Stereotype test/path/pass/があのとき区切った/または区切ら/なかった/もの

離す事を、話して。
書く事を、掻いて。
欠けてしまった私たちを、放して。

透明なガラスの容器に透明な液体が入っている。容器は一般的なコップに見えるが、それを持った役者が舞台前面まで来た時に目を凝らして観察すると、容器の縁がやや分厚くなっていて「大関」などのカップ酒の空き瓶にも思える。中に入っているのはおそらく水だろう。しかし容器がワンカップに見えたように、劇中のあるシーンではそれは酒である。ぱっと見で区別ができないのを利用して日本酒を水だと偽り飲ませるみたいなアルハラが一昔前の飲み会などで流行ったが、劇中に登場する人物はそれが水なのか酒なのか、瞬時に的確に言い当てることができる。言い当てるというより、決めつけることができる。なぜならそれは「いま見ているものが演劇で、そのフィクションの中では水/酒と呼ばれている液体」だからだ。直接触りに行くことも飲みに行くこともできない客席からは、俳優の(脚本の)自己申告だけが信じられる(信じるしかない)唯一の証拠になる。

そして時には、その透明な液体は、墨だ、とも呼ばれる。墨を持ってきました、と言いながら現れた人物の手にしている液体が透明なのを見て「墨じゃないじゃん」とクスクス笑うことは簡単だ。簡単でないのは、透明だからという理由だけでそれを墨ではないと説得することだ。

ここで唐突に話は飛ぶ。

水色と青色は厳密には違う色だが、水色のものを指差して「その青いやつ取って」といえば大抵は伝わる。だとしたら、そこに境界線はあるのか? たとえば(専門的な知識がないくせに付焼き刃の用語を使うが)「光線の波長が450~495nmのものを青と呼ぶ」というJIS規格があると誰が知っているのか? もし知っていたとして、青いものを目にするたび僕たちはいちいち波長の数値を計測したうえで判断を下しているか? 微妙に青の定義から外れた496.5nmの可視光線をみて「これは青ではない」と断言できるか? あるいは幼いころに赤色のことを「青」だと教育されてきた人を相手に、赤が「青ではない」ことを説明する方法はあるか? 逆に、僕たちが生まれてこのかた「青」だと思い込んできたこの色が「絶対に青である」と客観的に証明することはできるのか?

話を元に戻す。戻すといいつつ、また違う場所へ飛んでしまうかもしれない。もし勝手に飛んでしまっていても許してほしい。

「ステロタイプテスト/パス」の最初のシーン。舞台上のある場所に、深積(ふかづめ)イリヤという登場人物が連れてこられる。彼は漢字が書けないので「海」という漢字を教わっている。イリヤという下の名前が名字っぽいのでイリヤ君と呼ばれている。それとは別にフカヅメという登場人物もいる。彼は深爪をしており、だからそんな名前で呼ばれているのかと思いきや、じつは本名もフカヅメらしい。彼は漢字が書けないので「海」という漢字を教わっている。水に関係する字には「さんずい」がつく、ということは理解しているが、「さんずい」の書き方が理解できない。点を三つ打てばいいだけだと言われるが、縦に三つなのか横に三つなのか、どれくらいの間隔で打てばいいのか、それがわからない。

ところで、榛名田(はるなだ)うみという登場人物がいる。漢字かな混じりの表記なので「はるなだ/うみ」なのではないかと推測できるが、皆からは「だうみ先生」と呼ばれており、自分もそう呼ばせたがっている。つまり、自分のフルネームを「はるな/だうみ」で区切るのだ。それとは別に、だうみという人物もいる。ややこしいが、榛名田うみとは別のだうみであり、同一人物でもあり、そしてフカヅメとも同一人物である/かのように扱われる。この人物がいるおかげで、「はるなだうみ」はどこで区切れるのか問題の前に、「ダウミフカヅメ」はどこで区切れるのかという新しい問題が出現する。だうみは「ひとつの漢字に複数の漢字があって、たとえば“動”という字は“重”と“力”というそれぞれ単一の文字に分解できるし、“重力”という熟語もあるが、たとえばおもいっきり乱筆な、横へ倍角くらいに引き伸ばすように書かれた“動”という一文字と、狭いスペースへぎゅうぎゅうに押し込むように詰めて書かれた“重力”という二文字は、どうしたら区別できるのか」といったことで悩んでいる。

それとは別にハルナという登場人物もいる。彼女は墨を欲している。ふつう墨は字を書くためのもので、現にハルナも字を書くために墨を必要としているのだが、ハルナは墨を飲んでしまうらしい。/ところで、その場所はアルコール依存症を治療するための施設かなにかである。そのため、墨/水(が入ったコップ)は、マホという別の女性に「またお酒を持ち込んで!」と言って取り上げられてしまう。/ところで、その場所は超能力(テレパシー)を開花させるための断食道場であり、実際に断食によって(当日パンフレットの人物紹介によれば、1日27時間働くことによって)超能力を身につけたエムオカという男が代表だかなんだかを務めているものの、本当に超能力が身につくのかどうかは甚だ疑わしい/ところで、その場所はアルコールに汚染された水の流入を防ぐためのコンクリートを作る工員たちの休憩所であり、饅さんという名の男が「お腹が空いたら力が出ないだろ」と大量のパンを配っている/ところで、その場所は超能力を開花させるための断食道場であり、パンを食べることは禁止されている/ところで、ここは劇場であり、音や光の出る電子機器はあらかじめ電源を切るなどして電磁波の出ない状態にしておかねばならない。電磁波は人体に有害である/アルコールは人体に有害である/ここの水はもうすぐアルコールに汚染されてしまう/酒は水と同じ液体だがアルコールが含まれている/ハルナは墨を飲んでしまう/墨は毒だから/アルコールは体に毒だから/ハルナの体はアルコールへの依存で/電磁波の影響で/墨を飲んでしまったせいで/麻痺していて、背中にだけ感覚が残っているから、フカヅメ/イリヤはハルナの背中を掻くようにして指で文字を伝えようとする/しかしフカヅメ/イリヤは「さんずい」の書き順がわからないので点を三つ、横並びに打ってしまうが、ハルナはそれが「さんずい」であること、「さんずい」の書き順を間違えたものであることをただちに理解できる。/フカヅメ/イリヤは三つの点の間隔がわからない/ハルナは背中にしか感覚がない/電磁波は有害だから電子機器の持ち込み自体を禁止にしようとエムオカは提案する/ところで、エムオカのところで/饅さんの下で/働いている千五内輪という読み方も区切り位置もわからない名前の男が持つワープロには電源がついておらず/にもかかわらずエムオカはそれが電子機器であるからという理由だけでワープロを取り上げようとする/ずっと小説を書いているという千五内輪は確かにキーボードをたたいているし、キーボードはカタカタと音を立てて反応するものの、文字はどこにも記録されない/

少し飛びすぎたかもしれない。ともかく話を戻す。元の場所かどうかは分からないけれど。

「ステロタイプテスト/パス」の最後のシーン。舞台上のある場所/アルコール依存症の治療施設/超能力のための断食道場/汚染水流入防止の工員休憩所/に、榛名田うみが連れて来られる。イリヤは、冒頭のイリヤと同一であるかのようなシチュエーションで登場しただうみに対し、「私はもう少しおどおどしていました」と指摘する。その指摘は、だうみの耳には届かない(届いていたとしても無視されるので届かないのと同じになる)が、それは演劇の稽古で演出家がやるダメ出しと似ているし、書道/習字の先生による朱入れにも似ている。筆に力をこめすぎてはいけない/そこは止める/のびる距離が違う/そんな順番ではない。イリヤの届かない指摘は、訂正としては全く正しいのだけど、そんなことで演劇は止まったりしないし、「冒頭でイリヤが登場してから今に至るまで」という「お手本」を一度見ている観客からすれば/書き取りの練習などを繰り返して漢字を見慣れている人間からすれば、動線が多少もつれていようが/とめ・はね・はらいが不充分であろうが、セリフを話す人物や配置が入れ替わっていようが/書き順が間違っていようが、同じもの(ステロタイプ)の軌道(パス)として理解される/へたくそに書かれた文字でも何の漢字であるか特定して読むことができる。どうしてそんなことができるのか、詳しいメカニズムはわからない。けれど、少なくとも、人が動いているから、前と同じだったり、違ったりしながら、似ていたり似ていなかったりを比べることができるから、かたちが残っているから、できるのかもしれない。

水も酒も墨もアルコールも電磁波も麻痺も小説も名前さえも、すべては誰かの自己申告にもとづいた決めつけによってしかここに存在していない。水面に指で書いた文字は残らない。背中に指で書いた文字は残らない。超能力(テレパシー)は届かない。水の中に混入したアルコールは異物であるにもかかわらず見分けることができない。透明な液体が水なのか酒なのか墨なのか、榛名田うみとハルナ/だうみは別人なのか、僕たちは知ることができない。それでも人は動いていた。約80分間、ほとんど止まることなく動いていた。どこに行くつもりでもないのに、どこにも行こうとしていないのに動いていた。早口で/他の声にかぶさって/あるいは小さくて/言葉の意味までは理解できないことがあったとしても、声はずっと聴こえていた。かたちが残るとはそういうことだと思う。自分以外の誰かが動いた軌跡を追うことで、上からなぞることで、自分以外の誰かについて考えることができる。

そういえば前作「キメラガールアンセム/120日間将棋」も、将棋の棋譜をなぞることで誰かが動かした駒のかたちについて考える話だった。「キメラガールアンセム」のラストはコップ一杯の水が床にこぼされるところで終わった。今回のラストでは黒い床の一部分、半紙のようにそこだけ白く窪んだ水溜りに、コップ一杯の墨(ほんとうの、黒い墨だ)がこぼされた。墨は不規則に広がって、なんだかよくわからない模様を描いた。それは意味のないただの模様でしかなかったけれど、偶然なにかの漢字に見えることもあるのかもしれない。現にハルナは「あ、」と小さな驚きの声をあげた。すくなくとも、そこで初めて、かたちは残ったのだ。

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The end of company ジエン社「ステロタイプテスト/パス」

 2014年1月10日~14日@日暮里d-倉庫

【脚本・演出】作者本介
【出演】安藤理樹(PLAT-formance)、伊神忠聡、岡野康弘(Mrs.fictions)、小見美幸、川田智美、清水穂奈美、鈴木遼、矢野昌幸、山本美緒、湯舟すぴか、横山翔一、善積元
【音楽】あらいふとし(one cake size feathers)
【舞台美術】泉真
【舞台監督】鈴木拓
【照明】南星(Quintet☆MYNYT)
【音響】田中亮大
【演出助手】吉田麻美、岡本セキユ(劇団森)
【宣伝美術】サノアヤコ
【書道協力】佳花
【制作】池田智哉(feblabo)

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