「食事の用意は自分の世話」という考えとインコの思い出
食事の用意とは、自分のお世話の一環なので大人なら自分でやって当たり前。わたしはそう思っていました。
しかし、どうやら自分の食事の用意すらしない?できない?人もいるようですね。
今回は、男性が料理をするのは当たり前という環境で育ったわたしの考えを、インコの思い出とともに紹介します。
男性陣が料理をすることは当たり前の我が一族
わたしの親族は全体的に男性が料理をすることが当たり前でした。
わたしの父はラーメン屋をしていたから料理は本業。
2024年にラーメン屋を閉店してからは、自宅で食事をサッと作って暮らしています。
父方の親戚たちはアメリカ人が多く、集まったときには、いとこの息子がハンバーガーやサラダ、パスタなどを作ってくれます。
そんな環境にいたからか、わたしは男性でも女性でも自分と家族の食事くらい用意できて当たり前と思って生きてきました。
「ヤスイカラカッテキタ!」
わたしが小学生の頃の話です。いとこの家では青いセキセイインコ、その名も「チーコちゃん」を飼っていました。
チーコちゃんはとてもよく言葉を覚える子で、いとこの高い声と、伯父さんの低い声のマネも使いこなすほど。
「チーコちゃんだよー」「めんこちゃんでしょー?」とよく連呼していました。
※めんこちゃんは北海道の方言で「かわいい」という意味
いとこの家では、毎日の料理は伯父さんが担当していたので、食材の買い出しも伯父さんが担っていました。そして家に入ってくるときは決まって「安いから買ってきた!」とアピールするのです。
そのため、チーコちゃんも「ヤスイカラカッテキタ!ヤスイカラカッテキタ!」と毎日アピールするようになりました。
大人になってからいとこと話していたとき、「お客さんが来てもヤスイカラカッテキタ!ってチーコが言うから恥ずかしかったんだよね」と。
二人で思い出して爆笑しました。
男性も当たり前に、自分のお世話はできるはず
2010年、母が亡くなりました。父も母も生まれ育った街に住み続け、飲食店をしていたこともあって知り合いがとても多くいます。
葬儀やらなんやらで連日大勢が家に訪問し、フラフラになりながら対応していた父とわたし。そんな葬儀の前後で、かなりの人数のオバサマたちから同じことを言われました。
「お父さん、料理できるから本当に良かったね」と。
「食事が一番心配だけど、その点は大丈夫だね」「うちのお父さんは何にも作れないのよ」とか言っていたと思います。
そのときはとくに深く考えなかったのですが、さて、男性が料理することはそんなに珍しいことなのでしょうか?
一人の大人として社会で生きていくなら、食事の用意は基本的なことだし、自分の世話をしているに過ぎないと、わたしは思うからです。
今でも、たまに「お父さん、家事も料理もなんでもできるから良かったね」と言われることがあります。
そんなとき、スマートに「そうですね」と微笑めればよいのですがうまくできず、わたしは「フェー」と変な音を出してしまったりするのです。
性別に関係なく、誰しもが自分と家族の食事くらい当たり前に用意できるといいな、とわたしは思います。