ガザ騒乱

パレスチナのガザ地区を実効支配する過激派組織ハマスがイスラエルへ攻め込んだ。10月7日のこと。

この日は第4次中東戦争勃発からちょうど50年目。第4次中東戦争はイスラエルでは「ヨム・キップール戦争」と呼ばれている。「大贖罪日」と呼ばれるこの日は丸一日イスラエル全土の交通が止まり、宗教的ではない人も殊勝に一切の活動を控え、電話にさえも出ない(携帯電話が普及した最近のことは知らないが)。

50年前は、その日を突いて、シリアとエジプトに攻め込まれ、一時はゴラン高原の大半がシリアに奪取されたとされる。非常事態で予備役を招集しようにも、当時はその日には電話にさえ出ないヨム・キップールであったため、態勢を立て直す時間がかかり、危うく北部の中心の町、ティベリアまで攻め込まれるところだったとかなんとか、そういう話はよく聞かされた。その後の反転攻勢の話も含めて。

今年、ガザでのミサイル攻撃のニュースを見たとき、「もしかして、今日はヨム・キップールか?」と思ったが、そうではなかった。ユダヤ暦は毎年1か月くらいの幅で前後するので、西暦の日付では覚えられない。

今年、騒乱勃発の日はその後に続く「スコト」という祭りの最終日ではあったが、この祭りのときに一般的な人は活動を制限することはない。民間人が拉致された南部国境地域では音楽祭が開かれていたと報じられているが、それがかえって仇となったという見方もできる。ヨム・キップールであれば、人々はほとんど外出しない。

日本の主要メディアは長く続くパレスチナ問題の復習をしながら、当初のハマスの作戦行動の周到さを報じた。ミサイル数千発を数時間の間に打ち込んだという。しかし、それは陽動で、戦闘員のイスラエル領への侵入が実質的な作戦内容であったようだ。そして、民間人を含む人が殺され、路上に放置されている画像が全世界に流され、人質が100人以上、連れ去られたと報じられる。

この時点では、イスラエルに同情する論調が強かったが、戦力的に圧倒的な優位に立っているイスラエルの態勢が整って、空爆が本格化すれば、形勢は一気に逆転する。

「3000発のミサイルが短時間に撃ち込まれた」という第一報のニュースを見たときは、そんな資金がハマスにあるのかと思ったが、その程度の量のミサイルをガザ内部で製造することはさほど難しくないらしい。数年前にも数千発が発射されたが、そのときは数日かけての合計であったという。今回はその集中度がポイントだったのだ。

テレビなどではガザから続けざまに発射されるミサイルの映像が繰り返し流されたが、初動以後、どのくらいミサイルが打たれているのかはフォローできていない。もっとも今でも撃ち続けることはほぼ不可能だ。即座にその周辺が空爆を受けるだろう。

物資の点で、十分な補給が望めないハマスがどのくらいの武器を蓄えているか。それはわからないが、豊富ではないことは確かだろう。そうだとすれば、初動の混乱に乗じて、人質を得ることが作戦の中心であったという推測が成り立つ。

ハマスからしてみれば、ガザの一般人がイスラエルに人質に取られているようなものなのだが、それに対抗するには人質以外に選択肢はないのがガザ地区の現状だ。しかし、100人は多すぎる。しかも、老人や子どもも含まれているという。また、一般の住居に侵入して普通の軍事行動としては考えられない惨殺を多くしたとも報じられる。これでは周到に計画された作戦とは言えない。

ハマスはすでに人質のうちの10数名が空爆によって死亡したと発表した。この発表はハマスの戦略のなさを示している。イスラエル側はそれを信用するわけはない。ハマスが殺したのを空爆のせいにしたのだと主張できる。つまり、ある時点まできたら、人質は意味をなさない。地上部隊が突入した時点で、人質は全員殺されていたという主張はいくらでも可能だからである。

勃発から1週間ほど経ったが、人質の交換交渉の話は聞こえてこない。報じられていないだけかもしれないが、空爆が続いているということは交渉は行われていないのだろう。これを書いている時点で、イスラエル軍の地上部隊がガザに入ったと報じられた。

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この騒乱の初動に接した時、考えてみれば、ハマスはこの程度のことを今までなぜやらなかったのかと思ったりした。これだけの物資が揃えられるようになったのはここ数年の話という話でもないらしいし。

詰まるところ、ハマスには作戦指導部はないということなのだろう。イスラエルへの復讐心のみが集団を保たせている面があることは否めない。

アラブの人は、言ってはなんだが、アラビアのロレンスのときのことをもち出すまでもなく、まとまりがなくて、すぐに分裂する傾向がある。結束して何かに対抗するという組織を形成しない傾向が強い(イスラエルが建国当時、いくつかあった武装勢力が対立の中で大同団結して、今日の国防軍IDFにつながる軍事組織を形成したのとは対照的だ)。

そもそもハマスからして、パレスチナの主流であるファタハとの対立から生まれたというような経緯もある。

それがまとまったのは、やはりウクライナとロシアの戦争だろう。土地をめぐるウクライナの抵抗を西洋社会は支持し続けている。自分たちも支持を得られるのではないか。「今こそ、我らも反転攻勢だ」。それがハマス周辺の結束を強めたという面はあるだろう。

そういう中心が出来上がってくれば、作戦行動の精度がある程度、上がっていく。周辺的な情報にも目がいくし、利用できるものは利用するという意識も強まる。

B・B・ネタニヤフ首相が自分の汚職裁判から逃れるために司法権を制限する法案を議会に通そうとして、政治的な混乱や抗議デモが頻発しているというニュースは知っていたが、そうした政治的な対立から予備役の定期召集の拒否があったという。

イスラエルでは、若い頃の兵役が終わった後も、45歳くらいになるまで定期的に軍に呼び出されて、訓練などを受けることになっている(これを「ミルイーム」という)。

そういう「予備役」には情報関係も部署のものも多く、ネタニヤフをめぐる政治的な関連からも情報部門の人員不足が生じていたのではないかとも言われている。

こうした話はすべて後づけでの説明の材料でしかないのだが、ハマスの初動での成功はそうした分析の賜物であったとも言えるのではないか。

しかし、それだけのことなのだ。ハマスの指導者たちは少し溜飲を下げたかもしれないが、その先には空爆が待っており、今の事態を招くことが予想できたはずなのだ。

勃発直後、2、3日のうちに、隠しもっている次のカードをハマスが切ってこなければ、事態はいつも通りになるだろうと思っていたが、どうやら次のカードはないようだ。事態は基本的に、いつもと同じように進んでいくだろう。

あの地域は何十年も戦争状態にある。1990年代の前半を除いて、それがどこかいい方向に進んできたことはない。

ただ、今回はこれまでに前例のない事態だ。いつもと同じではないことがあるとすれば、ハマスの一時的な軍事作戦の成功と、イスラエルがこの先どこまでやるのか、予測はつかないということだ。楽観はできないレベルであることは確かだ。ガザ地区の北部を人の住めない「ノーマンズランド」にしかねない。

今の時点で言えることは、ハマスは人質を1秒でも早く解放すべきであるということくらいしかない。人質はすぐに無意味になる。戦略的には即時無条件で解放するのが正しい。復讐心だけで作戦遂行をしていては同じことの繰り返しだ。

それとも、まだなにか次のカードが残されているのだろうか。

いうまでもないことだが、ガザの一般市民はハマスを支持せざるを得ない状況に置かれている。それはハマスへの恐怖ゆえではなく、状況への絶望ゆえだろう。今回、運よく生き残れた人はさすがにハマスを支持する気持ちを失うだろう。しかし、これは外から見ている者が言っていることにすぎない。

どれほど絶望が深いか、日本人にはそれと比較する材料はないかもしれない。

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