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0327 - 安売りとか安請け合いとか

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先日、地元(静岡県袋井市)で飲食店のオーナーシェフをしている同級生と一緒に夕食しながら、お互いの仕事についてアレコレ語り合った。

彼のお店は夜営業がメイン。曜日によっては昼にテイクアウトのみ営業しているそうだが、入り口に大きく「テイクアウトのみ」と書いてあっても、そこが目に入らずランチしようとするお客様が入ってきてしまい「すいません」とお断りする状況が多々あるらしい。

中には「どのみち料理するんだし、なんでダメなの?」と詰め寄ってくる人もいるそうで。もちろんお店自体は開けているので対応するのは簡単だし少なからず売上にも繋がる。しかし彼は丁重にお断りしている。

理由は「自分が疲弊しないため」とのこと。

もし融通をきかせて1度受け入れてしまった場合、その「咄嗟の対応」が毎回できれば良いが、そうで無い場合は「以前は大丈夫だったのに」と返ってマイナスな印象を与えてしまう。そうなるくらいなら最初からしっかりお店として提示しているルールに倣ってお断りしたほうが結果的に失礼にはならないし、昼を受け入れることで、本来の営業メインである夜に疲れが出てサービスに悪影響を及ぼしたら本末転倒。

たしかにそうだと思う。イレギュラーなことを「何でも受け入れる」ことは「お客様のため」とか「おもてなし」とは違う。

とある人物が言うように「頼まれごとは試されごと」ではあるし、頼まれたからには出来る限り応えていけるに越したことないが、それが安請け合いになってしまっては意味が無いと感じる。

対応することで、金銭だったり経験だったりで自分にとってプラスに働くなら良いが、知らず知らず「自分の首を絞める」方向に転がってしまうと、そこから抜け出すのはなかなかしんどい。

「自分」を主語にした場合「安請け合い」と「安売り」は同じ意味になるが、物理的に価格を安くする「安売り」もやはり「自分の首を絞める」だけの行為だなと感じる。

大きなお世話かもしれないが、客観的に見て、安くしないと客が来ない(安くすれば客が来る)と思って「きっと無理して安くしているんだろうな」と感じるお店やイベントがちらほら見受けられる。

安くすることで、触れてくれる(来てもらう)ハードルは下がるかもしれないが、内心「その値段だから」という気持ちが働き、むしろ「その程度の価値しか感じてもらえない状況」を作り出している罠に気づいている人は、実はそんなに多くない。

その程度としか感じてもらえない(恩を感じてもらえない)ので、言い方は悪いかもしれないが「次回以降も安く見られる」という循環に陥ってしまう。大変だぞ。

1点誤解が無いように補足しておくが「安く提供すること」自体を全て否定しているわけではない。例えば、無料だったり安く提供した先に「しっかり対価(利益)を得るマネタイズポイント」がある場合は問題が無い。マネタイズポイント自体を安売りしてはいけない、という話。

自分の場合も、実は、時間や労力に対する「マイコスト」をしっかりと設定している。そのマイコストは、単純に「時給に換算していくら」という数値として設けている基準もあれば、「このくらい先に、こう自分にとって良いことに繋がるだろう」という目論見として設けている基準もある。もちろん、そのように打算的にならず、単純に「面白そうだから」とか「興味が湧くから」という理由で採算度外視に動くことも正直多いが、時間や労力が必要以上にかかって本業にマイナスな影響を与えそうな場合、無理なものは無理ですとハッキリと遠慮なく伝えることも忘れない。

オーナーシェフをしている同級生の話に戻るが「自分が疲弊しないため」というのは重要だ。単発ではなく「続けていくこと」が前提であれば、必須と言ってもいいくらいに重要だ。

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