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0195 - 花火で思い出したこと

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去る6月1日の夜、全国で「シークレット花火」が打ち上げられた。詳しくはこちらのニュースを。

地元(静岡県袋井市)は毎年夏に全国トップレベルで大きな規模の花火大会を開催しているのだが、既に今年は新型コロナの影響により中止だと発表されている。その反動か、このシークレット花火が打ち上げられることに関して「どこで打ち上がるんだろう」「家から見えるかな」「地元でも打ち上がるかな」等々、期待とワクワクの気持ちで事前にSNSシェアする人が多かった。

そんな中、同じ静岡県内の別地域に住んでいる友人は、真逆の意味で記事をシェアしていた。※地名部分は黒く塗りつぶし

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この投稿を目にした瞬間、ハッとさせられた。たしかに、花火を苦痛に感じる人はいる。

もう10年以上前になるが、毎年8月1日に大阪の富田林で開催される日本最大の打ち上げ数といわれるPL花火大会を観る機会に恵まれた。他の花火大会よりも「時間は短いが、打ち上げる数が多い」のが特徴。ラストの超大型スターマインは、ほんの数分で8000発もの花火が打ち上がるという密度の濃さ。大袈裟ではなく昼のように周辺一帯が明るくなる。

その日は、夕方にもなれば街は花火目当ての人たちで埋め尽くされていた。僕も大阪の友人に案内されるがまま場所取りをして待機していたのだが、途中で見知らぬ老夫婦に声をかけられた。

「お前ら、花火なんか楽しみにしてるのか。あんなもん無くなってしもたらええのにな」と。花火は嫌いなんですか?と訊いてみたところ「戦争を思い出すから恐い」と。

大阪の友人の話では、同様の理由で花火大会が恐いと語る老人は多いらしい。また、友人の同級生には聴覚過敏のためドーンという低音の響きが苦痛で仕方がなく、毎年8月1日に富田林から離れるのはもちろん、各所で開催されている花火大会には近づかないようにしている人もいるそうで。

今回の友人の投稿で、過去の記憶と共に、そのような人たちの存在を思い出した。

で、花火大会自体を非難するつもりは毛頭ない。むしろ自分は、空に大きく打ち上げられる花火は大好きだし、楽しみにしている人、ワクワクする人が世の中に多いのは間違い無い。

花火に限らず、多くの物事、人、表現は「好き」と「嫌い」に別れる。単純な好き嫌いという「受け流せる」レベルであれば良いが「苦痛」として感じるレベルであれば「対処」が必要になる。

天候など自然が起こすことなら仕方ない部分もあるが、例えば、テレビや映画であれば、年齢制限や注意喚起を呼びかけることで「見ない」という対処ができるように、人間が提供する物事で「苦痛」と感じる人のいる可能性があれば「対処する方法」も同時に提供しなければならないなと、今回の件で強く感じたのだ。

今回の場合は、密を避けるため(人が集まらないようにするため)事前に場所を告知しないようにしたという意図は理解できる。で、事前に場所が分からないことにより多くの人の「ワクワク」を生んだことも事実。ただ、それはあくまで「花火を楽しみにしている人」の立場での都合のみ。

花火を苦痛に感じる人は、きっとテレビで花火大会の中継を見ている分にはそこまで苦痛ではないと思われる。見た目ではなく「ドーン」という大きな音と響きが嫌なのだろう。もし近場で打ち上げられた場合、空気振動なので耳栓をしてもヘッドフォンで音楽を聴いていても完全に防ぐことはできない。「逃げ場が無い」「どう対処すればいいのかわからない」と感じるのは精神的に相当しんどい状況だ。いかんともしがたい。

気づかず切り捨て、ではなく、汲み取って配慮。知らず知らずに苦しませないよう、自分も今後イベントやコンテンツを作る際に意識せねばである。

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