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遺失物バザール
池袋のスタジオ空洞で、赤面社会人「痩せてるカンガルー」を観た。
とりたてて猛獣というイメージのないカンガルーだけど、そのキック力は正面からマトモにくらえば人間の内臓を破裂させるほどだという。
けれどもこの作品に登場するのはカンガルーではなく人間で、そのうえ何かを蹴飛ばす気力すら残っていないとみえる。
宝物ひとつだけ 持って逃げるとしたら
なにひとつ見当たらない
モノばかりあふれた部屋の中
(BROWNIE / Jasper)
4本の連作短編からなる「痩せてるカンガルー」には、山ほど小道具が登場する。自分もそれに関わる仕事をしているので、たいていの場合は小道具が出てくると多少のリアクションを取ってしまうというか、「おっ何か出てきたな」と思ってしまうほうなんだけど、今回そんなことは全くなかった。これは出てきたもののクオリティが低いとかではなく(低かったら低かったで物凄く気になるし、高かったら高かったで作ったやつの実力が自分を脅かさないか気が気でなくなるのだ、因果な商売だ)、小道具と呼ぶにはあまりにもありふれていて、そこに特段の意味なんて見いだせないものばかりだから、いちいち引っかかることなく「まあそういうもんだよね」でスルーしてしまった。第二話の終盤で(詳しくは言えない)とあるトリックが炸裂してもなお、「ああびっくりした」で済ませて第三話が始まれば忘れている。そして気がついた頃には、取り返しのつかない量になっていることを知る。
かなり意図的に、演劇なのにほぼ誰も腹式呼吸でしゃべってないのもすごくいい。そんなに爆音ってわけでもないBGMの英詞にギリ押し負けて聴き取れない程度のボリュームで交わされる、一つや二つ聞き逃したって別に困りゃしない言葉たちが、ちょうどいい按配でストレスなく届く。
そんな取るに足らない小道具たちと、痩せ細った弱々しいカンガルー人間たちが、第四話のあとに見せてくれる一瞬のスクランブル立体交差が僕はとても好きだった。
塵も積もれば山となるなんていうけど、積もったって塵は塵なので塵の山があるだけで、だけど山と積まれた塵がバランスを崩して倒れるとき、閉めっぱなした遮光カーテンの隙間から射し込む朝の光と折り重なってちらちらと舞い上がる、あの泣きそうなくらい美しい景色を知っている。24時間365日どこにいたって社会性を求められる僕らが、唯一社会から隔絶されて自分だけが法律でいられる小汚ねえ部屋で何度も見てきたその美しさを知っている。
けして褒められたもんではない、だけど誰に否定される筋合いもない風変わりな蒐集物。そんな演劇だった。