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「卵が先か鶏が先か」を考える

 生命の誕生の起源に迫ろうとすると発生する因果性のジレンマ、それが「卵が先か鶏が先か」問題である。いたちごっこなどの言葉の代わりに使われることもあるが、今回はこの言葉に対して具体的に迫っていく。

 なおこの文章は実に真面目くさった書き方をしているが、本人としては思いついたことをノリと勢いでタイピングしているだけなのであしからず。

 この問題は昔から実に様々なジャンルの学者たちが取り組んでいる問題である。生物学者や哲学者、数学者や神仏学者なども意見を交わすそれは壮大なスケールの親子丼なのである。
 まあ殻の成分が鶏の卵巣の成分うんたらだとか、創世神話かんたらだとかは置いておいて、今回は言葉の意味からこの問題を紐解いていこう。

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 まず大前提として「卵」というのが「鶏の卵」である、と設定しておかなければならない。この前提がなければ最悪「何の卵でもいいなら鳥類より魚類の方が圧倒的に先じゃん」という、親子丼のジレンマ(?)もひったくれもない結論が出てしまうからである。
 まあそもそも英語では "Chicken or the egg." であり、この "egg" には鶏卵(けいらん)という意味が含まれているので、これはどちらかというと日本語の問題であろう。

 では「鶏の卵」とは何か。「鶏から出てきたら鶏の卵なんじゃないのか」って?
 よく考えて欲しい。もし鶏の体内で革命が起きて「中身が育ったら鶏じゃない卵」が出てきたら。それは果たして鶏の卵なのだろうか。
 逆に「鶏以外の生物」が神がかって「育ったら鶏になる卵」を生んだら。それは鶏の卵なのだろうか。自分でも何を言っているか分からなくなってくる。

 この定義が曖昧だと親子丼問題を考える上で非常に困る。なぜなら進化論的には「鶏じゃない生物」が進化して「鶏」になるからである。今回は自然淘汰などは置いておいて突然変異だけを考える。ダーウィン先生は偉大なのである。
 どういうことかというと、「鶏に果てしなく近いが鶏じゃない生物」が「育ったら鶏になる卵」を生み、それが「鶏」になって「鶏が生んだ鶏になる卵」を生むのである。こう書くと自分でも読む気が失せるので下を見て欲しい。

①鶏じゃない生物(鶏に進化前)

②親は鶏じゃないが、育ったら鶏になる卵

③鶏

④親は鶏、育っても鶏、名実共に鶏の卵

 まず、④は確実に「鶏の卵」である。また③も「鶏」である。一方①は「鶏ではない生物」である。ここで先程の問題、②は「鶏の卵」なのかということが鍵となってくる。

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 これは見方によって全く逆の結論になってしまう。
 例えば「親は鶏じゃないが、育ったら鶏になる卵」が落ちていたとして、親の情報が分からないまま育てて「あ、鶏だった」となれば、その場合は「鶏の卵」という認識となる。
 一方で生まれた瞬間を見てしまえば「鶏じゃない生物の卵」という認識になるだろう。育てて鶏が出てきたとしても、「どうして鶏の卵じゃないのに鶏が出てきたんだろう」となってしまう。

 つまりはこの「親は鶏じゃないが、育ったら鶏になる卵」が鶏の卵かどうかによって、卵が先か鶏が先かが変わってしまうわけである。しかし、ここでもう少し考えたいことがある。

 鶏が先、という意見の場合は、「親は鶏じゃないが、育ったら鶏になる卵」は「鶏の卵」ではない。
 そして「親は鶏、育っても鶏な卵」が「鶏の卵」であるという定義になるのだが、ここでよく考えて欲しい。
 親子丼問題の元の言葉は『卵が先か鶏が先か』である。つまりこの定義の場合、『「親は鶏、育っても鶏な卵」が先か鶏が先か』という、誰がどう考えても鶏が先であることが一目瞭然になってしまう文章が出来上がる。
 ありとあらゆるジャンルの学者たちも、流石にこんな鶏贔屓(にわとりびいき)な言葉を必死になって研究していたわけではなかろう。ないと信じたい。

 よって私は「中身が育てば鶏になる卵」を「鶏の卵」と定義し、『卵が先である』という結論に至った。つまるところ、親子丼は美味しいのである。

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 追記:おまけ

 冷静になった翌日、調子に乗って書いた内容を読み返しながら色々考えてみた。
 まあ、普段店で売られている「無精卵」は「鶏の卵」と呼ばれるものであるから、鶏が生んだ卵なら「鶏の卵」というのは別段間違ってはいないのだろう。
 一方で鶏が「どう見ても蛙の卵っぽい見た目の、育ったら蛙になる卵」を生んだら「鶏の卵」と呼べるかは怪しいところである。が、これに関しては今回別に必要な情報ではないはずである。
 結局は「親は鶏じゃないが、育ったら鶏になる卵」が鶏の卵かどうかが問題なのであるから、外的要因を見るのか内的要因を見るのかの差である。
 鶏が生んだから鶏の卵、鶏になるから鶏の卵。両方言えてしまうし、どちらかの情報が外れてしまうと途端に定義が揺らいでしまうのが、この問題の難しいところなのであろう。

 果たして "egg" という単語が具体的に何を指すのか、そもそもこの言葉を言い始めた人はどういう定義で "egg" と言ったのか。まずそれは初め英語で言われたのか。そうでなければ一体どこの言語の卵だったのか。
 これを知るには「卵が先か鶏が先か」という言葉について、その「卵」の定義を追う必要が出てくる。日本語以外に遡らなければならないであろうし、英語ですらない可能性もある。最悪言い始めた本人に直接確認を取らなければならないかもしれない。
 真にその解を知りたいのであれば、タイムマシンが出来るまで大人しく親子丼でも食べておくのが賢明な判断と言えよう。

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