しあわせ学級崩壊「ハムレット」上演音源・全シーンレビュー
はじめに(留意点)
この記事は無料で読めますが、あくまでサブテキスト(副読本)であり、最初から単体で成立する読み物であることを想定して書かれていません。単体で読むことそれ自体は可能ですが、物足りなかったり、書かれている内容に対する情報が著しく不足しています。
内容を十分に理解するためには、こちらの上演音源を購入し、手元に置くことをお勧めします。なお、この音源は私の作品ではございません。
また、上記音源はあくまで「演劇の」「上演を録音したもの」として製作されていますが、私はこの作品の上演を見に行かなかった者であり、音源にしか触れることができていません(おそらく、記事を読んでいる人にもそのような方は比較的多いことでしょう)。
そのため、本稿では「ハムレット上演音源」をあくまでも1枚のフルアルバム、それもコンセプトアルバムのCDととらえ、ディスクレビューの要領で紐解いていきたいと考えています。
3,000円という価格設定も、CD1枚の値段だと考えれば妥当な線ではないでしょうか。
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track01 ホレイショーたち、亡霊を見る
物語の冒頭、説明しなければならないことが多いせいもあってかリズムと語りはやや分離しがちだが、亡霊の姿は物々しいビートと完全に同化しており、聴覚を通してその姿が「見える」。
顕現した亡霊の姿が、ばっ、とこちらへ迫り来るや否や、自分の身体をすり抜け貫いて消失するような音像は、一対一で音と向き合えるヘッドホンごしに聴けばこそ違和感を覚えないが、実際の会場ではどのように響いていたのだろう。
track02 王、妃とハムレット
YouTubeでもミュージックビデオが公開されている。ということは、おそらくこれは事実上のリードトラック。先行シングルとして発売された曲がアルバムで2~3曲目に位置するケースは珍しくない。
「メロディーに合わせて台詞を口ずさむ」のとも「ビートに乗せて台詞をラップする」のとも違う、独特の高揚感を煽る節回し。一聴して思い浮かべたのはTokyo No.1 Soul setの『JIVE MY REVOLVER』だったが、パンチの重さと速度は桁違いだ。
「ハムレット」は現代の物語ではない。80'sでも70'sでもない、1600'sの超がつくクラシックである。演劇の台本のことを戯曲と呼ぶが、これを文字通り"曲"として解釈した例はあまり多くないだろう。しあわせ学級崩壊は「ハムレット」というクラシック音楽に、最先鋭のダンスビートを掛け合わせて再生(産)する。海外の翻訳古典戯曲が持つ古めかしくも華美な装飾が施された言葉と、クラブミュージックによる四つ打ちビートの強靭さは、意外なほど相性が良い。
track03 オフィーリアとポローニアス、レイアーティーズ
各俳優のテクニックをこれでもかと堪能できるシーン。ポローニアスの道化た、嘲笑するような高音や、淡々としながらも背景となるリズムから一瞬のブレも許さず伴走するハムレットの独白も凄いが、特筆すべきはオフィーリアの「鍵はそちらにお預けいたします」の「す」だろう。兄の言いつけを従順に守る素振りを見せつつ、内心では口をとがらせ「イーッだ」の顔で抗議している様子が、この「す」たった一音に込められている。
track04 ハムレットと亡霊
変則的なビートで満たされた空間の中、一人二役で亡霊と会話するハムレット。映像もなく音声のみで、同一話者によるセリフの連続にもかかわらず、モノローグではなく会話であることがはっきりとわかる手腕。
track05 ハムレットの気狂い/ハムレット、オフィーリアを突き放す
「ほっつき歩かせぬことだ」の「ほ」、「とんでもない間違いだぞ」の「と」をはじめ、静けさからの豹変を短いスパンで繰り返すハムレット。「誰と誰との仲だ?」の、爆発にまでは至らないが瞬間的にゲージが揺れる「だ」も怖い。身近にいたら絶対に近づきたくなさが隅々まで行き渡っている。そして怒涛の尼寺ラッシュ。
track06 劇中劇
この作品を演じる俳優は全部で4人だけだが、「ハムレット」の登場人物はそれよりずっと多い。それに加えて「劇中劇」のタイトルが示すように、このあたりから徐々に人称の混乱が顕在化しはじめる。といっても俳優に演じ分けができていないわけではなく、意図的にやっている部分もあるように思える。それは狂気に蝕まれて自我の境界を失ってゆくハムレットの心理状態への感情移入…というより、没入もしくは耽溺を誘うトランス(変性意識)ミュージックの意義と一致しているからだ。
track07 王、懺悔する/ハムレット、ポローニアスを殺し、妃を責める
少なくとも音源の中では、殺人の瞬間はほとんど描かれない(効果音もなければ直接的な単語も、表現もない)が、事前と事後のハムレットの語調の強弱、音楽の転調、そしてその境界線上に存在する一瞬の無音によって、4K防犯カメラの映像みたいな解像度の高さで表現されている。
アルバムの半分を過ぎ、そろそろ台詞回しの技巧にも若干慣れてくる頃合いでぶっ込まれる「お前の心の迷いです」の音ハメの、ひたすら問答無用のカッコ良さに痺れる。
track08 オフィーリア気が狂う、レイアーティーズの反乱
何の説明も付け加えることなく、気が触れてしまったことを開口一番どうしようもなく理解させてしまう、オフィーリアの饒舌な声色。単独ではいわゆる「アニメ声」と呼べなくもないが、話し相手となるレイア―ティーズの低音域と対照して透明度をさらに増す。正気だったころよりもずっと澄み切った、グランドピアノの第88鍵にも似たその声は、美しければ美しいほど深い悲しみを誘う。
曲としてのタイプは全くと言っていいほど違うのだけど、一聴して頭に浮かぶ映像イメージ(これは実際の上演を見ていないからこそ生まれる代物だろう)はworld's end girlfriend「all imperfect love song」と通底するものがあった。
track09 王とレイアーティーズ
人称の混乱はいっそう進行し、オフィーリアの死を伝えに来る声がオフィーリアと同じ声をしていることに軽く混乱する(しかも見てきたか体験してきたように詳細に語るのでますます混乱する)。心はすっかり電子音楽の海に沈んでいるが、「そのまま溺れて」と「だが無理な話だ」の連打で続けざま干潟へと打ち上げられる。もはや悲劇を聴いているのではなく、悲劇の真っただ中でそれを見ている。2D or not 2D、事実上の3Dサラウンドである。
track10 オフィーリアの葬儀
「葬儀はこれだけですか」から「うず高く積み上げるがいい」までの流れには感情の序破急すべてが凝縮されており、物語のクライマックスが近いことを告げている。「ハムレット」という一連のストーリーではなく個別の音楽作品として見た場合、最もドラマチックな起伏に富んだ1曲。
人称だけでなく時制にも混乱が生じ、そっくり同じ台詞が超高速の走馬灯のように繰り返される。台詞は同じでもハムレットの反応は全く異なり、それまでとはすっかり攻守逆転してしまっている。再び繰り出される尼寺ラッシュにも余裕はなく、矢継ぎ早に襲い来る亡霊や幻影の姿を振り払うだけで精一杯の様子には「ゴールド・エクスペリエンス・レクイエム」を想起した。
ノンストップかつ臨機応変な急転回ができない(はずの)音楽に合わせる作劇の性質上、台詞ひとつ間違えるだけで致命的なミスにつながることは容易に想像できる。それを踏まえて「名誉を傷付け」の直後の息切れ、ハプニングだとしたらリカバリが早すぎるし、あらかじめ計算してそこに休符を持ってきたのなら天才的だとも思う。
track11 ハムレットとレイアーティーズ対峙する
全12トラック中、唯一の無伴奏曲。
これは「ハムレット」だけでなく、しあわせ学級崩壊の作品全般に言えることだが、希望者に受付で耳栓を配布するほどの狂騒的な爆音上演の連続は、いつかやってくるクライマックスの「無音」を最高品質のコントラストで際立てる伏線としても機能している。
track12 仕合から破滅まで
田中健介の(ここまで役名で書いてきたが、この台詞の発話者が誰なのか、人称が混迷を極めた音源からは推定できないため俳優の名で書いている)ふらふらと酔いどれた譫言のような発話、さも簡単そうにやってみせるので素通りしてしまいそうになるが、相当な音感と技術に裏打ちされている。
400年ものあいだ幾度となく上演されてきた悲劇が同じように結末を迎えたその先で、しあわせ学級崩壊版「ハムレット」の物語はオフィーリアの手によって強制的な眠りにつく。次にいつか、どこかの劇団の手によって再び目覚めて動き出すその時まで。