見出し画像

0191 - 15歳の時に書いた「将来の希望・抱負等」

t= 5 d= 5

中学の卒業アルバムを押入れで発見したので久しぶりに開いてみようと手に取ったところ、別冊付録のような小さな冊子がケースから飛び出てきた。

見ると、卒業生や教師の連絡先が掲載されたもの。当時はSNSやスマホはもとより、インターネットどころか携帯電話も普及しておらず、個人情報の取扱いに寛容だった時代。問題視されるどころか、当然でしょといった感覚で連絡先が共有されていた。(今でもこのような一覧は配布されていたりするのだろうか?)

パラパラとめくってみると、氏名・住所・保護者名・電話番号に合わせて「将来の希望・抱負等」という、記録として残すには地獄のように恥ずかしい欄がありクラクラしてきた。

中学3年生の卒業タイミング。15歳だった僕はいったいどんな言葉を残しているのか。恐る恐る覗いてみたところ、、、

画像1

「誰にも似たくない。自分は自分でありたい。」

おや、思っている以上に恥ずかしくないぞ。

思春期特有のスカした雰囲気が漂ってはいるが、この言葉は今の自分が生きる上で大切にしている「指針」にとても近い。中学生の頃から四半世紀ほど経っているが、当時からブレていないということになる。そう思うとむしろ嬉しい。

ちなみに、昔も今も、何かに取り組む際に重要視しているのは以下のようなこと。

・自分だからこそできることをやる
・自分じゃなくてもいいことは遠慮なく他の人に任せる

労力をかける(熱量を注ぐ)のなら、同じレールで誰かと競うよりも、自分のレールを見つける、または自分でレールを敷くことを選んでいる。

趣味として手を出すのであれば、賑やかな場に乗っかることも厭わないが、仕事をする上では主に

・みんながやっている「から」やってみよう

ではなく

・みんながやっている「なら」任せよう

という動き方をしてきた。いわゆる「逆張り」というやつだ。

こういうやり方がいいよと世の中で広まったやり方は、当たり前だが「やる人」が多い。となると、差別化し辛くなるだけではなく、安易に比較されてしまう。

やる人が多いということは「ナンバーワン」を目指す必要が出てくるが、その場合は、お金や人など「資本力」が圧倒的にモノを言う世界になるし、個人レベルでやる場合には、天賦の才能や強運など、自分でコントロールし辛い要素が重要になってくる。なんとなーくだが、10代の時からそう考えていた。

だったら、他の人がやらない(やっていない)方向で動いて、他の人の持っていない体験や知見といった経験値を得て「オンリーワン」を目指す。その時その時では、なかなか周囲から理解されなかったり悪口を言われたりもするのだが、気にせず信念を持って動いていけば、オンリーワンな軸が複数にまたがり、強みは増す一方。そして、時代や場所や人やタイミングなどが合致したら誰にも真似できない存在として重宝されるようになる。

中学の卒業時に抱負として言葉を残してから25年以上。そのように動き続けてきた現在は、ありがたいことに、とても楽しくて充実している。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?