最前線の自己紹介 心象2024
こんにちは。雑誌最前線の編集長そしてnoteの執筆を務めています イ と申します。
"肉体的な"性別は男です。20台半ば大学一旦ドロップアウトフリーターというまあ、ヤバい人に片足突っ込んでる状況であります。そんななか、こうなってnoteを観てくれてる皆様に感謝の気持ちを込めて、そして私が何者かでどこからきたのかということもこめて自己紹介をしていこうと思います。
といっても、記事でいつも出てくるなんだか、不協和音の会とか、カオスフォレストとかあんまりよくわかんねーよ、って感じの人が多いと思うんで、とりあえずそこらへんの説明もかねて、なんで僕がこのような活動をしているか、このような思想を持つに至ったのかということの言い訳や説明も兼ねて、解釈は皆さんのお好きに任せますが、自分史を書いてこうかなと思います。
まあ、余計よくわかんねーよ、ってなるわけでしょうけど
イさんは、男性として、過保護な母親と無関心なオヤジのもとに、2000年10月に産まれます。
そのあとは,すくすく育ちました。嘘です。
子供の時、小学校受験のために通う塾に入れられましたが、全く馴染めなくてどのような行動を取れば良いかわかりませんでした。
あと、やってることが単純にアホらしいなと思いました。
小学校の時は完全にガイジ扱いでした。
当時の連絡先は、もう一切ありません。
これには親が地元の人間は悪い人間だから関わるなというプロパガンダと洗脳教育を私に施してたせいです。そんなものがなければ,もう少し幸せに私も過ごせてたと思います。
親の立場が弱いことは子供の立場が弱いことになります。私の親は野球をやっているグループに僕を一方的に入れたりして、ポケモンやデュエマをやっているグループから引き離しました。そして、そのせいで小学生男子ならありがちなくだらない揉め事を一方的に悪者にされ、加害者として仕立てられていくことで私の心はどんどん荒んでいきました。
地元の人間はあなたのような変人を排除している。天才のいる環境に行けば救われると言うのが親の言い分でした。
でも、僕天才が興味を持つようなことに全く興味ないんですよね。
本当なら医学とか司法が好きなら良かったんでしょうけど、マジで興味ないです(最近ずっと諸々のトラブルからにより法律の勉強はしてるけど司法試験に受かるレベルには程遠い。あと、西洋医学に疑問があるので民間療法もちょいちょいやってます。成果出たら発表します。)
そして、中学受験で勝てばコウリッチューにいるような彼らを見返せると思いましたが、やる気もなく滑り止めに行くことになりました。
中学受験をしましたが、全く適性がありませんでした。で、親が精神科に連れてったら、動作性IQと言語理解が30〜20離れてましたね。
言語の方が131あるので、精神科の先生には生きていけないことはないと言われて、障害者手帳は貰えないので、いろんなものを健常者並みに払ってます。(俺に障害とか言ったやつ、その分負担しろ!)
というか、そのせいで親が自分のことをいまだにgiftedだと思って、加速主義とかオーニシタクマがどーした、宮台真司は何言ってんだこれについて説明しろといつも言われますが、(中身がないし、あんまり大したことは言ってないよー説明すると勉強不足だと怒られます。あいつらの本読んでも同じじゃね😅)
中学の時は水泳部でしたね、でも何にもありませんでした
スポーツも苦手だし体育会系特有のノリも苦手なので卒業と同時にやめて、中高一貫なので終わりの方は科学部と兼部したりしてました、科学部の方はチー牛みたいなのが集まってましたが、淫夢の話をすると嫌われました。
あ、あと地元の友達が僕1人もいないんですよ。それっぽいのはいるんですけど、縁切れちゃいました。
少し前までは、地元が変わったんですが、ネッ友がよく地元に遊びにきてたので、遊んだりしてました。
高校生の時はマジで暗黒で記録とか記憶が一切ないですね、自転車で放浪したのと、絵のコンクールに出したら学校の卒業文集の表紙になったくらいですね。
高一の時、両親が離婚しました。その後、何か物心がついたようになり、人との関わり方が一切わからなくなりました。
同時に小学校の時の人間関係もほとんど失われてしまい、何もかも失われた中で途方に暮れていたのです。
恋愛沙汰も一才なかったです。初田龍御や古田さんと違って、私はギリ健なので。
美大予備校ではマジで何にも学ぶことなかったです。
自分よりデッサン下手くそなやつが絵が褒められてるの見てムカつきました。
あと、高校美術部みたいにもっとゆっくり描きたかったですね。
そして、和光大学に入ります。和光大学でも、自分より下手くそな人が褒められたり楽しそうに絵を描いていてイラっときました。
まあそれで予備校時代にやらかしたりもしたんですけど、その話は今はやめときます。
そして大学に入りました。その時はじまったのがコロナです。
同時に高校時代からのネットの知り合いに学生運動への参加を誘われ、居場所がなかったのと世界を革命する一つの力になりたいと純粋に願ったので参加しました。
しかし、団体内でのメンバーに対する不信が自分の中で抑えきれなくなり、組織を離脱してしまいました。何をしてくるかわからないというのが当時の感想でした。
彼らは少しモラハラ的な人間でしたが、革命家を目指すと言っておきながら自分の意見すら仲間に言えない、何を食べたいか、将来何をしたいか、どのような生活がしたいからすら言えない私にも原因がありました。それは自分で克服すべき弱い点だったことをここに示します。
そして、大学に通おうとしますが、両親に家から出るな,お前は自己管理ができてないからコロナ禍の間外に出したらパンデミックの原因になる、そもそも学生運動での外出を一切知らしめてなかったため、何をやっていたんだと言われ、休学することになります。経済的なアレを盾にされたので、逆らうことはできませんでした。
2021年の秋になると、それ以前からのネット上での友人であるA君とB君、そして、無職の日常氏と知り合うことになります。そこで、不協和音の会の原型となるLINEグループが誕生します。
そこでは風さんやくるみちゃんと言った仲間たちと活発に意見が交わされ、社会的弱者はどのようにしてサバイブしていくかと言う話が続けられました。
と同時に、私は失われた青春時代を取り戻すべく、子供に戻りたいと言う願望が強く、青春コンプレックスを抱えた人たちやLGBTQの人間と多く関わることが増えます。
後述する不協和音の会の創設者であるU君もその傾向がある1人でした。
そしてこれは、萎縮し続けた自分をより戻す一つの力となります。
続く〜