マスメディア的「手抜き」

最近のニュースの単語。

「ラストベルト」

アメリカ合衆国のイリノイ、インディアナ、ミシガン、オハイオ、ペンシルバニアといった北部諸州を「ラストベルト」と呼ぶ。アメリカの鉄鋼、自動車産業が衰退したことにともなって生じた用語。「錆びた一帯」rust belt という意味だ。

日本の選挙報道よりも詳しくアメリカ大統領選挙の動向を報道する日本のメディアでは、この地域の動静が全体の情勢を左右することから、この語は現場リポートなどで盛んに用いられてきた。

去年あたりまでは「ラストベルトと呼ばれる諸州」というように説明がほとんどないまま用いられていたので、「最後の地帯?」と思っていた日本人は多かったのではなかろうか。

「選挙結果を最後に決定づけるからか?」と早合点もしたくなる。

「気になるなら、調べればいい」ということは言えるのだけど、「最後」という意味で日本語に定着している「ラスト」をそのまま使い続けたマスメディアはかなりの不親切であった(そもそも原語をわざわざ言う必要などない言葉ではないか)。

そういう指摘があったのかどうか、今回(2024年)の大統領選挙との関連では、テレビでも新聞でもほぼ必ず「錆びた一帯」というような説明が入るようになった。

これまでそういう説明をしなかったのは、ある地域を「錆びている」と直接的に表現することはそこに住む人に対して失礼ではないかなどというような忖度が働いていたのかもしれない。

しかし、「錆びている」という言葉が雄弁に語る情勢を効果的に伝えることを放棄していたとも言える。

かつての花形であった鉄に関する産業が斜陽化し、それに主として関わっていた白人の労働者階級の動向が選挙に大きな影響を与え得るということを「錆びた」ほどうまく伝えている単語はないだろう。

「なんでラスト?」という疑問よりも、「なんで錆びた?」という疑問の方がはるかに効果的に広い関心を引き起こす。

今回の大統領選のニュースから「錆びた一帯」という言葉が頻繁に添えられるようになったことにどのような背景があるのかはわからないが、安易に英語で隠すことによって、結果的に本来の意味を捻じ曲げてきた外来語が多いことは、クイズ番組を見れば、よくわかる。

最近ますます確信しているのは、「マスメディアは自身では決断をくださない」ということだ。

必ず、外部に根拠を求める。

ニュースキャスターは基本的に自分の意見は言わず、ゲストであるコメンテーターに意見を言わせる。街角インタビューの意見を拾って、意見を代弁させる。しかも、両論併記する。

ニュースの読み上げ、用語の選択というのは、一般に考えられているよりも、専門家を交えた検討会での合意で成り立っているものらしい(国の国語審議会のレベルだけでなく)。アクセントや助詞の用い方、受動表現の可否など。

安住紳一郎のラジオ番組『日曜天国』で時々語られていたことを参考にしているだけなので、どの程度マスメディアの中で定着している考え方なのかは心許ないが、訓練を受けたテレビ局のアナウンサーが一斉に耳慣れない表現を使うようになったと感じたことがある人も多いのではなかろうか。

それはどこかで決定が下されているということのようだ。

この先は類推でしかないが、「ラストベルト」に「錆びた」を一斉につけるようになった現象はもちろん大統領選挙が近づいていることもあるのだろうけれども、どこかでボタンを押した(おそらく外部の)人がいたのではないかと思う。

「フィラデルフィ回廊」

9月に入って数日の間に、盛んに用いられた言葉のひとつが「フィラデルフィア回廊」だろう。

英語は Philadelphi corridor なので、「ア」のない「フィラデルフィ回廊」が厳密らしい。

ガザ地区とエジプトの境界地域にあたる細長い地域のことで、パレスティナ問題、ガザ攻撃の停戦合意との関係でイスラエル軍が駐留するかどうかで話題になっている。

さて、「回廊」という言葉、日本人にはどのように受け止められるだろうか。

紛争関係で用いられる語としては違和感を感じる人が多いだろう。

「地名なんだからいいのではないか?」と納得する人もいるかもしれない。

「回廊」には細長い土地というような意味がある。corridorの訳だが、外来語としての「コリドー」は、どちらかというと「通路」だろう。

しかし、「フィラデルフィ回廊」はもちろん「通路」ではない。

「緩衝地帯」「国境地帯」といった方がいい。

corridorという語が特に用いられていることにはもちろん理由があると見るべきだろう。

これは古くからある地名ではなく、2005年のイスラエル軍ガザ撤退のときにエジプトとの合意で設けられた緩衝地域にイスラエルが軍事行政用語として用いた語であるらしい。

ヘブライ語では「ツィール・フィラデルフィ」。直訳すると、「フィラデルフィ軸線」。「軸線」は英訳すると、評判のあまりよろしくない語である「アクシス」「枢軸」axisである。

これを「コリドー corridor」と訳したい理由はわからないでもない。

「細長い土地」という意味の英語には strip というのがある。日本語にもなっているストリップは同じスペルの別の語。

ただ、このstripはすでに「ガザ地区」Gaza Strip の意味で用いられているので使えない。

この語はかつて「ガザ回廊」とも訳されていた。

かなり古い話だが、これが今回の話のオチだ。

去年来の「ガザ地区」での騒乱が「ガザ回廊」での騒乱とニュースで報じられ続けていたらどうであろう。

日本人はどうも「字面」に引きづられる。

「廊」の字で、一番の用例は「廊下」だろうが、二番目は「画廊」だろう。

「回廊」となると、美術館や庭園を巡っているようなイメージは強い。

もちろん、イメージで訳語を決めてしまってはいけないが、国際語として広く用いられている英語は特に外交や軍事において、あまり一般的ではない語を用いることが多いように思う。

英語は字面に引きづられにくいということなのかどうかはともかくとして、「なんでその語を使う? ああ、あっちの方の意味ね」というような了解がとられやすいのではないか。

これはaxisを選んだ場合を想像すると、わかりやすいかもしれない。

「なんで敢えてその語を選ぶ?」と行政官は思うはずである。

そのような選択過程のある語を字面に引きづられやすい日本語に変えるときには注意がいるのではないか。

フィラデルフィ「回廊」という訳はもちろん間違いではない。

しかし、マスメディアの言い訳的な訳語、ある種の手抜きなのではないかと思う。

早々に「フィラデルフィ境界地帯」などの訳語に変更するのが妥当なのではないか。

ニュース原稿を書いている人に、そんな決断をする余裕も権限もないと言われれば、そうなのだろうけどね。



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