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0056 - お寺で半生を語ることになった(後編)

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これまでを振り返ってみると、月並みだが『人との出会い』によって自分の人生が成り立っている。

良いのか悪いのかはわからないが、僕はいわゆる『就職活動』や『転職活動』をしたことがない。学生の頃に自らアルバイトに応募することはあったが、20歳を超えてから就いた仕事は『人に誘われて・紹介されて』によるもの。なので、本当にありがたいことだが、興味が湧いた仕事しかしていない。

このように、人に助けられっぱなしな流れで来られた大きな要因は『ドラマーとしての音楽活動』ではないかと思う。むしろ、それがほぼ全てと言っても過言ではない。

高校卒業後、ドラムをしっかり習いたくて静岡から上京し、音楽の専門学校へ通った。その後、自身でバンドを組んだりソロ歌手やユニットのサポートでドラムを叩いたりで、都内のライブハウスを中心に音楽活動を本格化させた。

入り口として恵まれていたのが、ボーカルやギターなどと比べてドラムは圧倒的に人口が少ないので(←今はどうか分からないが、当時は確実にそうだった)とにかくアチコチからお誘いがかかる状況だったこと。それこそ知り合いの知り合いのそのまた知り合いや、イベントで共演した他のアーティストを見に来た人なども声をかけてくれた。誘われるがままにドラムを叩けば叩くほど、友人知人と呼べる人が続々と増えていった。

ここで1点、重要なポイント。

音楽活動をしている人で『音楽を生業にしている人』は極々一握りしかいない。ほとんどの人は音楽とは異なる職業に従事している。そう、ドラムを続けてライブをしているだけでも、それはそれはバラエティに富んだ職種の人たちと次々と出会えるのだ。しかも、音楽という共通の趣味、そして楽曲・ライブ・イベントを一緒に作り出すという共同作業によって、自然と気心知れた仲になれる。そんな、並の異業種交流会よりも出会って繋がれる環境に身を置いていたことで、音楽活動のお誘いだけではなく、仕事に関するお誘いにも恵まれてきた。

自分の経験の一部をざっと書き連ねてみる。

音楽活動では、数千人の前で演奏できたり、全国ツアーしたり、欧米でもCD発売したり、タワーレコードのチャートで首位を獲得したり、フジロックに出演させてもらったり、海外でもライブツアーしたり、自分たちで音楽レーベルを作って運営したり、中高生時代に憧れていたアーティストと共演したり。仕事では、ゲーム業界に入って企画立案したものが商品化したり、有名ゲームタイトルの開発に携わったり、僕のドラムの動きをモーションキャプチャーしたゲームのボスキャラが登場したり、ゲーム以外でも、ラジオ番組の構成作家をしたりレギュラー出演させてもらったり、映像や出版業界で作品をカタチにしたり、芸能人のマネジメントやブランディングを担当して普段会えないような人たちとプライベートも交えて沢山お会いできたり、新聞などのメディアですら扱う技術に関する知見が追いついていないような世の中の最先端なプロジェクトに関わったり、その流れで世界トップレベルの超人が集う企業とも仕事やイベントで絡んだり。

軽く並べるだけでもこんな感じなので、自己紹介する際に『何の人なのか』『何をしてきた人なのか』を簡潔に述べるのが難しい。どこか一部を切り取ることは容易だが、そのイメージだけになってしまうのも違う気がするので悩ましい。

ともあれ、このような経験を重ねられたのも全て『人の出会い・繋がり』があったからこそ。1人きりの状態でも気楽にそれなりに楽しい嬉しいと感じることはもちろん起こる。しかし、正直それで味わえるレベルは高が知れている。本気でワクワクしたり感動したりするような経験を得るには、やはり『人』との絡みが必要だろう。

そして、生きていると楽しい嬉しいことばかりではなく、辛くて苦しいことだって多々起こる。あまりこういうことを話すべきじゃないかもしれないが、いろいろ重なって体が悲鳴を上げ、仕事や暮らしに大きく支障をきたしたことがあった。当たり前にできていたことが突然できなくなるというのはショックも大きく、物理的にも精神的にもしんどい状況に陥った。そんな時も、やはり支え助けてくれたのは友人たちだった。『人との出会い・繋がり』はセーフティネットとしても大きく機能する。万が一が起こらなくとも、いざという時に頼れる人がいるというだけで、普段の生活でも気持ちに余裕が生まれるし心強い。

今回のお寺イベントでは、自分の経験則から来る『人との出会いが人生を豊かにしてくれる』というプラス要素についてお話できればと考えている。(もうちょっと整理しなきゃ)

さて、以上を締めの言葉として終わろうと思ったが、参ったな、更に書きたいことが出てきてしまった。

(後編の後編につづく)

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