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ごきの友達論〜追放編〜

※「2015/7/10」に投稿された記事です

こんにちは。
つい最近、自分に破壊の才能があることを自覚したごきです(笑)


前回私は、中学時代に「友達の輪」という国の入国審査を通されず、痛い目にあった話をしました。

そして今回は、私が入国審査を通って「友達の輪」の住民になれたものの、わずか1ヶ月でその国から追放されてしまった話をさせて頂きます。



あれは私が高校生になり立ての頃でした。

私は中学時代にいじめられた経験を悔やみ
「今度はいじめられないようにしよう!」
と意気込んでいました。

クラスに知人がいなかった私は、最初は「友達出来るかな...?」と不安を抱いていましたが
そんな私に話しかけてきたのがHさんでした。

Hさんは私が中学時代、クラス合同で高校受験の面接練習をしたときに出会い、そのときだけ話をした子でしたが
高校に入学した際、私のことを覚えててくれてたみたいで、すぐ私に話しかけてくれました。

それから私とHさんは、お互いに趣味も合うということから友達となり
移動教室の授業があるときは一緒に行ったり、お弁当も一緒に食べたりしていました。

それだけではなく、Hさんは明るい子で、クラスのいろんな子に話しかけては、すぐにその子を自分の「友達の輪」に入れてしまうという、とても積極的な子でした。

そんなHさんのおかげで、気がついたら私は6人以上の「友達の輪」の中にいました。

私は入国を認められて「友達の輪」の住民になれたのです!

その時は凄く幸せで、毎日がとても楽しい日々でした。


それから約1ヶ月が経ったある日
ゴールデンウィークが終わってから最初の登校日でした。

Hさんは私のことを避け始めたのです。

私も最初のうちは「自分の勘違いだろう」と思い、気にしないようにしていました。

しかし、いつもなら一緒に行っていた移動教室の授業も他の子と先に行ってしまうし
お弁当は一緒に食べてくれるものの、他の子とは楽しく話すのに私と話すときだけ冷たく対応してくるのです。

このときの私は、Hさんのことを
「中学時代にクラスの嫌われ者だった私と仲良くしてくれた、優しくて大切な友達」
だと思っていたため、彼女に嫌われているということを信じたくありませんでした。

しかしその微かな想いも、その日の放課後に打ち砕かれることとなってしまいます。


その日の帰りのホームルームで、クラスの席替えが行われました。

その席替えで、私は偶然Hさんの斜め前という、とても近い席になりました。

そして放課後になった途端、Hさんは他の子たちに「ごきと近くの席になった」という悲劇を嫌そうに話していました。

しかも、彼女はそれだけでは飽き足らず、友達に愚痴をこぼし終わったあと
誰かに電話をかけ始め、その電話の相手にも同じ愚痴をこぼし始めました。

私はこのとき初めて、Hさんに嫌われていることを確信しました。


しかし私は、Hさんがどうして私のことを嫌いになったのかが分からなかったため
その訳を聞いて、Hさんと仲直りをしたいがためにメールを送ったり、電話をかけたりしました。


その結果、メールも電話もHさんには繋がりませんでした。
Hさんは、私からの連絡までも着信拒否していたのです!


こうして私は、Hさんの「友達の輪」から追放されてしまったのでした。




以上となります。

Hさんとはゴールデンウィーク前までは、一緒に笑って学校生活を過ごしていたのに
ゴールデンウィークが過ぎてから急に嫌われてしまいました。

私は裏でも表でも、Hさんを傷つけるようなことを言った覚えはないし、しつこく付き纏ったりなどもしていません。
私から見て、Hさんに嫌われるような心当たりはないのです。

・Hさんは席替えのあと、誰かに電話をかけていた
・放課後に直接会いに行かずに電話をかけるということは、同じ高校の子ではない可能性が高い
・Hさんと私は同じ中学校出身
・そして私は中学時代、クラス中からいじめを受けていて、校内にも私を嫌う人が多かった

これらのことから、当時の私がした推測は
きっとゴールデンウィーク中に、Hさんに私を嫌うように仕向けたのは、あの日Hさんが電話をかけた相手ではないかと思っています。

同じ中学に通っていたHさんなら、私のことを嫌っている人と友達であってもおかしくはないからです。


上記の推測通りであるならば、今回の出来事は
私は高校に入学して、Hさんの入国審査を通過でき、ようやく「友達の輪」の住民になれたのに
一人の黒幕がHさんを影で動かしたことにより、私はHさんにパスポートを壊され、再び不法入国者となってしまったということになりますね。

そして、無実の私は再び国家権力から攻撃される対象となってしまいました。

この日のことは、今思い出しても心が痛みます…。
当時の私は、悔しくてたまりませんでしたから。


『どうして私ばかりこんな目に合うのだろう...。
どうして誰も、私の無実を証明してくれないのだろう...。
どうして私にはいつも味方がいないのだろう…。

神様は私には残酷だ!
そして、私をいじめる人たちにはとても優しい!』


あの後の私は、ずっとこんな悲劇のヒロインのようなことばかり考えていたと思います。
あれから暫くは、友達が信用できなくなってしまいましたし…。


これが、私が入国審査を通って、「友達の輪」の住人になれたものの
わずか1ヶ月でその国から追放されてしまった話です。

次回は、今回の追放編と、前回の入国審査編から学んで生み出した、「私の友達論」についてのまとめをお話します。

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