一人の女性がエンジニアになるまで~高卒金髪エンジニアの場合~

はじめまして。@prprmurakamiと申します。高卒で金髪とかいうとヤンキーみたいですけど、事業会社でサーバーサイドエンジニアとして働いてます。

遅ればせながらこちらのnoteに刺激を受けましたので自分も書いてみようと思います。

ちなみに、私の人生の大半は受験勉強で構成されています。(小中高すべて受験しました。)そんな人がなぜ高卒金髪エンジニアになったのか振り返っていきます。

幼少期

私は1998年9月16日に北海道札幌市で生まれました。母曰く(自分でいうのは恥ずかしいですが)「この子は賢いからこの才能を無駄にしてはいけない」と思ったそうで、小さいころから通信教育や市販の教材で一生懸命勉強を教えてくれました。

その後幼稚園年長になる年に父の仕事の都合で千葉に引越しました。そして母のすすめで小学校受験をすることになり、いろんな学校の過去問を勉強しました。なんかどんぐりを均等に分ける問題があったのめっちゃ覚えてて、それって完全に割り算だし関東の頭のいい幼稚園生って本当にすごいなと今思い返しても思います。(当時私は解けなかった)

小学校期

母の指導の甲斐あって千葉県の私立の小学校に入学しました。学校では学級委員を務めちゃう優等生でした。三年生からは中学受験塾に通い関東のトップ中高一貫校受験を見据えて勉強に勤しみました。塾も勉強も楽しかったので特に苦労した思い出はありません。

しかし、六年生になる時父の仕事の都合で北海道に帰ることになり残念ながら受験予定だった学校に入学することはできませんでした。入学することは、って書いているとおり受験はしました。北海道の中高一貫は関東と比べ物にならないレベルで、塾の友達と入試の1位を争うような感じだったので、塾の先生に勧められて記念受験として関東の学校も数校受けてまさかの全勝しました。塾の先生に褒められまくって最高にいい気分でした笑


勉強以外では、父が機械が得意でPCが身近な存在でしたので小学生の頃からオンラインゲームを嗜み、タイピングは我流ですがかなり流暢になりました。

中学校期

友達に新入生代表挨拶取られちゃった(自分が何位か知りませんけど笑)中高一貫に入学しました。入学後は勉強も部活もいまいちで、成績落ちたり部活で嫌な思いしたりして、母に学校やめて関東の高校受けなおそうと言われて中二の秋に学校をやめました。

その後は地元の公立中に通いながら個別指導塾(集団塾だと関東の学校が受けられるレベルの授業のところがない)に通って受験勉強しました。ちなみにここで初めて公立の学校に通ったのですが、8年以上お昼はお弁当の冷やご飯だったのであたたかいお昼ご飯に感動しました。特にソフト麺が好きで毎週水曜日が楽しみだったなぁ。

勉強以外では当時完全にボカロ厨で、歌うのが好きだったので歌ってみた投稿やニコニコ生放送に手を出していました。動画の概要欄やコミュニティページなどを、当時はよくわかってませんでしたがHTMLとCSSで一生懸命書いてました。また、あるときJavaのアップデートの通知がきてこのコーヒーマークはなんだ?と調べまして、なにやらプログラミング言語らしいということを学びました。プログラミングしてみたくてたどり着いた学習サイトでJavaで四則演算をしました。でもそこで飽きてそれ以上のことはやりませんでした。

高校期

受験は今度は全勝とはいきませんでしたが、合格をいただいた千葉の高校に入学し、父を北海道に残し母と二人で千葉に引越しました。

そしてここで初出しですが、教育熱心な母と娘は実はずっとうまくいっておりませんでした。あと単純に勉強に疲れてました。高校入学から私の心の闇は広がるばかりで、成績は学年で下から数えた方が早いわ、友達とはうまくいかないわ、家にもいたくないわで、高3になるころには学校にもいかず家にも帰らないような感じになってしまいました。とはいえ担任の先生が卒業だけはできるように、とギリギリの単位数を教えてくれまして、それを満たせるようにたまに登校してなんとか卒業しました。

卒業後、北海道から父がやってきて進路どうするかという話をしました。私は勉強は嫌いじゃなかったのに頑張れなかったのが心残りで、父に母と離れたところで勉強をしたいと伝えました。そしてあろうことか寮のある医学部の専門予備校を選んで父にお願いをしました。確か祖母に少しお金を出してもらったんだと思いますが、サラリーマンの父にはほんとうに多額のお金(400万とかかかったはず)を出させてしまったし、結果的にやめてお金を無駄にしているので胸が苦しいです。

当時の私にはその金額がどれだけの大金か分かりませんでした。

迷走期

先に書いてしまいましたが半年ほどで予備校はやめました。やめた理由は両親との確執で、大学でどうしてもやりたいことがあるわけでもないので進学せずに親と関係を断ちたいと思ったからです。その後私は家を出て、ヘアメイクの仕事につきました。なんかその時は髪の毛触る仕事したかったんですよね。ちなみに、仕事内容は主にキャバクラのお姉さんのヘアセットだったんですが、お姉さんたちは出勤の時間があるので急いでヘアセットをします。だから髪の毛巻くのめっちゃ早いです。披露する場面はありませんが笑

仕事を初めてすぐ父からは予備校のお金を返しなさいと連絡がきました。予備校に通うときにやめたら返すと約束してしまったんです。しかし、ヘアメイクはアシスタントスタートでめちゃくちゃ薄給。具体的には月給10万から会社経由で借りた家の家賃5万を引かれて手取り5万でした。最初は家具家電も持ってない状態でしたので、ヘアメイクの仕事が終わった後さらに朝まで稼げる仕事をして生活必需品をなんとか買いました。まだまだ人生続きますけど、この時が人生一番働いた時間になる気がします。

そんなわけでお金なんて返せるわけもなく、父の連絡を無視しました。自分が出してもらったお金は大金だったんだとここで気が付きました。

転職期

ヘアメイク時代、お金がなさすぎてマッチングアプリを使って男性の方にご飯を奢ってもらうのをよくやっていたのですが、それで出会った人が私が完全に理系であること、女だらけの職場で理不尽にいびられていること、また過去プログラミング言語に興味を持ち少しながらも触っていたことを踏まえてエンジニアへの転職を勧めてくれました。まずは勉強してみてと言ってJavaScriptの参考書を数冊買ってくれて、さらにはPCまで譲ってくれました。なんでマッチングアプリ使ってんのかよくわかんない金持ちのいい人でした。

それから私は職場に向かう片道一時間半の道のりを読書にあて、帰ったらPCで実装をする日々を送りました。参考書一冊やり終えたところでプログラミングめっちゃたのしい…ってなりまして、転職することにしました。

とりあえずヘアメイクは限界(電車で泣きながら仕事場向かってた)だったのでさっさとやめて、何か違う仕事をしてプログラミングスクール代を稼ぐか、とりあえずブラックでもいいから会社に入って経験詰むかで悩んだんですが、後者にしました。その後エージェント会社が運営している無料エンジニアスクールに通い、PHPの勉強をしました。ニートだから毎日通って爆速で勉強しまして、結果的に2ヶ月でホワイト企業へ転職が決まりました。

そして現在

入社してJava、MySQL、Linux...などいろいろな技術に出会いました。はじめは参考書を山積みにされてそれを読むところからでしたが、三年弱たち確実に成長を感じています。Javaは自信をもってかけるようになってきたし、基本的なことが身についてさらに学びたいことや興味があるものが増えました。

また、人生においても本当に良い転機となりました。あまり詳しくは書きませんでしたが長い間親子関係にずいぶん苦しみました。正直生きてるのが辛かったです。今の会社に入社してからは仕事をしっかりして評価してもらうことで自己肯定感がかなり高まり、生きやすくなりました。憧れていた金髪にもしちゃいました笑

あと、チームメンバーが本当にいい人たちで、20歳の誕生日をみんなで祝ってくれました。親と連絡取ってないし振袖もお金がなくて着れなかったけど、みんなでケーキ食べて超嬉しかったし、忘れられない思い出になりました。

楽しく働いてお給料をいただく、稼いだ自分のお金でご飯を食べる、その生活が今は本当に幸せです。プログラミングに出会って、エンジニアになって、私は救われました。

さいごに

私が誰かのロールモデルになれるとしたら高卒エンジニアというジャンルかなと思います。私のような進学校に通う学生は基本大学に行きます。就職組はほぼいません。しかし、理系で大学院まで通うと6年かかります。なんとなく進学で費やすにはとても長い時間ではないかと思います。

私は同級生と集団行動とか苦手だし、一生懸命勉強したい何かもなかったです。そんな中働きだしてとても正解だったと思います。やりがいのある仕事は人生を豊かにしてくれました。最近は(IT業界は特に)純粋に能力を評価して採用してくれる企業さんも増えていると思います。とりあえず大学進学、ではなく個人にあった最良の選択を自由にできる時代になっていけばいいなと思います。


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