SとNの間で考えたこと
Sさま(あるいはその次のアルファベット? T、あるいはUさま?)
突然の、ぶしつけなお手紙で失礼いたします。
はじめに。これはほんの仮説であり空想です。
笑い飛ばしていただいて一向に構いませんし、お返事も不要です。
今から話すことは、順を追って説明しても回りくどくなるでしょうし、論理的に解きほぐそうとすればするほど非科学的で、前後のつながりがなく、支離滅裂になってしまうだろうことも予想できます。わたしは、ある程度まで答えに近いことが書いてあるという初演の上演台本を買っていませんし、きっとあなたは論理の飛躍はもちろんのこと、すべてを論理で割り切ろうとする態度もお嫌いでしょうから、もしかしたら退屈させてしまうかも知れません。なにしろわたしが話そうとしているのは、あなたがこの物語を、あえて時間ループSFとして描かない選択をした気配を端々に感じつつ、あえて時間ループSFとして読み取ろうとする、無粋きわまりない試みなのですから。
結論から先に言います。
サカイリハルコさんのおばあちゃんは、ハラホノカさんです。
こんなことを考えるようになった最初のきっかけは、サカイリさんとハラさん、どちらが物語の主人公なのだろうなどと考えてしまったせいです。「SとNの間の香り」なんてタイトルがついていて、Sという人物と文通をしていて、イニシャルがNでも、ナイトウさんは主人公たりえない。なぜなら、ナイトウさんは合唱の日に現れず、コンピュータRPGの村人のように同じせりふを繰り返してしまうからです。わたしたち観客以外にこの現象を知覚できるのは、RPGの主人公になれるのは、転校生として外の世界からやって来た「異物」であるハラさんとサカイリさんだけなのです。
ところで、外の世界とはどこでしょう? サカイリさんは東京から来たと言っていますが、その前に「ここ」はどこなのでしょう? 東京でないことだけは確かですが、そのほかの情報はほとんど開示されていません。しかも、(身も蓋もない話をするならば)上演が行われているここは東京、渋谷のはずなのです。
劇中、ハラさんはこんなたとえ話をしています。「自分で自分の心臓を見ることができないなら、自分の中に心臓があるのを証明することもできない」と(台本から直接書き起こしたわけではないので細部は違っているかもしれません)。ハラさんの理屈を借りるなら、客席から見える風景の中にないものは、その存在を証明できないことになります。ならば、そこにあるものだけで説明できなければ正しい証明とはいえない、わたしはそう考えました。
舞台装置で最初に目が行ったのは、やはりあの大きな砂時計です。同じ時間が繰り返される、ということを最初は全く知りませんでしたので、合唱の発表が終わったあと、校庭で線香をあげたハラさんが砂時計をひっくり返しに行ったとき(白状すると、誰がひっくり返したのか正確には覚えていないので、半分は願望です。違っていたらすみません)、わたしはこれが単なる日常劇でないことを知りました。
そうなのです。ハラさんは、あれほど繰り返される時間に倦み疲れているようでありながら(わたしは最初、ハラさんが三つ編みをやめた本当の理由は、彼女なりにこのループから脱出を試みた痕跡なのではないかと疑ったほどでした)、自分の意志で砂時計をリセットしてしまうのです。この行為は何を意味するのか考えたとき、ああやはり主人公はサカイリさんなのだと、わたしの中で結論が出たのでした。主人公とはつまり、わたしの定義では、世界に翻弄される人、世界の仕組みを一人だけ知らされていないか、あるいは仕組みを最初に知ってしまう人、のことです。
時間に囚われてしまっているように見えるハラさんも、実は仕掛け人のひとりなのかも知れない。そう考えたとき、サカイリさんの母親と同じように「いなくなってしまう」みんなに対して、「いなくならない」「最後も一緒にいる」ハラさんは、転校の日の朝にお線香をあげて送り出してくれたサカイリさんのおばあちゃんなのではないか……というひらめきが、わたしの中で繋がったのです。
さて、舞台上にないものは存在しない、という仮定を続けるとすれば、その次に疑うべきはSの実在です。ナイトウさんに紙飛行機でラブレターを飛ばし、その返事はもちろんのこと、いきなり横から口を挟んできたサカイリさんの紙飛行機にも律儀に返事をくれるSは、いったい何者なのか。あなたはきっとその答えを言いたがらないでしょうから、わたしも答えは言わないでおきます。ただ、比喩だとか演劇的表現を抜きにして舞台上の出来事をそのまま受け入れるなら、紙飛行機はSのもとへは一度も届いていないということ、これだけは明らかにしておきたいと思っています。
ナイトウさんの紙飛行機も、サカイリさんの紙飛行機も、舞台の外までは決して飛んで行きません。あるポイントで必ず向きを変え、垂直に落下するのです。それは多分、この舞台の外側に見えない壁があって、そこにぶつかってしまったからではないか、わたしはそう考えることにしました。第四の壁、たしか人はそんな名前で呼んでいたような気がします。けれど、この壁はもっと薄くて、目に見えなくて、もっと頑丈な壁なのではないでしょうか。だって、それが本当に第四の壁なのだとしたら、客席のこちら側ではなく同じ物語の中にいるSに手紙が届かない道理はありませんから。
舞台上に一度も姿を現さず、届いていないはずの手紙を読むことができ、それに返事を出すこともできるSは、ほとんど神様のような存在です。だとするとサカイリさんは、ナイトウさんと神様の文通に干渉してしまった……?
はじめは、ナイトウさんがいなくなったのはサカイリさんが手紙を出してしまったせいなのでは、とも考えたのですが、この仮定はあまりに残酷なように感じて、根拠もなく勝手に打ち消してしまいました。すると、あとに残ったのは、Sがサカイリ姓のイニシャルであるという可能性でした。
ここからは仮説を超えて邪推の域に入ります。
Sから届いた手紙の文面によると、Sとナイトウさんの仲はうまくいっているようです。そしてナイトウさんは、どことなくサカイリさんのお母さんに似ているそうです。似ているのが容姿なのか、性格なのか、それは明らかにはされませんが(おそらく両方でしょう)、突然いなくなってしまうところも似ていると、わたしは感じました。サカイリさんのご両親は二人とも「亡くなった」のではなく「いなくなった」そうです。ハラさん=おばあちゃん説を採用すると、「いなくなりすぎでしょ」という何気ない台詞にも深みを感じますが、それはともかくとして。
ナイトウさんがいなくなることは、時間のループが終端まで来た証でもあります。翌日には何事もなかったように、ほんとうに全く何事もなかったようにナイトウさんは帰ってきて、またサカイリさんを新しい転校生として迎え入れるのです。ならば、主人公でこそないとしても、この繰り返しにおいてナイトウさんが何か重要な役目を負っていることは確かです。Sについてはどうでしょうか。Sは、離れたところから、ナイトウさんへの手紙を正確に窓の中へと投げ込むことができます。航空力学を勉強しているのかもしれない、とナイトウさんのクラスメイトは推測します。それはきっと正しくて、そういえばサカイリさんのお父さんは飛行機を作っていたはず……。
ナイトウさんがいなくなると、ハラさんは校庭で線香をあげます。サカイリさんはそれを、一度目は校舎の窓からただ眺めています。では、二度目は。
サカイリさんは時間が巻き戻ったあと、驚くような行動力でハラさんをクラスに馴染ませようと奮闘します。繰り返される時間に飽き飽きして、誰とも話さず身を委ねていたハラさんも、いつの間にか他のクラスメイトと外で一緒にお弁当を食べたり(いじめっ子に唐揚げをあげたり!)する仲にまでなります。合唱の練習にも積極的に参加し、ハラさんの発案したアイデアで音痴のモリモトさんも立ち直り、発表の当日に全員が揃うことさえ叶います。一周目とは比べものにならないほどのまとまりを見せるクラスでしたが、それでもやっぱりナイトウさんは前触れもなく「いなくなってしまう」のです。まるで、サカイリさんのお母さんが今はもういないのと同じように、それだけが決して動かせない既成事実であるかのように。
学校から見える山の上には発電所があって、そこの煙突から煙が立ちのぼっているという描写が劇中でなされます。発電所の煙突は二本あって、普段は片方しか使われていない、とも。
ナイトウさんがいなくなったあと、ハラさんが校庭であげる線香の煙は、発電所の煙と重なり合って見えます。一度目はハラさんが一人であげているので煙は一本、二度目はサカイリさんと線香を分け合っているので煙は二本。
すべては東京を離れた慣れない土地で、みんなとおそろいの三つ編みを切り落とし、一人の足で立つために、Sの一族がサカイリさんに見せた束の間の幻だったというのが、わたしのたどり着いた結論です。
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カミグセ「SとNの間の香り」
2016年12月22日~25日@渋谷SPACE EDGE
【脚本・演出】つくにうらら
【出演】やないさき(白米少女)、星秀美(レティクル東京座)、中村佳奈、植野祐美(ガソリーナ)、三村萌緒、レベッカ(DEPAY'SMAN)
【ドラマトゥルク】有吉宣人
【演出助手】瀬尾あゆみ、池田優香
【音楽】北島とわ/Portwal birch
【音響】とわ、大矢紗瑛
【照明】黒太剛亮(黒猿)
【照明操作】小川優(黒猿)
【舞台美術】愛知康子
【舞台監督】鳥巣真理子
【衣裳】茂原里華
【制作】飯塚なな子
【宣伝美術】嵯峨ふみか(カミグセ)