5月の4本
しあわせ学級崩壊「文学を、聴く。」Aプログラム
5月1日16:10 神楽坂kagurane
EDMなんて影も形もなかった時代の文豪たちが過去に残した作品を最新のビートに乗せて読むAプログラムと、いまも現役活動中の劇作家たちがビートにあわせて書き下ろした新作(戯曲?小説?そういう区別はもはや必要ないのかもしれない)を読むBプログラム。趣向としてはどちらも同じくらい魅力的で、だけど両方は見に行けそうにない…となって、劇団から公開された両方の「予告編PV」を試聴し、これはつまり音楽でいうところの「詞先行か曲先行か」みたいな話だなと思いながら、より音楽性の高いこちらに決めた。
人の立ち居振る舞いや佇まいに対して「色気がある」という言葉で表現する場合があるのは知っていたけど、ついこの間まで「色気」とは具体的にどのようなものを指すのか、あまりよくわかっていなかったことを白状しなければいけない。この日2番手で登場した村山新という俳優の第一声が持つトーン、マイクスタンドを調整する手つき、その合間に展開する神楽坂の話、食べ物の話、その達観したような、でもどこか寂しがり屋のような口ぶり、そしてもちろん本題のパフォーマンス、そういったものを見るまでは。逆に言えば、それらを見た瞬間、いままで漠然と概念でしか知らなかった「色気」ってやつが急に8Kの色彩を帯びて脳内へ飛び込んできたものだから、すっかり驚いてしまったのだった。
後日公開された「野球部とドライブ」があまりに良くて、やっぱり両方見ておくべきだったなと後悔。ビートの規則性から如何にテキストで逸脱するか、みたいな実験だと思った。破調の美学。
演劇ユニットタイダン「さよなら、ファッキンブループラネット。」
5月21日12:00 高田馬場ラビネスト
初日の朝に「脚本の推敲が不完全で、演出の行き届いていないシーンが散見される」ことから3000円→無料(フリーカンパ制)へと公演形態が変わった作品。
ちょっと待ってよ、というのがメールを受け取ったときの率直な感想だった。腹のくくり方としては潔いのかもしれないけど、いち観客の立場として無料になったぞラッキーとはどうしても思えなかった。それよりも、今から「クオリティが低いことを公式に保証されてしまった作品」を観なきゃならんのかという遣る瀬なさのほうが上回った。
これはあくまで個人的な見解だし、突然の発表に見えても実際は座組内でさんざん協議した結果の決断であろうこともよくわかるので、今から言うことは全然きれいさっぱり無視してくれて構わないんだけど、結局のところ観客にとっては未完成な作品なんてもの存在し得なくて、出来不出来にかかわらず見たものを「そういう完成品」として評価するしかないのだ。かつて「バグは仕様です」という金言を残したゲームデザイナーがいるけれど、やっぱりあの言葉は本質を突いていたなと改めて考える。だから「完成品」の代金として堂々と3000円もらい、その上で面白かったとか、面白くなかったとか、出来が良かっただの悪かっただの言われて次回に繋がればよかっただけの話じゃないんだろうか。
まあ確かに説明が足りないところとか正直よくわかんない箇所はあったけど(そしてそれが「脚本の推敲が不十分であること」に起因するのか「もともとこういうシーンとして用意されていた」のか判別する手段はこちら側にはない)、クライマックスにかけて役者のボルテージは指数関数的に上がっていて、きちんとカタルシスも感じられた。しかも、旗揚げなんでしょう? もっと先があるんでしょう? もとの価格が公表されている以上、この形態変更によって消失した売上高(利益ではなく)は素人計算でも想像に難くないわけで、もしもその負債が今後の活動を困難にさせるとしたら本末転倒もいいところだと、個人的には思う。少なくとも「3000円でこんなもの見せやがって!」などと憤れるようなレベルの低さではなかった。もっと、小道具をしまう場所が決まってないからとりあえず客席に投げ捨てるとか、ラスト10分を脈絡のないダンスシーンのみで押し切るとか、そんな酷さを想像していたから。というか、これで無料になるんだったら僕には過去へ遡って返金申請したい作品が2、3本あるぞ。これは自戒も含むけれども。
Mrs.fictions「花柄八景」
5月21日18:00 こまばアゴラ劇場
花柄八景の初演(2012年)はこれまで約20年強の観劇履歴全部のなかでも確実に上位5位圏内には入る傑作だと思っていたんですが、そんなにも好きだった初演を実はDVDの映像でしか見たことがないという初歩的な事実にふと気付かされ、受けた衝撃そのままに一も二もなく予約して見に行った。
「落語とは人間の業の肯定である」という有名な言葉があるけれど、その落語をモチーフにした花柄八景もまた人間の業の肯定であり、芸能の生の肯定でもあった。標準で録画といい初音ミクといいプリキュアといい、初演時に半ば(すでにちょっと古い)時事ネタ的に盛り込まれていた要素のほとんどが、2022年現在でも書き直されることなくむしろ円熟味を増す普遍の強度の凄み。
つねづね自分の持論として「作品が扱う最も大きなテーマを一つの図形としたとき、その相似形が作品中に多く隠れていればいるほど傑作」というのがあって、花柄八景にはその相似形があまりにも多く、なんなら再演によって1.5倍くらいに増えていた。岡野さんの配役異動にナチュラルな世代交代を感じて目頭が熱くなったり、「文化としては継続発展したが実演する人間は減った」という現象面でも勝手にここ2年の状況を重ね合わせたりして、声を出さずに(上演中の私語は慎みましょう)ボロボロ泣いた。こんな時代が来るなんて想像もせず書かれたはずの言葉が、こんな時代で弱っている私たちのもとへ予言された福音のように効いてくるなんて。
噺家を演じる芝居である以上、肝心の落語の演技・所作が巧くなければ説得力なくて、もちろんそこはクリアしているんだけど、あくまで物語のグッとくるポイントが「落語としては全然うまくない」ところに集約されているのが本当に、本当に心憎くて粋で愛おしい。
おあとがよろしくなる日まで生きなくちゃね。
24/7lavo「リバーシブルリバー」
5月27日19:00 新宿シアター・ミラクル
「思っていることの反対しか言えなくなる」という、使い古されたとまでは言わずとも先行作品に超有名傑作が多すぎてなかなか手を出しにくい題材で、まだこんな切り口と先の読めない展開が可能だったかと驚いている。
裏の裏は表という比較的わかりやすいルールから始まるんだけど、人間はtrueとfalseの二元論ではできてないので表を裏返しに置いたり、裏から裏を見て表だと勘繰ったり、そもそもどちら側が裏なのか知らなかったりと忙しい。
劇中の人々が今起きている事態の違和感を把握するまで時間がかかったのに対して、導入部、たった一言裏返すだけで伝わる「と信じて客席に託される」作品と観客の信頼がすごくいい。あの台詞が額面通りに受け取られるかもしれないリスクを、これから作品を通じて超えていくぞという決意みたいなものを勝手に感じてしまった。ただの信頼じゃなくて、信頼関係それ自体を信じるということ。