この生きる価値がない世界
この世界そのものに、生きる価値は私は本質的にはないと思う。
あと、資本主義は金持ちとかガッツのある人たちのゲームでつまらない。
資本主義だから自由だ!共産主義なら自由じゃない!というのは小学校の休み時間にドッジボールが得意な人がとっては自由があると思うが、勉強が得意な人にとっては自由がないと思うのと同じだ。
新自由主義者は勉強してればいいじゃないというが勉強が好きでやってるわけじゃないしそもそも本を図書館で読むな子供は外に出て遊べという圧力がある。
あと、スポーツが得意な人はモテるということもある、
だから、金儲けの才能がない人にとっては新自由主義者は全然自由じゃない。
戦国時代なら軍事に長けた人には自由だっただろうし、革命の時代には革命に長けた人にとっては自由なはずだ。
資本主義者はよく体験したこともない強制収容所の話をする。しかし、脱北者たちがよく語るように資本主義社会もまた生きづらさに溢れている。だから資本主義の下で自由があるというのは半分は詭弁だ。
資本主義の社会で思想や表現の自由が認められているというのはそれの価値を認めてないからだ。
一党独裁制を敷いているファシズムや共産主義国家では思想の自由がないが、それは思想に社会を動かす力があると認めていて、そこに規定された社会を破壊する可能性があるからだ。
資本主義の国では思想の自由は認められている。
しかし、日本の政治を見ていてもわかるように思想が政局を動かすことはない。既得権益を打倒しなければならないという有権者のリテラシーを擽る政策は受けるが、思想で政治をする昔ながらの新左翼や極右はもう誰にも受けてない(市議会レベルで当選することはあってもこれも純粋に利害関係からと言える)であり、等価交換の外側に達する域を得ていない。
ネトウヨの面白いところは共産主義を禁止しろというが、それは共産主義に一定の力があると認めていて、それは等価交換の外側へと脱出できる鍵になると逆張り的に期待しているからなのではないかと思う。
とあるx民がタリバンはバンドマンなんかよりよっぽど音楽の力を信じているとポストしていたがまさにその通りであると思う。
音楽の力っていうのは箱庭的なものの中で盛り上がる仕掛け的なアトラクションではなく、
社会通念を破壊し人間を堕落されると考えている方が音楽に力があると信じてさえいる態度であるといえよう。
さて、そしてこの社会は変わることがない。
しかし、日本の環境は良くなっているという。
それは全てテクノロジーだ。
コロナ禍でヒステリーになったのもエコーチェンバーのネットのせいだ!
マスコミが人間を堕落させた。
しかし、堕落した生活は楽しい。ああ!堕落に乗っかるのも悪くないね!
しかしネットはオンライン授業で大学を破壊してくれたし、YouTubeで活動したりとのヒントもくれた。
古くから見れば飛行機や銃、鉄道や電話、郵便が近代を作り上げた。
テクノロジーが思想を規定していく。
あと、歳をとっていても楽しく生きる方法がわからない。
大人になって増えていくのは責任ばかりだった。
自由が1番高いティーンエイジャーの時代に戻りたいと思うけど
数年後もそう思うんだろーなあ。
なんちゃって。