0207 - 否定に代替案は必須じゃなくて良い派
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よく、誰かの発言や出ている案に対して「ちょっと待って」とか「うーん、どうだろう」と否定的な反応をする際には「代替案を添えて意見しましょう」とされる場面が多い。
もちろん、建設的に意見交換するのであれば、ただ否定するだけでは足踏み状態。物事を前進させるために代替案を添えることが大切というのは理解できる。ただ、個人的には、その発言や案にどうしても違和感を覚えるのであれば、代替案が浮かばなくとも、とりあえず否定(ちょっと待った)するのがとても大事だと感じる。
最近読んだ、瀧本哲史さんの著書「ミライの授業」にこんな文章が載っている。(*写真掲載に問題がある場合「著作権に関わる方」からご指摘あれば速やかに修正対応します)
違和感をスルーせず、大切に育てる。まさにこれ。
自分が以前所属していた会社のトップや、過去にお世話になった某ゲーム会社のプロデューサーなども「違和感があるなら、とりあえず違和感があるってことを遠慮なく言って」というタイプだった。「否定する際に代替案を出さないのはよろしくないが、否定したいけど代替案が無いから言えないままスルーするのはもっとよろしくない」という考え方。自分も大賛成だ。
もちろん、否定する理由は「単に気に入らないから」ではなく「このまま進めるのは危険」と感じるからというのが大前提。
ロジカルに考えることも重要だが、そこには「感情」や「なんとなく」の要素が入りにくい。ロジカルに考えてハッキリと意見が導き出せるのなら、それこそAIの得意分野なので任せてしまったほうが精度の高い案を出してくれるだろう。
人が生み出す商品・サービス・コンテンツは基本的に「人」に向けられて作られている。月並みな言い方だが、人はとても複雑な生き物だ。思考も感情の仕組みも不透明で解明されていない部分が多い。出された発言や案に「人として」どうしても違和感を覚えるのであれば、きっと何か重要な落とし穴が潜んでいるのだろう。そこを見て見ぬフリをして物事を進めてしまうと「取り返しがつかない状態」または「やったけど全く意味がない状態」に繋がってしまう。
全ての物事は何でもすぐにハッキリと「これがこうで、こうなっているので、こうしましょう」と説明できるものではない。どうしても感じる違和感は遠慮なく伝えるのが大事。その違和感の正体は、みんなで考えて(調査して)突き止めればいい。ガンも早期発見が大切。否定には代替案を添えることを必須とする風潮は、その早期発見を逃す可能性をはらんでいると思う。
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