとつにまとめられるまでの間、別々に存在していたと想定した。
しかし、この見解は妥当とは考えられない。
エロヒストは単に自身の資料においてだけでなく、ヤハウィストと非常に似たものの見方をしているからである。
ノルデケ Nöldeke が最初に見出したように、エロヒスト文書資料はヤハウィストの物語の中に抽出されたものとしてのみ、今日の聖書には伝わっている。
それゆえ、フプフェルトの発見にもかかわわず、二つの大きなまとまり〔基本文書(=祭司文書)とヤハウィスト〕に分けるという以前からの考えは保持され、この主要な区分を今後も歴史的探究の基礎とすべきということになる。
しかし、ますます明らかになってくるのは、ヤハウィスト文書だけでなく、「基本文書」も複雑な形成過程を得てきたものであるということである。
そして、この二つと共に、混成的な要素、あるいは単なる後の時代における参照のようなものも生じてきたのである。〔ここに付けられている長い注は割愛する〕
* * *
さて、ここで「律法」の歴史的な位置づけをしなければならない。
ここでは「基本文書」と呼んでいるが〔祭司文書〕、内容からしても、起源からしても、「祭司法典」と呼ぶべきものである。
祭司法典はその分量と同様、その影響力においても、他の戒律よりも重きを置かれている標準的で最終的な権威である。
エズラの下でその聖なる共同体が秩序づけられたのはそこに示された手本に従っていた。
モーセ的な神政政治の概念、すなわち、契約の箱を中心に据え、大祭司を長とし、その組織に祭司とレビ人が配され、通常の正統的な祭儀を執り行う神政政治の概念は、その権威に従って、形成された。
まさにこの律法がここで扱っていく問題の難しさを生み出している。
その律法とどのような関係にあるのかという点だけが今日における大きな意見の相違をもたらしている。
ヤハウィスト文書に関して言えば、本質的にはすべての点で、言語、視野などの特徴について、ヘブライ語文学の黄金期に年代づけられることは問題なしに合意されている。
その黄金期には士師記、サムエル記、列王記の最良の部分と預言書の最古の部分が属している。
アッシリアによってイスラエルの二つの王国が解体される以前の王と預言者の時代である。
申命記の起源についてはさらに議論は少ない。
科学的な結果を尊重すれば、それが発見されたのと同じ時代に作成されたと認識される。
そして、それがカルデア人〔バビロニア〕がエルサレムを破壊する一世代ほど前に行われたヨシヤ王による改革の規則を設定していた。
つまり、意見が大きく異なっているのは祭司法典に関することだけなのである。
祭司法典はどれほど成功しているかはともかくとして、モーセ時代の装いを懸命に模倣しようとしている。
それは申命記の場合とは違っている。
申命記では、サマリアはすでに破壊され、ユダ王国だけが残されているという現実の状況を平易に前提としている(申命記12章8節、19章8節)。
また、ヤハウィストはいかなるものもモーセの律法を示すものとはしておらず、あくまで歴史書であろうとしている。
語られている過去との距離を全く隠そうとはしていないのである。
アベンエズラ〔アブラハム・イブン・エズラ/12世紀のユダヤ人学者〕やその後のスピノザの注意を引いたのはまさにこの点であった。
創世記12章6節には「当時、カナン人がその地にはいた」とされ、同36章31節では「イスラエルの人々を治める王がまだいなかった時代に、エドムの地を治めていた王たちは次のとおりである」としている。
また、民数記12章6、7節や、申命記34章10節の「イスラエルには、再びモーセのような預言者は現れなかった」がある。
〔モーセの物語の最中に、モーセがすでに過去の人物であると語られている〕
一方、祭司法典は・・・
(この段落は長いので、後半は次回へ)
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