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FLOWERSの音楽

本当は秋篇3週目を完走した上で考察に関して書くつもりだったが、先延ばしにしてFLOWERSの音楽に関して書こうと思う。

まず、FLOWERSは季節ごとに主題歌とは別でキャラクターたちが歌を歌うパートが存在する。また、作中以外でもアルバム収録、2018のアコースティックライブで歌唱された歌も存在する。
FLOWERSは特別音楽を一番に題材としているわけではない。
しかし、音楽の要素自体は確かに色濃い。
そのことを書いていければと思う。
考察から読みたい方は大見出し3へスキップ推奨。
本編のネタバレを含むため注意。


1.FLOWERS作中の歌

主題歌以外の作中にキャラクターたちが歌ったものを紹介していく。

①Tota pulchra es Maria(匂坂マユリ)
春篇の聖母祭でマユリが歌った聖歌。
聖母祭で聖母役に選ばれた生徒が歌う義務があるため、儀礼的だと感じることもあるが、蘇芳が伴奏を務めたことにより、一番幼かった二人の成長を感じられるシーンとなる。
ラテン語のため、聴き馴染みの無い言語でアングレカム学院の非日常性も強調されている。
また、アングレカム学院は基督教の学校ということで秋篇で譲葉とネリネが二重唱を行った。

『FLOWERS-Le volume sur printemps-』

②Chaleur(考崎千鳥)
夏篇で千鳥が歌う。作中に千鳥の鼻歌として何回も登場するため、この曲の存在は色濃い。
えりかとの初対面の時も、えりかと結ばれ、その後の日常でもこの曲を歌っていた。

『FLOWERS -Le volume sur été-』ラストシーンより


この曲を一言で言うならば、"FLOWERSに並ぶ、FLOWERSを語る代表曲"。グロリオサの花言葉の作中で流れたことから、過去の記事でもこの曲には触れていたのでそちらを引用。(文末が定まってなくてすみません)

本作はエンディングとして、最後に「Chaleur」が流れる部分も印象深かったです。

「深く眠る 棘の棘に囲まれている私 いつかは目覚めさせてくれる」

えりかと共に棘の中で目覚めることができた夏、冬で王子役を共に行ったマユリとの出会いも含め、1年の月日を経て本当の意味で「自分にとってのバレエはなんなのか?」という疑問(棘)から解放される。

夏篇では目覚めさせてくれたのはえりかだと考察することができましたが今は違う。

流れた部分で思いました。そもそも「Chaleur」がFLOWERSそのものを体現しているのではないか。どの登場人物もそれぞれ棘に囲まれた状態から自分で抜け出して自身の夢へ向かっていく。

四季のアンサー『グロリオサの花言葉』感想と考察|まつの

この曲の真の意味がわかったような気がするのはグロリオサの花言葉。
夏篇では過去のしがらみが消え、新しい考崎千鳥として一歩踏み出した曲として歌われた。

③虹の魔法 二重唱(八代譲葉&小御門ネリネ)
秋篇で、合唱祭で歌われた楽曲。オープニングの方は霜月はるかさん歌唱。ここでも譲葉とネリネが歌っていた。
虹の魔法自体はFLOWERSの世界では有名なPOPS(おそらく)とされている。えりかさえも聞いたことがあると作中で話していた。
前提は違えど二人で手をとって、学院を超えた世界に飛び込んでいく。
成長結果よりも、"彼女らのその後"をイメージした歌となっている。

『FLOWERS -Le volume sur automne-』

④FLOWERS 三重唱(白羽蘇芳&匂坂マユリ&花菱立花)
この曲無しで本作を語れない。
本作のオープニングとエンディング両方を飾ったこの曲。霜月はるかさん歌唱の春篇オープニング版とは変わり、蘇芳&マユリ&立花の3人が三重唱をおこなう。花開く前をイメージする、アップテンポな春篇オープニング(原曲)とは異なり、どこか寂しくも力強い歌である。四季の色んな記憶が蘇ってきていつ聴いても涙が出てきそうな感じ。
3人で作詞作曲した設定というもの感慨深い。プレイ前とプレイ後で意味が何度も変わってくるような楽曲だ。
唯一の三重唱楽曲がこの曲なのも大いに頷けるし、この曲を良さを最大限に引き出すカバーはこの3人しかできない。

『FLOWERS -Le volume sur hiver-』


オケコン、アミティエ三重唱が聴きたい…

2.Le bouquet収録歌に関して

作中で歌われたわけではないが、アルバムで後に収録された歌に関して。

①夏空の光 二重唱(八重垣えりか&考崎千鳥)
これもオープニングの鈴湯さん歌唱の曲のカバーである。二人の掛け合いが美しい…
まだ生演奏での披露がされていない楽曲のはずなので、いつか声優のお二方の出演が叶えば絶対に聴きたい。

②Fairy Wreath
ドラマCD『スノウホワイト』作中歌であるが、四季の後なのでこちらに。
教員組の過去に触れられており、一見完全に見える彼女らも元は未完成で不完全な少女だったことがわかる。それは今未成年の主人公たちの今後の未来を示唆するものでもあり、教員組の成長してきた証でもあるこの曲。

③Chaleur 二重唱(沙沙貴林檎&沙沙貴苺)
長妻さんの歌い分けがすごすぎる楽曲……
やはり大きく成長した二人を感じられる。
先ほど触れた通り、この曲はFLOWERSの概念そのものであることから、どのキャラクターが歌っても解釈違いみたいなことにはならない。
想いを寄せていた譲葉がいなくなり長い夜を超えた上で、自分で未来を切り開こうとする二人の二重唱は初めて聴いた時泣いてしまいそうだった。

そのほかにも、2018年アコースティックライブでのみ歌われた『Tota pulchra es Maria 二重唱(匂坂マユリ&花菱立花)』,『Chaleur 二重唱(沙沙貴林檎&八代譲葉)』など多くのバリエーションの歌が存在する。

3.彼女らが歌うときって…

簡単に曲を紹介してきたが、作中にない歌を含めて、
そもそも彼女たちはどんな時に、なぜ歌を歌うのだろうか
ふと秋篇3週目をやっていく上で考えた。

学校行事だから、歌が好きだからと表現すればここでこの記事は完結するので別の表現を考えてみることにした。
聖歌だから歌わなければならないこともあるが、虹の魔法というポップスを歌っている地点でその説はないと思う。

例えば、①Tota pulchra es Maria(匂坂マユリ)(以下トータプル)に関して。
選ばれたから、で歌ったことは間違いないのだが、伴奏の蘇芳の立場も重要となってくる。
立花が選ばれると誰もが思ったが、学院の様々な事情(複雑なので冬篇を参照してください)によって聖母役(歌う役)に選ばれたマユリ。またピアノがトラウマだった蘇芳だったが、一歩を踏み出そうと挑戦する。作中ではトラウマに耐え切れず演奏が止まってしまうのだが、マユリの支えによって最後までやりきることができた。
この時マユリと蘇芳はまだ恋人ではなく同級生同士の関係だった。でもその後は恋人となりやがて5年後の未来を描いたFLOWERS20およびオーケストラコンサートでは、二人で同棲をしながら大学に通い目標に向かって努力し続ける様が描かれる(予定である)。
だから、この曲は二人で歩み続けるという未来への伏線、示唆のようなものではないかと思う。輝かしい未来が待ち受けていると信じて。
一番多くのパターンで歌われるChaleurもそうだ。
それぞれが持ついばらの棘から抜け出していく花が咲くために、それぞれの夜を乗り越える様を描く。
例えばえりかにとって新しい出会いや挑戦の機会があり、大いに成長できた夏は蘇芳にとってマユリを待っていた、探しては自責していた夜で、譲葉とネリネが学院を超えた先の二人の世界こと冬は、沙沙貴姉妹にとって寂しさと悲しさもあったであろう夜で。
①の輝かしい未来だって、当人から見れば完全に不確定だ。
夜が明けなかった、先がさらにいばらの棘だらけだった可能性もある。
それでも彼女らは歌い続ける。
作中では歌われていない楽曲たちは本編の情報の捕捉かと思っている時期もあった。(作中少ししか描かれなかったいちりん要素など)
でもそれだけではないと思いたい。
正直、四季だけでは全員が正真正銘のハッピーエンドかと言われればそうではないと思う。特に立花や沙沙貴姉妹に関して、どこか幸せを掴んだキャラクターらの踏み台になっていたような気がしてならなかったのを覚えている。
それも踏まえた上で、ドラマCDやFLOWERS20など外伝作品も含めて幸せをつかんでいくような作品だと思う。
つまり本編だけでは完結しない、常に未完成を完成へ追い続けるような作品であるように思える。
勿論、歌のシーンはすべてにおいて重要なシーンだ。
(エンディングへの繋ぎだったとしても。)
FLOWERSという作品に関して、ずっと成長というワードを挙げてきたが「じゃあどこが変わったポイントなの?」とターニングポイントの所在を聞かれても、学校行事以外の言葉は出にくいことがある。
私はこの記事で書いてきた歌というものが明確なターニングポイントではないかと考える。儀礼的に歌ったから変わることができたというよりかは、変わるために歌うのではないだろうか。
不完全な今でも、不確定な未来に対して進み続けるために彼女らは歌う。

4.でも、これって…

ここまで考えてみても思う。
それってどのジャンルのアーティストでも同じではないかと。
不完全な今でも、不確定な未来に対して進み続けるため….

UVERworldへの感情を率直に|まつの

ここでFLOWERSと好きなアーティストたちのメッセージ性、力強さに繋がる。
上の記事で書いたアーティストはそのメッセージ性はダントツ。
FLOWERSという1ゲームが好きなオタクから、バンドリやUVERworldを経由してロックやポップスが好きな音楽ファンになれたのは必然だったことに気が付いた。
逆に音楽が好きな人がFLOWERSに行きついてくれるかは微妙だけど、音楽というものに励まされ続けたからこそ少なくとも自分に関してはそうだと言える。
FLOWERSは音楽なんだ。

音楽ならば。
進み続けるための証ならば生で絶対に目撃しないといけない。
彼女らの潜在表明を見なければならない。
ここでもやはりオケコンに繋がる。

オーケストラコンサートのチケットは既に取得済なのだが、好きな音楽として応援するならば誰しも願うことがあるだろう
そう、SOLDの4文字。
私はFLOWERSというゲームに対して、万人に知ってほしいだなんて傲慢なことは思わない。
でも推しのコンサートの空席が目立つ光景が見たいとはもっと思わない。
不完全な今でも、不確定な未来に対して進み続けるために彼女らは歌う。
2018年のコンサートに応募すらできなかった後悔を危うく一生引きずるところだった私だからこそいえる。
SOLDしてほしすぎるな~~~~

ずっと彼女らに関して触れてきたが、別に彼女らを主軸として聴く必要はない。
誰しもが主人公になれる。アングレカム学院に行くことができる。
自意識過剰なのは承知だがそういう感情も含めて7年間聴いてきた。
そんな魅力を持つFLOWERSの音楽を目撃できる日まであと74日。

来月は多分秋篇について書きます。







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