【メモ】 高坂正堯著「国際政治」
高坂正堯著『国際政治』に関するメモ
高坂正堯(1934~1996)
「現実主義」という視座
「国際状況における混乱状況に直面した場合、人びとの態度は二つにわかれる。
その一つは、こうした混乱状況を直接になおそうとするものである。
…しかし、国際社会の分権的性格がそういう解決法を不可能にしているのである。
…したがって、可能であるのはこの混乱状態を間接に直すことだけである。
…それは対立の原因そのものを除去しようとすることを断念することから始まる。
…現在の国家間の対立を、あたかも単純な力の闘争であるかのように考え、そのようなものとして対処していく現実主義は、このような国際政治の本質に根ざす困難の認識に根ざしている。
…国際政治においては、対立の真の原因を求め、除去しようとしても、それははてしない議論を生むだけで、肝心の対立を解決することにはならないのである。
それよりは対立の現象を力の闘争として、あえてきわめて皮相的に捉えて、それに対処していく方が賢明なのである。
権力闘争にどう対処するか
…権力闘争への対処は、国家間の対立に対処する第一歩に過ぎない。
その基礎の上に、あるいは権力闘争への対処と同時に、やがては対立を解決することが出来るという希望が存在しなくてはならない。
現実主義は絶望から出た権力政治の勧めではなく、問題の困難さの認識に立った謙虚な叡智なのである。
…つまり、それは権力闘争に対処しながら、その対処のしかたにおいて、国家の行動準則を形成する方向に動くことが必要であることを認めている。
道徳的要請と国益との狭間で
…したがって残された道は、各国が自己の理念と利益を守りながら、その行動を通じて国際法を作り、国際連合の権威をたかめていくことでしかない。
…現在の政治家は、その国の国家目的を追求するにあたって悪循環をおこさないような選択をとること、できれば、よい循環をおこすような選択をとることを要請されているのである。
力と利益の考慮によって動く現実主義者にも要請されている最小限の道徳的要請なのである。それはとても容易なことではない。
国際政治に直面する人びとは、しばしばこの最小限の道徳的要請と自国の利益との二者択一に迫られることがある。
それゆえ、国際政治に直面する人びとは懐疑的にならざるをえない。しかし、彼は絶望して、道徳的要請をかえりみないようになってはならないのである。
そしてこの微妙な分かれ目は、じつに大きな分かれ目を作るのである。
できることをやりながら、すぐにはできないが、いつかはできるようになることを希望し続ける
昔から人々はこのジレンマに悩んできた。たとえばソ連との冷戦という困難な状況にあって、アメリカの外交を立案したジョージ・ケナンは、このジレンマを何回も味わったように思われる。
…しかし、彼はその問題から逃げるわけにはいかなかったのである。だから彼はできることをしながら、すぐにはできないことが、いつかはできるようになることを希望したのであった。
…そのような信念の持ち主であった彼は、医師であったロシアの作家チェーホフを深く愛した。
彼は、チェーホフが解きがたい問題を解かざるを得ない状況に置かれて悩む人間を描いているのに、共感を感じたのである。(『往診中の一事件』)
希望することをやめてはならない
…希望することをやめてはならない。
じっさい、たとえ合理的な根拠がなくとも、人間は希望することをやめない。
…戦争はおそらく不治の病であるかもしれない。しかし、われわれはそれを治療するために努力し続けなくてはならないのである。
つまり、われわれは懐疑的にならざるをえないが、絶望してはならない。
それは医師と外交官と、そして人間のつとめなのである。