0221 - 97歳を迎えた祖父
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先日、祖父が97歳の誕生日を迎えた。耳は遠くなったとはいえ、杖も無く家の中を歩き回り、風呂掃除、食器洗い、洗濯物を干す畳むなど、率先して家事をこなす元気さ。たいしたものだ。
それにしても97歳という年齢にとにかく驚く。
自分もそこそこな年齢を生きてきて、それなりな波があり、狙って誰もが味わえるわけではない貴重な経験もたくさんさせてもらっているし、できれば味わう必要の無いであろうしんどい経験もたくさんしてきた。それでも、祖父の半分も生きていないのだ。自分も同じくらい長生きできる保証などないが、可能性がゼロではないと思えば「まだまだ先は長いし、どうとでもなるな」と、良い意味で開き直れる。
技術の進歩・発展によって多くの分野で「年月によって得られる効果」は短縮させることができている。例えば、自然に任せていたら1年かかって育つ農作物を、もっと短い期間で効果的に栽培する等々。
ただ「年月」自体は短縮させられない。97歳だからこその老化現象を70歳で身につけるといったことはできるかもしれないが「97年も生きた」という事実は短縮できない。それ相応の年月が必要だ。平均寿命よりも長く生きるということは、世の中の半分以下の人しか辿り着けない境地。とても尊い。
尊くて敬うと書いて尊敬。だから祖父は無条件で尊敬できる。