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0384 - 誕生日だけど歳は重ねない友人
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mixiに始まり現在はTwitter、Instagram、Facebookなど、日常の中にSNSが当たり前のように存在する。それらSNSの機能(?)の1つに「友達になっている人の誕生日を知らせてくれる」というものがある。
「今日は◯◯さん、他3人の誕生日です!お祝いのメッセージを送信しよう!」
そんなお知らせに気づいた時には出来るだけメッセージを送るようにしている。ただ、お知らせが出たとしても、そのメッセージを送ることのない人物がいる。
それは、亡くなってしまった人。
2008年に、とても仲の良かった友人が癌によって29歳という若さで旅立った。当時はmixi全盛期。それ以降も毎年彼の誕生日になるとお知らせが届いていた。
今はFacebookで繋がっている人が多いのだが、そんなFacebook歴も早10年。その間に旅立った友人知人が何人かいる。病で、事故で、そして自ら旅立つことを選んでしまった人。
そんな彼ら彼女らのアカウントが消えないまま残っていると、毎年「誕生日です!」とお知らせが出る。
旅立って何年か経つ人については、もう何度も繰り返しお知らせを目にしているのだが、出てくる度に一瞬「あれ?」っと、まだ会おうと思えば普通に会えるような錯覚に陥る。もちろん、プロフィールページに飛んでも「あの日」以降の本人の投稿は1つも上がっていない。
「死」というものについては個人的に思うことはとても多いのだが、1つ確実なのは「人は誰もが100%いつかは死ななければならない」ということ。どのみち待っている結果なのだから、自分は「生きているうちは、生きているからこそできること」を謳歌したい。
世の中に出会いきれない人がいる中で、多かれ少なかれ直接的に接点を持てたって時点で奇跡的だなと感じる。亡くなった人の分まで生きるといった驕りは全く無いが、「歳は取らない誕生日のお知らせ」を目にした際には、ほんのりと、その人との接点について思い出して、自分はこの先どう生きていくかを見直すきっかけになっていたりする。