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0477 - べきる、べきらず

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まだ自分の中でも上手くまとめられてないので、今回書くことは整理整頓を進める意味も含めて「あくまでメモ書き」ということ、ご理解ください。

国には法律や刑罰がある。「これはしてはならない」というルール。そのルールを破ったものは処罰される。「共存」が前提となる場合、他人に直接的に被害を及ぼすことは避けるべきだし、治安維持や発展のために法律は必要不可欠なものだとは思う。

これとは別に、「こうするべき」な価値観が存在する。学校には行くべき。テストは良い点数を取るべき。資格は取っておくべき。手に職をつけておくべき。正社員として長く勤め上げるべき。結婚はするべき。○○歳までには子供を産むべき。○○円以上は貯金をするべき。などなど。

後者における「こうするべき」な価値観は、他人に直接的に被害を及ぼすものではないのだが「世間体」と呼ばれるカタチで固執する人がとても多い。世間体が悪い、他人からこう見られてしまう、みっともない、恥ずかしい、などなど。そして「こうするべき」な価値観を評価基準にした場合、それらは全て「他人と比べて」になってしまう。こうするべき事柄に対して、あの人より自分は優れている、または劣っている、といった具合に。それで良し悪しを決めてしまっている。

ここ数年で発達障害の理解は着実に進んできており、できないことを「甘えている」と厳しく評価したり、根性論もしくは理屈で「一般的な正論」を強要する傾向こそ少しは和らいできたとはいえ、染み付いた価値観や倫理観はなかなか崩しにくいものがある。

生きづらいと感じる人たちは、自分が、もしくは親などから押し付けられるカタチで「こうするべき」に囚われている傾向がきっと強いように見受けられる。あくまで個人的な意見だが。

で、生きづらさを感じている人たちが、今よりも楽な気持ちで暮らしていくためには、周りの人たちが発達障害や個人個人は特色が異なるということを理解することがもちろん必要だと思うが、それ以上に、「こうするべき」という一般論的な価値観を「ものさし」にして他人と比較する(そして批判する)風潮を無くしていくことが、やはり必要だなと感じる。

それしちゃダメと狭めるよりも、とにかくやってみようと可能性と視野を広げる。知るだけではなく理解する。良い方向へ想像できるようになる。こうして言葉で書く分には簡単だが、そのきっかけをどうやって作るか、具体的なアクションの入り口については良い策は浮かんでいない。

ここ数ヶ月で近しい人たちと接していたり話を聞いたりして、自分ができることって何だろうと考えている。

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