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0493 - その言葉よく分からないという指摘

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「わかりやすく伝える」ということについて最近ちょくちょく考えている。

わかりやすく伝えるの方向性は大きく2つある。1つは「わからない人に、まずは理解してもらう(知ってもらう)」で、もう1つは「ある程度わかっている人に深く理解してもらう」だ。今回の話は前者に関すること。

たまに出てくる意見の中に「カタカナ言葉が多くて分からない」とか「その言葉よく分からない」といった指摘がある。このような指摘を目にすると、個人的には「調べればいいのにな」っと感じてしまうのが正直なところ。

今は手元にスマホがあるのが当たり前な時代。分からない言葉があったらサッと調べれば良い。30秒もあれば言葉の意味はだいたい理解できるはずだ。もちろん、あまりにも専門用語すぎて大半が頭に「?」を浮かべてしまうような状況は避けたほうがいいが、NHKニュースやYahoo!ニュースに出てくるレベルの言葉なら、むしろ知らないことを恥ずかしいと感じて率先して調べてみるクセをつけないと、後々で苦労するのは自分だと思う。

「自分がその言葉を知らないから、よくわからない」と言ってくるような人にどこまで歩み寄ればいいのか、さじ加減は難しい。

ゼロをイチにする意味での「まずは知ること」はとても重要なので、イチに変える壁を乗り越えるための歩み寄りは必要だとは思う。ただ、イチになった以降に、その人が「自分から知ろうとする(調べる・情報を取りに行く)」という流れになることも重要。いつまでも「もっと分かりやすく教えてくれないと、わかりません」という状況が続いたら意味が無い。

なので、初期の段階から、ちょっと調べればすぐ答えが見つかるような言葉まで崩して「わかりやすく」を求めるのは、教える側はしんどくなるし、教えてもらう側が成長するキッカケも奪ってしまうので、得策ではないと感じる。

「その言葉よく分からない」と指摘する人には、その言葉自体のレベルを下げて伝えるのではなく、ちょっと調べればすぐ見つかるよと「自ら調べる」方向へ誘導するほうが、結果的に「多くの人が理解できる状況」を作り出せるように思うが、どうだろう。

<余談>
今回とは少し毛色が異なるが、最初は「何の話をしているのかよくわからない」と感じることでも、その方向の情報に触れ続けていると、ある時ふと「あ、そういうことか!」と、これまでのことが一気に繋がる瞬間が訪れる。そうやって理解できたことって、自分の中にしっかりと定着するし、知る&考える上での応用も効きやすい。そういう体験を1度でも味わったことがあれば「よく分からないとシャッターを下ろすよりも、知ろうとするほうが結果的に楽になる」という意識になる。まさに自分がそうだ。

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