12月の2本
かるがも団地「秒で飛びたつハミングバード」
12月17日14:00 下北沢OFF・OFFシアター
かるがも団地という劇団とはつくづく不思議な共振作用がある。ここ2年間ずっと、どういうわけか公演時期は僕の心が弱っている時期と重なっていて、彼岸に足を踏み入れそうになっている僕の精神をその都度バックドロップで此岸へ引き戻してくれている、なんのレトリックでもない意味で命の恩人的な劇団でもある。いま一番手近に見える簡単な逃げ道の前に立ちはだかり、いま一番見ないようにしている悩み事と「感動のご対面」をさせてくれる、容赦ない優しさを持った団体だと思う。
本人の中では失われてしまった過去の栄光と、それでも周りからは過去に一度でも栄光を掴んだ者として接されることと、翻って今現在何者でもないことを誰よりわかっているという自己認識との合わせ技で三回転半くらい捩じくれた自意識の痛みも痒みも、最近あまり演劇に関われていない自分の身には思い当たる節がありすぎて、泣きこそしないものの全五臓六腑が悲鳴をあげていた。こんな主人公のザマをこのタイミングで見せてくれるんだもの、そりゃ見終えた後は前か上を向いて生きていかざるを得ないでしょう。過去の自分に示しがつかないもの。
バードウォッチングとボードゲーム、という2つのモチーフが出てきたところで最初に脳裏に浮かんだものはWingspanだったのだけど(知っているというだけでルールは理解してない)これが陽の家に置いてあったら何か少しは変わったりしただろうか。それはそれとしてCHIKUWORLDはコンポーネント作りたい欲も刺激された。
ちゃぶ台返しと見せかけてテーブルクロス引きのような幕切れも素晴らしかった。そこまでの物語を否定することなく、でも安っぽい奇跡として済まされかねない余韻はきっちり笑いで振り払う手際の良さ。
アムリタ「家、劇場、他人」
12月18日17:00 北千住・家劇場
もちろん、アムリタがそういう作風だってことは前々から知っていたつもりではあるけれど、余分なものを削ぎ落し、演劇の概念を「解体」じゃなく「素因数分解」した先に残った究極にミニマルな公演形態を見たような気がした。そしてそれが以前ほど頻繁には集まれず、綿密で長時間の稽古をすることも難しくなっている現状への、アムリタなりの真摯な回答なのだろうとも。
舞台空間が8畳しかなくても、それが普通の民家でも、軸となる大きな物語がなくても、俳優が二人しかいなくても(最小単位というなら本当は一人でもいいんだけど、その場合「二人目」は観客になるわけで、対話への参加を無理強いしないための、傍観者でいる自由を残す余地として二人とも俳優にしたのかもしれない)、お互いの素性を他人になって語り(演じ)なおすだけで成立する演劇。幾度も破れては補修された障子紙。石油ストーブの暖かさ。家劇場という「場所」にあらかじめ埋め込まれた個人史の痕跡。記憶の中に存在する実家の間取りと(全く同じではないが)どこか似通っている風景が、芋蔓式にいろいろなことを(目の前で行われている演劇と関係あったりなかったりすることごとを)思い出させてくれる。
すべての演劇がそうなってしまったら退屈かもしれないが、この先世界がどうなってしまっても、こういう演劇がどこかに1つくらいは存在していてほしくって、それがアムリタの手によって紡がれていることが個人的にはとても心強かったりした。