あの時のデジャヴ
先日、Twitterで親交のあるSさん宅に伺った。
「わざわざ遠い所から来て下さって、ありがとうございます」
そう言って、車を降りた瞬間にハグしてもらった。
Sさんは自宅前で作務衣姿で出迎えてくれた。
眼鏡をかけ、坊主頭で顔が少し小さめの印象で、お寺の住職をされていると聞いても誰も疑わないと思う佇まいの男性だった。
つぶらだが、静かで穏やかな眼差しの奥には、長い年月をかけ研ぎ澄まされた鋭い知性と聡明さを感じさせた。
自然の中で二人で散歩をしたり、気功の練功法を教えていただいたり、Sさんのお母様お手製のおむすびや玄米スパイスカレーを振舞っていただいた。
本当に美味しくて、おむすびを3つ食べてもまだ食べた実感が沸かず、カレーまでご馳走になってようやくお腹が満たされたのを感じた。
ただ穏やかな時間が流れた。
街の人々と挨拶を交わし、老犬と戯れた。
心地よい晴れの天気と頬を撫でるそよ風にも癒された。
平和だ。
そう思った。
この平和がずっと続けばいいのになとも思った。
その後は山の神を祀る神社に御参りしたり、川に行って石を積み上げたり、現代社会のシステムと価値観についての議論やセクシャリティの話で盛り上がった。穏やかで静かな自然の音の中で、お互いのことや将来のことなども話し合った。
帰り際、お土産を買いに道の駅の物産館に寄った。
家族へのお土産を購入し、もう一軒立ち寄った。
最後に立ち寄ったのは精肉店だった。
正しくは手づくりソーセージ工房というお店だ。
扱っていたのはもちろんソーセージ(腸詰)、燻製肉、ミートローフ、自家製コンビーフ等だ。
「いらっしゃいませ」
店主がマスク姿で暖かく迎えてくれる。
おすすめを聞くと季節のソーセージ、お土産なら牛タンの燻製、ミートローフもおすすめと言われた。
品物が一つずつしか無く、かなり迷った。
「じゃあ、季節のソーセージと粗挽きソーセージと牛タンの燻製と砂肝の燻製、それにミートローフと……」
結局、上段のソーセージ6品全て購入し、燻製やミートローフ等も購入して結構な量になってしまった。
ミートローフをサンドウィッチに挟んで美味しそうに食べる母親と、ソーセージを頬張りながらビールを喉に流し込む父親の姿をイメージしながら、現金で代金を支払った。
お店の外で待っていた母親と娘の親子連れには、かなりの商品を買ってしまい在庫の品物が残り僅かになってしまったことに対して少し罪悪感を感じながらドアを開けて店を出た。
「なんか悪いことしちゃった感じですね」
「大丈夫ですよ、お土産なんだから気にしなくて」
Sさんの言葉に優しさが滲む。
多分あの母娘はまた後日お店に来てソーセージを買うのだろう。
そう思うことにした。
「今日は遠いところからありがとうございました。また是非来てください。」
「今度来た時は泊まっていきなさい」
「ありがとうございます。今度また機会があれば遊びに来させて下さい。それと、Sさん。ぜひ自分の地元にも遊びに来てくださいね」
最後まで暖かい言葉をSさんとご両親からかけていただき、私も言葉を送った。
そして、車を走らせ帰路に着いた。
デジャヴ。
それに気付いたのは2日経ってからだった。
何か、以前にあの景色を見たなと思った。
見たことが無いはずなのに、既視感を感じていた。
既視感の正体はあの肉屋だ。
前に夢で見た光景のままに、あの車の助手席で見た風景をそのまま見て、同じ所に同じ視点で駐車した。
あのお店も、店主も店内も、商品の品揃えも全て一緒だった。あの時の親子連れもそうだった。
でも不思議だった。
その記憶の中にはSさんだけ居なかった。
だがSさん以外、肉屋に立ち寄った時の記憶は夢で見た光景の記憶とほとんど符合していた。
もしかしたら、私はずっと前にSさんと会っていて、あの肉屋に行ったことがあったのかもしれない。
それが、遅れて現実としてそれが映し出されただけなのかもしれない。
それを感じて思った時に、凄く面白いと思った。
やはり出会いは必然であり、一瞬の無駄もなく、世界は自分を導いてくれている。
そんな確信を私は改めて持つことになったのだ。
やはりこの世は、面白い。