「個の時代」が終わるとき/次の時代の可能性
この文章はVoicyファンフェスタに参加して思ったことを綴ったものです。普通の感想書こうと思っていたはずなのだけれど。
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「個」の比重が高まっている。対するのは「集団」だ。集団の最たる例は会社であり、つまりは会社によってアイデンティティを定義する時代は終わりを告げ、各個人が自ら自分を定義し、発信する時代が来たーまあ、このところ各所で叫ばれているのはだいたいこんなところだ。
個の時代では、ひとりひとりの個人の発信力が重要だ。70億もいる人口から「わたし」を見つけてもらわなくてはならない。
だから、みんなSNSで発信する。
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人間のもつ悪い癖のひとつは、「目立つ人」を「優秀な人」だと勘違いしたり、「好感を持った相手」を「私の願いを叶えてくれる人」と勘違いすることだ。
何かできれば他のこともできるに違いない、という思い込みをハロー効果といって、人事考課研修なんかでは口酸っぱく注意されるのだけど、世の中みんながハロー効果を知っているわけではない。だから芸能人が政治家になったり、ジャニーズがニュース番組のコメンテーターやってたりするんだと思う。
それはSNSの上でも同じで、例えば「バズる文章を書く人」が必ずしも完璧な人間ではない、というのは勘違いしないようにしたい。
でも「個の時代」に最適化したらみんな多少なりとも着飾る。見せたくないところはファンデーションの後ろに隠す。それはバーチャルであっても当然だ。バーチャル・厚化粧の時代。
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たぶん、みんなが厚化粧をして、それに生きづらさを感じはじめたとき、「個の時代」は終わりを告げ、もう一度集団に収束する時代になるんだろう。
そのとき、何を旗印に集まるのか。
これまでは、学歴や会社名がその人が何者であるかをcertificateしていた。
でもたぶん、次の「集団の時代」では、「スキルセット」や「経験」によってcertificateされるんじゃないかと思う。「**のスキルのレベル4があります」「海外で一人暮らし経験あり」みたいな。ブロックチェーンを使えば自己申告でなくcertificateできそうだしね。
「大企業にいるから優秀」ではないということをみんなが知り、「大企業にいてもダメなやつはダメ」を乗り越え、「どんな出自でも優秀なやつ」を探し求めるというパラダイムを越えたら、おそらくもとの学歴や会社名でのグルーピングには戻れないはずである。すると、「こういう経験をしてきたからこういうことはできるはず」「こういう環境にいたからこういう感性をもっていそう」という、より実態に近いグルーピングがされると思う。
そういうグルーピングはひとりにひとつではないから、たくさんの所属をもつことになる。
だから言うなれば、次の「集団の時代」は「タグ付けの時代」なんじゃないかな、と思っている。
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と、ここまで書いて、アバター的に各所で違うキャラを使い分ける「超分散」の可能性もあるし、それがありうるなら、超分散に対応できる人は分散して、分散が嫌になった人がタグに集合するという二極化もありうるな、なんて思ったりもした。でもそちらまで掘り下げるのは時間がかかりそうなので、とりあえず今回はこのへんで。