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0211 - 地元の海岸での思い出

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地元(静岡県袋井市)には海岸があり、この海岸にまつわる思い出がたくさんある。

【思い出1】
元旦:歩け歩け大会

地区ごとに定められた時間と場所に集合し、海岸まで歩き、みんなで初日の出を拝む町内イベント。初日の出が出たら万歳三唱。そして町長の挨拶。その後、海岸で「宝探しゲーム」を行うまでがセットになっていた。宝探しは、エリアで区切られた砂浜に埋まった色カードを見つけるというもの。その見つけた色に応じた景品と交換できた。オレンジだったらミカンと交換。緑だったら文房具と交換などなど。ちなみに、当たり前のように「歩け歩け大会」と呼んでいたけど、なぜ命令口調だったのかは謎だ。

この町内行事、いつの間にか(平成の市町村合併のタイミングで?)終了していた模様。この数年は毎年元旦の朝に初日の出を拝みに海岸へ足を運んでいるが、個人個人がパラパラとやってきて、程よく明るくなったタイミングでパラパラと帰っていくだけ。昔とは真逆に、静かで大人しい光景だった。

【思い出2】
5月:砂の造形大会

ゴールデンウィークに開催されていたイベント。地区ごとに分かれ、およそ10m四方の範囲内に砂で造形物をこしらえるというワイルドな内容。審査員による順位付け及び表彰もあるので、毎年かなりの盛り上がりを見せていた。

春先になると地区の公民館に集まって今年は何を作るのかをみんなで決める。当日は大人の指示によって子供たちがチカラを合わせてカタチにしていく。大きな砂場で遊ぶかのように楽しめるし、一連の流れによる達成感はなかなかのもの。こちらも残念ながら、いつの間にか終了していた。

【思い出3】
冬:ロードレース、駅伝大会

年末だったか年明け以降だったかは思い出せないが、寒い時期になると行われる長距離走イベント。ロードレースという名前だが要するにマラソン大会。通常のマラソンと大きく異なるのはコースの一部が海岸という点。もちろん砂浜なので走りにくい。自分も含め、好んで走るランナーは少なかったように記憶している。とはいえ、そんなレースが開催できるのも海のある街だからこそ。

【思い出4】
小中学生の頃:遠足として

小中学生の頃、何度か学校行事として学年全員で歩いて海岸まで来たことがある。地引網も体験したハズだけど、それは遠足ではなく姉妹校が夏に来た時の出来事だったかな、、、記憶が曖昧。同級生たちと大勢で砂浜に来るのは単純にテンションが上がった。ただ、いうても砂浜なのでバリエーション豊富な過ごし方ができるわけでもなく、結局やることといえば「砂浜リレー大会」くらい。結局は砂の上を走るだけかと、この文章を書きながら、ガッカリした当時の記憶も蘇ってきた。現在も小中学生の遠足で海岸に行くことはあるのだろうか。

【思い出5】
大人になってから:みんなで花火をしに

上京後、夏休み時期に帰省した際に同級生と集まって夕食をした後などで、よく海岸へ花火をしに行った。途中で寄れるコンビニで花火を調達。海岸手前の駐車場に車を停め、暗がりな足もとに気をつけながら松林を抜けて砂浜へ。ザッブーンと響く波の音をBGMに、真っ暗な中でカラフルに光る花火を堪能。はしゃぎ回る若者たち。青春そのものだ。

・・・とまあ、ツラツラと書き連ねてしまうくらい思い出の多い地元の海岸だが、昔に比べて砂浜の面積はグンと狭くなってしまった。以前は砂浜に出てから、それなりの距離を歩かなければ波打ち際までは辿り着けなかった。しかし現在は、砂浜に出るとすぐそこに波打ち際が迫っている。しかも、波によって砂浜が削られているのか、昔は緩やかに下る感じだった砂浜に「断崖絶壁」ができてしまっている。

<余談>
ちなみに、海岸浸食は温暖化ではなく、天竜川上流のダムの影響らしい。建設当初は問題視していなかった影響が、建設から60年以上経って目に見えるようになったそうだ。上流域での工事は、数十年後に下流域に影響が出る。それを当時は認識できなかったのか。認識していたけど「遠い未来の話だから」と見て見ぬフリをしたのかは解らない。現在のリニア建設問題にも通じる話らしい。この辺りは別途個人的に調べてみようと思う。

ともあれ、海岸は狭くなり、町内イベントが次々と無くなり、地元民にとっては「近いけど行かない場所」になっていることだろう。そんな寂しい印象は拭えないが、ひょいと思い立った時、家から10分ほど車を走らせるだけで海が見られるというのは、東京には無い、地元だからこその大きな魅力だ。

天気の良い日に、波の音だけ聴きながら砂浜をプラプラ歩いたり、座って一息ついたり。気分転換はもちろん、考え事したい時にも最適。身近に「誰にも邪魔されない開放的な空間」があるって素晴らしい。

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