デブは走れ!を卒業します【和光大学アナキスト】

さまざまな人たちの生き様や、生き方を観察してきた。
フィールドワークは過酷だ。
冷笑ではもう追いつけないほど、世の中は過酷だし、僕の人生も苦しい。なにより、デブは走れ!はもう時代遅れ。
冷笑で世の中を変えられると思ったら、大間違い。

なにか真面目にやってる人を腐したりするのは、確かに日本社会に立ち向かう上では効果的だ、不謹慎YouTuberも同じだろう。でも、そこでネタに走らず、真顔で立ち向わなければならないのかもしれない
アラサーまであとわずかの自分の人生、そして社会。物価高騰や高齢化社会などを見て、ふと考えた。




幕府ごっこも楽しいし、不協和音も陰核派も楽しそうだ。

しかし、Z世代は追い詰められている。
女性は男性より得しているという論調は健在だ。しかし、法政大学では女性のハンマー通り魔事件が発生した。

そして、Z世代の若者の間では思想が密かに流行っているという。
厨二病的なカッコ付けの思想ではなく、本当にどうやって生き抜くべきかということを考える、観念的なことを考えざるを得ない段階に追い込まれているのだ。

思想は社会全体が貧乏になってきた方が生まれるのではないかと思う。

マルクスやニーチェは特権階級の出自とはいえ、当時のヨーロッパはかなり貧しかった。
韓国は日本の植民地から解放されたのち、軍事政権の暗黒時代が続いていた。
韓国には新左翼はいない。歴史が日本と根本的に異なるからだ。男女対立から多くの思想が皮肉にも生まれてしまったという。

もちろん社会が裕福だからこそうまれる思想もある。しかし、ニューアカもカッコつけ的な要素が多かった。

特にネットでは就職予備校乙www寝そべり族なるわwww俺は既得権益文学部はクネクネしてるだけ、文化系は怠け者,お前らは一生壁の外でパンこねるかタイミーワーカーだねー
みたいなつまらない冷笑が多い。

資本主義、体育会系、男社会ホモソーシャルに適合ができない以上、我々は本気で生きることに牙を向かなければならないのかもしれない。

私は体型が恰幅が良かったこともあって、それを弄られていたため、古田氏の著書"本は破れ"をもじって、一年ほど前にデブは走れ→というネタを考えた。

バズワードや、口ずさみたくなる言葉としてデブは走れ!は流行るのではないかと。
しかし本家古田先生の本は破れはともかく、厳しくなる世界ではデブは走れのような戯言は通用しなくなることは目に見えていることだった。

さようなら、デブは走れ!


デブの話も書くつもりだった、ということで、アンチヘルシー哲学というものに受け継がせたい。
健康的に夜遅くのネットや炭酸飲料を我慢し、病院の飯を食って点滴を受けながら長く生きるのではなく、太く短く自分らしく生きようという思想である。
これは結構今後数十年は争点になるつもりだろう。

さらには、和光大学アナキストになることだ。
お遊びならお遊びでもいいと思ってる。やるなら真剣にやれ。革命する気がないなら真剣に革命する気がないことを明かせ。と言いたい。
そして、さよなら、デブは走れ。

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