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ある家族の帰り道へと続く物語…『ミオリネ・レンブラン』の視点から水星の魔女を紐解く


はじめに

Season1が2022年10月2日から2023年1月8日まで、Season2が2023年4月9日から7月2日までにかけて放送されたアニメ『機動戦士ガンダム水星の魔女』のヒロイン、ミオリネ・レンブラン。
 ミオリネは2024年5月現在の今なおX(旧Twitter)などの各SNSで数多くのファンアートやSSといった二次創作が盛んに投稿されている人気の高いキャラクターです。
 その一方、ミオリネは滅多に他人に弱みを見せようとしない性格であったり、言葉足らずな面があることから、作内外で言動が誤解され、行動の真意が理解されなかったりします。この誤解は作品内ではきちんと解かれてるのですが、視聴者の中には程度の差こそあれ、ミオリネのキャラクターを誤解したままという人もいます。
 脚本を務めた大河内一楼氏がインタビューで発言していたように、水星の魔女はスレッタとミオリネ、二人の物語です。当然、ミオリネの行動が物語の展開を動かす場面も多いため、ミオリネという人物を誤解してしまうことは水星の魔女という作品自体の物語的価値を損なうことにも繋がります。

 そこでこの記事ではなぜミオリネがそこまで高い人気を得て、いまだ愛され続けているのか、ミオリネに関するいくつかの誤解や一部視聴者からのネガティブな批判、ミオリネの欠点と言える部分にも触れつつ、本編のストーリーや描写に沿って彼女の魅力を解説していくことで、ミオリネというキャラクター、ひいてはミオリネの視点から見た水星の魔女の物語についても深く掘り下げていきたいと思います。

※ストーリーを振り返りつつキャラクター性を掘り下げるという記事の性質上、文量が多いです。特に①の項目では以降の項目と比較して本編描写をより仔細に記述していることに加え、ミオリネの境遇や水星の魔女のテーマも合わせて解説しているため殊更長くなっています。
 各見出しに参考したエピソードの話数とその項目内の文字数を表記しました。

 また小説版の内容も参考にしているため、アニメでは描かれていないものの小説版で描写されたキャラクターの心理面などについても解説してますが、一部特に注釈なく小説版の描写及び雑誌インタビュー等の記述を表現を変えて用いています。
 アニメ本編、オリジナルエピソード込みの小説版のネタバレを多分に含みますが、各ドラマCDついては高額なBlu-rayディスクの特典として付属する物であることを考慮し、ネタバレを避けるため基本的には深く言及しません。





①「人の人生勝手に決めるな!」――抑圧の中でもがく少女――


儚げな容姿のお嬢様かと思いきや……(1話前半)※5070文字


 この項では本編一話のストーリーをかいつまんで振り替えると共に、ミオリネの境遇と基本的な性格を解説していきます。

 ミオリネ・レンブラン(以下ミオリネ)は作中世界におけるモビルスーツ製造産業の最大手である複合企業『ベネリットグループ』の総裁デリング・レンブランの一人娘です。

 父デリングが理事長も勤めているアスティカシア高等専門学園に通うミオリネと、水星からアスティカシアに編入してきた主人公スレッタ・マーキュリーとの出会いから水星の魔女本編の物語は幕を開けます。

 その出会いといえば、水星から輸送船に乗ってきたスレッタがアスティカシア到着寸前に宇宙空間を漂流していたミオリネを発見し救助したものの、スレッタはミオリネから感謝されるどころか激しい頭突きを食らったあげく、

「もう少しで脱出できたのに、あんたのせいで台無し! 責任、とってよね!」
 
 と怒鳴りつけられるというものでした。スレッタも迫力に押されてつい、意味もわからないまま、「……はい」と頷いてしまいます。

 キャラクターデザインを一見して受ける儚げな印象を一瞬にして粉砕するミオリネの初登場シーンですが……善意の救助活動に対してこの反応なので、流石にこの時点で彼女に好印象を持った視聴者は少ないかと思います。――初見の印象から受けるのは、平成初期頃によく見られたような高飛車で暴力的な少々古臭いタイプのヒロイン像……ですが、ミオリネは物語が進むにつれて、古臭いどころか今までなかった新しいヒロイン像を獲得していきます――

 その後場面は切り替わり、スレッタは無事にアスティカシアに到着。二人の再会はすぐにやってきました。

 授業に遅れて参加してきたミオリネに、スレッタは「責任とります!」と今にも逃げ出しそうに腰が引けた様子で声をかけます。

「脱出、手伝います。どどど、どうすればい、いですか?」

 それに対しミオリネは「あ!あの時の邪魔女!」と昭和の少女マンガさながらのリアクションを返ました。

 二人のやり取りを見ていた周囲の生徒がざわめきだし、余計な詮索をされたくないミオリネはスレッタをきつい口調で詰りました。

 生徒の一人、フェルシー・ロロが「責任、取ってもらったらいいじゃないですか」と挑発的にミオリネを煽ります。
 フェルシーの隣にいるペトラ・イッタも嘲笑うような表情をミオリネに向けていました。

 ミオリネは理事長の娘であり、座学においては学園トップの成績を誇る優秀な生徒です。いわゆるスクールカーストにおいて自ずとクイーンの立場に収まるようなステータスを持つ彼女が、なぜか明確な敵意を向けられており、それを庇おうとするような者もいません。

 このすぐ後の場面でミオリネ自身の口から語られることですが、アスティカシアでは生徒同士が大切なものを賭けて決闘し、決闘の最優秀者はベネリットグループの総裁令嬢であるミオリネと暫定的な婚約関係を結ぶことになります。

 いわばミオリネは決闘の景品ですが、学園の生徒達は悪びれない無邪気な態度でこの『景品』という言葉を用いてミオリネを揶揄します――これは小説版の2話に記述されていることですが、多くの御曹司達から結婚を望まれる『景品』としての人生を良いものであると捉える人間は学園内に少なくないのです――

 事実、1話開始時点でのホルダーはベネリットグループ内でも最上位の業績を誇り、御三家の一角に数えられるジェターク社の御曹司『グエル・ジェターク』です。グエルは御三家であることに加え、その振る舞いや容姿から学生間の人気の高い生徒なので、ミオリネは多くの生徒から羨まれていることが推測できます。

 しかし、当のミオリネは決闘で自分の生涯の伴侶がシステマチックに選別されることを由とせず、地球への脱出劇を繰り返しては失敗し、グエルへも邪険に接していました。

 生徒達の声を想像し、あえて言葉にするなら、彼らにとってのミオリネは、

『恵まれた立場にありながら、いつまでも駄々をこねている我が儘お姫様』
 
 といったところでしょうか。
 人気者のグエルの婚約者でありながら彼に一切なびかないのも反感を買う理由のひとつと考えられます。
 
 当然、ミオリネは父の威光を振りかざすようなこともしませんので、生徒達もミオリネの背後から自分たちが所属するグループ総裁の現れる危険に怯えることもなく、平然とミオリネを揶揄できるのでしょう。

 そのような背景と、アスティカシアの――いわゆるモブ――生徒達の多くに見られるゴシップ好きで差別的で高慢な性格も手伝って、ミオリネの存在は学園内で軽視されており、成績優秀で容姿も家柄も恵まれているミオリネは尊敬されるどころか嘲笑の的です。
 なまじ優秀で恵まれているからこそ、体のいいストレスの捌け口にされていた面もありそうです。
 本来優れている人物を公然と見下し、優越感に浸る……後に決闘に敗北し寮を追われたグエルが受けた扱いを見ても、アスティカシアにはそういった自尊心の満たし方を是とする風潮が少なからず在ります――水星の魔女の世界観や展開には、しばしば厭なところでリアリティのある描写が散見されますが、学園内でのミオリネや地球寮生の扱い、グエルが受けた仕打ち等もそのひとつと言えます。差別の横行、凋落した者へ向けられる嘲笑と侮蔑……日曜日の夕方放送の学園を舞台にしたアニメで爽やかな青春を描かないあたり、ガンダムシリーズらしいとも言えますが……――
 
 
 授業中ということもあるでしょうが、煽られたミオリネはフェルシーを睨みつける程度の反抗しか出来ませんでした。
 そんな中、突然警報が鳴り響き、決闘の真っ最中の二機のモビルスーツが現れ、スレッタとミオリネのいた演習場はそのまま決闘の舞台に変わります。

 事態を把握出来ていないスレッタは逃げ遅れ、倒れ込んできたモビルスーツの下敷きにされそうになりますが、驚いて一歩も動けません。
 あわやというところで、危険を省みずにスレッタの手を引っぱって助けたのはミオリネです。
 そしてこの後、スレッタは温室に向かったミオリネについていき、ミオリネに助けてもらってお礼を言いました。
 それに対するミオリネの反応は、「は?」と眉をひそめるというものでした……

 アニメ内ではこの際のミオリネの内心を伺いしれる情報が一切ないため、この場面でもミオリネに対して反感を覚えたひともいるかもしれません。
 確かにこの態度自体は誉められたものではありませんが、小説版でこの時のミオリネは――巻き込まれそうになってた子を助けただけなのに感謝される覚えはない――という風に考えていたことが明かされます。

 普通、人は人を助けた時なにかしら見返りを期待するもので、最低限感謝の言葉ぐらいは言って欲しくなるものです。
 ですが、ミオリネは目の前で危ない目にあいそうな人をごく当たり前に助け、見返りはおろか、感謝の言葉さえ求めませんでした。
 
 後々により深く言及していきますが、ミオリネは主人公であるスレッタと同様、同年代の友人とのコミュニケーションを重ねる機会に恵まれておらず、この二人はそれぞれ別ベクトルではあるものの、お互いにコミュニケーション能力に乏しいという欠点を持っています。
 このシーンの背景にも、ミオリネの善行に対して見返りを求めない性質と同時に他人から感謝された経験の乏しさが見えてきます。相手からの感謝を素直に受けとるというごく基本的なコミュニケーションが取れてないのです。後に7話のインキュベーションパーティでもニカの素直な賞賛を嫌味と受け取るなど、これまでミオリネが周囲からどんな言動を取られてきたかを察せられる一幕があります。
 
 そんなミオリネとスレッタの最初のコミュニケーションは、ミオリネが温室で育てているトマトを介して行われます。

 この温室のトマトは既に他界しているミオリネの母が開発した品種であり、ミオリネにとって大切な形見のようなものです。

 物珍しげにトマトを眺めていたスレッタはミオリネとの会話の最中に、ぐぅとお腹の音が鳴ってしまいます。
 恥ずかしさのあまりお腹をおさえて座り込んだスレッタを見かねたミオリネはトマトを紙に包んでそっとスレッタのそばに置き「あげる」とぶっきらぼうな調子で言いました。
 
 この仕草や一連のスレッタとのやり取りから、ミオリネが母のトマトを丁寧に大切に扱っていることが伺いしれます。
 
 そして――どこまでも純朴なスレッタの態度を見て警戒を解いたという面もあるようですが――やはりこの時もミオリネは見返りを求めず他人に施しを与えています。

 親切な人と言い切るにはあまりに刺のあるミオリネですが、思いやりもきちんとあることも同時に描かれているのです。実際、冒頭の頭突き以降の彼女の行動は言葉さえ改めれば、やはり親切な人という感想しか残らないと思います。

 お互いに母を大切にしているという共通点を見いだし、私も同じ、と会話を広げようとするスレッタでしたが、それはかえってミオリネの心を閉ざしてしまう話題でした。

 スレッタを追い出そうとするミオリネでしたが、そこへ彼女の現婚約者であるグエルが再登場します。

 グエルはミオリネの大切にしている温室に、彼女の制止も聞かずに立ち入り、これからは自身の属するジェターク寮で暮らすことをあたかも決定事項であるかのようにミオリネに告げました。

 対するミオリネも侮蔑の笑みとともに「あんたは父親の言いなりだもんね」と、後々の展開を見るにおそらくはグエルの地雷を的確に踏み抜いた一言を放ちます。

 激昂したグエルは温室で暴れ、植木鉢や花や園芸道具を次々に破壊していきます。ミオリネは止めようと飛びかかりますが、容易く振り払われ倒れ込んでしまい、引き出しにしまわれていたトマトも床に転がっていきます。
 
 ですが、グエルの取り巻きであるフェルシーとペトラ、弟のラウダはおろか、温室の外で見張っていたミオリネのボディーガードも状況が見えているにも関わらず止めに入ることはなく、あまつさえ怠そうに欠伸する始末です。――彼らはボディーガードとは名ばかりで、ただミオリネの脱出を防ぐための監視員であり、仕事外の介入をするつもりはありません。

 ミオリネは学園内で完全に孤立しており、味方になってくれる者は誰もいません。

 そんなミオリネにグエルは折った枝の先端を刃物の切っ先にでも見立てたかのように突きつけ、脅しかけるように言いました。

「俺は少しやさしすぎたようだ。未来の夫として、これからは厳しくしていく。おまえはおとなしく俺のものになればいいんだよ」


 孤立無援のミオリネは父親が決めたホルダーという制度にも、グエルの横暴にも、なんら抗う力を持っていません。

 ミオリネは大切な温室と、一人の人間として自分の未来を選ぶ権利を踏みにじられても、ただ倒れ伏し、悔しさに顔を歪めることしか出来ませんでした。


 グエルがミオリネに圧力をかけ支配しようとする緊迫した状況で、スレッタの平手がグエルの尻を打ち、ぱぁん、と小気味良い音が温室に響きました。

 スレッタはぶるぶると震えながら、へっぴり腰でグエルに立ち向かいます。
 ミオリネさんに謝ってください、と。ミオリネの味方になろうとする人物が現れたのです。

 スレッタの勇気はミオリネにとって全くの予想外だったのでしょう。ミオリネはしばらく閉口していましたが、グエルがからかい混じりに提案した決闘をスレッタが真っ向から引き受けてしまうと、「やめて!あんたに関係ない!」と声を荒げました。
 グエルは決闘の対価として、スレッタに負けたら退学することを持ち掛けました。
 それでもスレッタは臆することなく決闘に応じました。

 ミオリネが類型的なヒロインであったならば、このままグエルとスレッタの決闘が始まってスレッタが勝利しミオリネを助けるだけで一話が終わっていたことでしょう。

 しかし、ミオリネは状況に流されるまま事の成り行きを黙って見ていられるような受動的な人間ではありませんでした。
 学園の地図アプリを入れてあげようとして所持したままだったスレッタの生徒手帳を用いて、スレッタのモビルスーツであるエアリアルに搭乗し、自ら決闘の場に望むという驚きの行動に打って出たのです。

進めばふたつ。授かった魔法とミオリネの人生の産声(1話後半)※4287文字


 一体なぜそのようなことをしたのでしょう?その答えも小説版に描写されており、小説版では決闘が始まる前から、ミオリネはすでにエアリアルのコクピットで闘っていた。と記述されています。そして以下のような表現が続きます。

――ミオリネはいつどのようなときも負けるわけにはいかなかった。
――世界のすべてが自分に圧力をかけてくる。

「……なんだって、みんな勝手に決めるの」
 
 ミオリネの漏らした言葉には怒りが滲みだしていました。

 ミオリネの人生はずっと父親に勝手に決められてきました。自分のことをいつも誰かが勝手に決めることにミオリネは心底から腹を立てていました。だからこそ、ミオリネはスレッタが勝手に決闘に応じたのも許せなかったのです。

 父親が決めたルールによって、ミオリネの未来は決闘の結果に左右されます。
 視聴者視点ではピンチのミオリネを助け出したかのように見えたスレッタですが、ミオリネにしてみれば、敵ではないだけで、スレッタもまだ味方ではありませんでした。勝敗がどうあれ、ホルダーの決闘には自分の人生が架かっているというのに、自分の意思を無視して決闘が行われること自体、ミオリネにとっては許しがたいことです。

 ミオリネはグエルに向かって怒りをあらわに吠えます。

「これは私の喧嘩よ!」

 ここで少し水星の魔女という作品が掲げたテーマについてお話させて頂きたいと思います。
 様々な解釈があるでしょうが、作品タイトルを冠する劇中曲「The Witch From Mercury」のコメントで作曲家の大間々昂さんが――異端者、マイノリティ側の人物が抑圧された自分を曝け出すような「声」がほしいと要望を頂いた――と仰っています。

 一話時点までのミオリネは自己を抑圧される日々を過ごしていました。

 父は理由さえも教えてくれぬまま、幼少期からの友人との関係を断絶させ、習っていたピアノを止めさせ、通う学校も勝手に決め、婚約者さえもゲームじみた手段で決めようとしている。
 ゲームの勝者である現在のホルダーは住む場所を勝手に決めようとしていて、自分を物のように所有しようとしている。
 経営戦略の分野において学園一位の優秀な成績を収めているのにも関わらず、その能力を活かせる未来は初めから閉ざされていて、誰もかれもが自分を人間である前に会社の政治的な道具と見なしている。
 
 世界にミオリネの味方はいません。
 アスティカシアにおいて、ミオリネの父デリングの権力は絶大であり、その決定は絶対です。実の娘とはいえ、デリングの意向に逆らおうとするミオリネはいわば絶対の法からはみだした異端者です。

 もしミオリネが従順に他者に従う生き方を選んでいれば、それはそれで幸福になれたのかもしれません。

 飾られた絵画のように、ただ見目麗しい展示物として枠に収まっていれば、生徒達から向けられる眼差しも、嘲笑を賞賛が上回っていたでしょう。二人のボディーガードも欠伸の出るほど退屈な仕事なんて最初からせずに済んでいます。
 グエルもミオリネを丁重に扱うようになり、クイーンとしてさぞちやほやされたことでしょう。
 けれど、それは彼らが描いたステージで『ミオリネ・レンブラン』という役を演じるだけの意思なき人形に成り下がることに他なりません。

 だから、ミオリネは独り世界と闘ってきたのでしょう。いっそ全部諦めて、何も考えず父やグエルらの言う通りにすれば楽になるかもしれない。しかし、決して負けるわけにはいきません。負ければ、一人の意思を持った人間である自分を捨てることになります。

 我々の生きる現代社会も、誰かの人生を操作しようとする圧力に満ちています。

 ◯◯なのに、どうして出来ないの?
 ◯◯なのに、◯◯が好きなんておかしいよ
 ◯◯のくせに、そんなの似合わない。
 ◯◯なんだから、そんなこと出来るわけがない。 
 ◯◯歳なんだから、いい加減結婚しなさい。
 ◯◯歳にもなって、今更◯◯なんてみっともない。

 そんな誰かが描いたイメージを疑問なく受け入れられなかった人は、ミオリネのように、

「……好きにさせてよ」

 と呟きたくなったでしょう。ですが、

「人の人生、勝手に決めるな!」

 そう強く叫ぶことが出きる人は、果たしてどれほどいるでしょう?

 筆者はリアルタイム放映時のこのミオリネの台詞で彼女の芯の強さを感じ、season1終了後、ミオリネという人物の理解を深めてから改めてこのシーンを見返した時、とても胸を打たれました。
 
 自分の人生を支配し閉じ込めようとする世界の圧力に屈することなく、そう叫んでみせたミオリネをとても高潔な少女であると感じたのです。
 ただひとりの味方もいない状況下で、自分がひとりの人間として自由に生きる権利があることを声高に主張する……それは気高く生きようとする誇りと折れない強固な意志が必要なことです。

 しかし、ミオリネは誇りと意志はあっても圧力に抗う力を持っていません。エアリアルはディランザに呆気なく転ばされ、ミオリネはコクピットの中で揺さぶられ吐瀉物を吐き出してしまいます。まるで勝負になっていませんでした。

 このまま決着かというところにスレッタがヒーローらしく遅れてやって来て、まず手始めに、出会いの仕返しでもするような頭突きをミオリネに食らわせました。

 子供のような言い争いを外部スピーカーで学園中に公開する二人でしたが、「私とエアリアルはあんなのに負けません」とスレッタが力強く言い切ったことで、またしてもグエルの逆鱗に触れます。
 グエルの決闘相手はスレッタに変更され、件の劇中曲「The Witch From Mercury」がバックに流れ始める中、仰向けに倒されたエアリアルがゆっくりと立ち上がり始めます。
 ディランザのビームライフルが機体のすぐ傍をかすめ焦るミオリネですが、スレッタはそれが威嚇射撃に過ぎないことをわかっているのか至って冷静であり、一切動じる様子はありません。

 戦いの最中、スレッタが語り出します。

「お母さんが言ってました。『逃げたら一つ、進めば二つ』手に入るって」

 スレッタは先程までのおどおどした編入生と同一人物とは思えないほど凛々しい表情をしています。

「逃げたら負けないが手に入ります。でも、進めば」
「勝てるって言うの?」

 スレッタの変化にミオリネも思わず真剣に問いかけました。

「勝てなくても手に入ります。経験値も、プライドも、信頼だって!」
 
 ここからの一連のシーンは、脳裏に鮮烈に焼き付いてるという方も多いのではないでしょうか?

 エアリアルはビットを展開し形成したシールドでディランザの射撃を防ぐと、直ぐ様ビットを分離。
 BGMが一瞬静止したその直後、「The Witch From Mercury」がドラマチックに大きく盛り上がるサビに転じ、ビットから発射されたビームの嵐に曝されたディランザは四肢をそがれ、装備を撃ち抜かれ、そのままなす術もなく、ビームサーベルの一振りでブレードアンテナを折られました。

 誰もがグエルの圧勝を疑わなかった決闘は、スレッタにパイロットが切り替わった途端、電光石火の決着を迎えたのです。その瞬間、空を覆っていた雲は晴れ、ディランザの羽根飾りが高く舞い上ります。
 
 ミオリネはヘルメットを脱ぎ、自らの目で決着を確かめようとエアリアルの掌の上に降り立ちました。
 ミオリネは険のとれた表情で戦いの跡地を見下ろします。
 抑圧された者たちの声を象徴する「The Witch From Mercury」の荘厳なコーラス。        
 雲間から差し込む黄金色の光と、ヒラヒラと宙を舞い踊る白い羽……祝福という言葉を具象するかのような美しい場面です。

 ミオリネの眼下にはバラバラになったディランザが横たわっていました。もはや疑う余地はありません。スレッタの完勝です。

 鮮やかに勝利したスレッタは「か、勝ちました」とコクピットに乗る前と同じおどおどした様子でミオリネに声をかけます。

 ミオリネはスレッタの生徒手帳を手にとり、そこで初めてスレッタの名前を呼びました。

 そして自らの手でスレッタにホルダーの証となる白い制服を与え、戸惑うスレッタにそれがミオリネの婚約者の証でもあることを伝えます。

 
「で、でも私、女ですけど……」

 ミオリネは髪をさらりとかき上げながら、さも何でもないことのように言い放ちます。

「水星ってお堅いのね。こっちじゃ全然ありよ」

 混乱し言葉にならないスレッタに、ミオリネはさらにもう一言、これまでになく柔らかな調子で、また、どことなくからかい混じりにも聞こえる風に続けました。

「よろしくね。花婿さん」

 放映当時ネットの話題を席巻した、衝撃的な第一話の幕引です。

 とにかく続きが気になるインパクト抜群の引きですが、ミオリネというキャラクターの背景を十分知った上でこのシーンを見ると、ただ衝撃的なだけではない、とても感慨深いシーンとなります。

 父の決めたルールに頑なに反発し、例えば侮辱されたから等といった理由で日々軽々しく行われる決闘の景品の一等賞に自分の人生を賭けられ、ホルダーという制度を全身全霊で憎んだミオリネが、自らの手でスレッタにその証を与え――この時点では冗談混じりでもあったかもしれませんが――スレッタを一時でも自分の人生を預けられるほどに信頼できる相手だと認めたからこそ『花婿』という言葉をさらりと口にした……

 このシーンはこれからの物語の中でいくつもの重要な決断を自ら選び取っていくミオリネの人生の初めの一歩と言えるのではないでしょうか?

 スレッタとの出会いを以て、水星の魔女の物語が動き出すのと同時にミオリネが自分の人生を生き始めたのです。

 ここまで長々と本編第一話のあらましを語ってきたのも、ミオリネというキャラクターの魅力はこの出会いとスレッタから教わった魔法の言葉「進めば二つ」に突き動かされて花開いていったものであり、ミオリネが第1話以前で抑圧された日々を過ごしたことを念頭に置くと、これからの彼女の行動やキャラクター性をより一層の深みや説得力を持って咀嚼できると筆者が考えているためです。
 
 ミオリネがエアリアルの掌から戦場の跡を見下ろしている場面でのコーラスは、さながらミオリネの人生の産声です。

 ここからの彼女の歩みは、それこそ歩き方を覚えたばかりの子供のように拙く、危うく、見ていてハラハラしてしまうのと同時に、ついつい見守ってしまいたくなるほど人の目を引き付けるものでした。

 以降の項目ではよりミオリネの物語にフォーカスを絞り、彼女の魅力を掘り下げていこうと思います。


②「守るわよ。私があんたを」――スレッタを守るため、巨大な相手にも立ち向かう勇姿――


迫るカウントダウン……逃げ出すよりも進むことを選んだ (2話、3話) ※2482文字 



 ミオリネの魅力は?と彼女のファンに問いかければ、スレッタを守るためなら自分が持ち得る全てを差し出す献身的な姿、と答える人も多いです。

 2話以降のミオリネの行動は全てがスレッタのためであると言っても過言ではないほどですが、この項では主にseason1でのミオリネの行動の中でもスレッタを守ったシーンとして特に印象深い回である2話と7話を取り上げ解説していきます。

 インパクト絶大の引きから続く2話。決闘を終えた直後の二人の前にフロント管理者のMS「デミギャリソン」が降り立ち、禁忌のMSであるガンダムを使用した嫌疑でスレッタの身柄を拘束すると告げ、銃を突きつけてきました。

 ミオリネは状況についていけず混乱するスレッタを手で庇うような格好で前に出て、学園内にまで侵入してきた彼らの行動が越権行為であることを主張し、武器を下ろすように要求します。

 さりげないですが、強大な相手にも毅然と立ち向かいスレッタを守ろうとするミオリネの姿が描かれた最初のシーンです。

 しかし、この主張は通りませんでした。

 総裁の定めたルールは全てに優先する。とデミギャリソンのパイロットは冷淡に返します。

 抵抗が無意味だと悟ったミオリネはこの場では憎々しげに「あのクソ親父!」と吐き捨てることしかできず、スレッタはあえなく連れ去られてしまいます。

 その後、ひとり学園に戻ったミオリネはフェルシーとのやり取りを通して、スレッタが退学になり、エアリアルもスクラップにされる危機を迎えていることを知ります。

 ミオリネは直ぐ様フロント管理者を訪れましたが、ここでも総裁デリングの命によって、スレッタに面会することすら許されません。

 無力感に苛まれるミオリネに追い討ちをかけるように、ミオリネの退学と、ホルダーではない別の婚約者を用意する皆のデリングからの伝言が伝えられます。

 トイレに引きこもり怒りをゲームの敵キャラにぶつけるミオリネの前に文字通りの助け船が現れました。

 1話冒頭でミオリネの脱出を協力するはずだったフェン・ジュンから、今なら地球へ脱出することが出来ると伝えられ、ミオリネは迷います。

「……私をここから連れ出して」

 手元の画面でゲームオーバーのカウントダウンが進む中で迫られる決断。       
ためらいながらも、ミオリネが選んだ行き先は地球ではなく、ベネリットグループのフロント、正に魔女裁判さながらの審問会が執り行われる審議室でした。

 エアリアルの廃棄とスレッタの退学がデリングひとりの発言力によって強行されようとするその瞬間現れたミオリネを、デリングは威圧的に見下ろします。

 ミオリネは圧力をはねのけるように全身でデリングに訴えかけました。自分で決めたルールを後から勝手に変えるな、と。

 しかし、ミオリネの言葉は正論ですがデリングに届きません。

「なぜお前がここにいる?」

「説明も相談も必要ない。私が決める。おまえは従う」

「私には力がある。おまえにはない。力のない者は黙って従うのがこの世界のルールだ」

 デリングは何の力もないただの学生にこの場に立つ権利はないと容赦なくミオリネを威圧し、無情な言葉が叩きつけます。
 今までのミオリネなら結局はその世界のルールに従い、のし掛かる圧力に耐えながら、ただ吠えることしか出来なかったでしょう。

 ですが、ミオリネは信頼出来る相手と出会えました。その人から貰った魔法の言葉だって持ってます。

「……進めばふたつ」

 小さく呟いたミオリネは視線を上げ、今一度デリングに立ち向かいます。

「だったら決闘よ!」

 これまで決闘に巻き込まれるばかりだったミオリネが、己の将来を天秤にかけた決闘を初めて自分から申し出たのです。

 決意に満ちたその一言を皮切りにその場の流れが変わりました。

「私たちが勝ったら、あんたはスレッタを私の婚約者として認める。負けたら好きにすればいい」

 最後にはミオリネは見事にその条件をデリングに呑ませることに成功しました。

 もし負ければ、二人とも退学処分。ミオリネは父が決めた相手と強制的に結婚させられることになります。

 ミオリネは自身の念願だった地球へ脱出する最大の――最後の可能性すらあったチャンスを蹴り、さらには自分の人生をチップに賭けてまでも決闘を取り付け、スレッタが彼女の念願の学園生活と家族であるエアリアルを守るために闘える場を作ったのです。


……ですが、このことはミオリネのファン以外からは忘れられがちな事実だったりします。

 水星の魔女という作品自体テンポが早く、特に序盤は一話ごとの情報量が多いことと、この2話の前後の回の引きのインパクトがあまりに強いこと……

 それに加え、ミオリネの勝ち気な性格と、勝利して婚約者になるのが嫌で決闘に及び腰なスレッタという構図が三話の冒頭に描かれるためかと思われます。
 ミオリネも、そもそもこの決闘が自分の地球脱出を蹴ってもぎ取った切符であることをスレッタに伝え恩を売るようなこともしません。

 酷い場合には自分の都合で強引にスレッタを巻き込んだという印象すら受けてしまうこともあるようですが、スレッタも感情的に納得出来ない部分はあるものの、事情は理解しており、いざ決闘が始まる頃には「絶対勝ってミオリネさんと学校に残ります!」と力強く宣言し、前向きに決闘に望みます。

 また、この二度目の決闘中もスレッタはスプリンクラーを用いた妨害工作により不利な戦いを強いられますが、ミオリネはモビルクラフトを駆り出し、――おそらくは操縦経験もないのでしょう――壁や床に激突し、衝撃にうめきながらも必死で前に進み、制御室に突っ込み、スプリンクラーを停止させ、ここでも自分の出来る限りのことを直ぐ様思い付いて実行に移しスレッタを助ける姿勢を見せます。

 ミオリネのサポートもあってスレッタは二度目の決闘も見事に勝利。ミオリネと共に無事に学園に通えるようになりました。

 しかし、主人公たるものの宿命か、スレッタとミオリネの学園生活は以降も幾度も危機を迎えます。

 ヒロインでありもうひとりの主人公。今度のガンダムの闘いの舞台はMS戦だけじゃない(7話、小説オリエピ) ※5230文字


 
 中でもseason1におけるスレッタ最大のピンチと言える場面は、決闘中よりもむしろ、第7話のインキュベーションパーティーだったといっても過言ではありません。

 オリジナルのエランに誘い出されパーティー会場の壇上に立ったスレッタは、4CEOらの策にまんまとはまり、エアリアルがガンダムであることを裏付ける証言を自ら発してしまいました。

 無論、エランはスレッタと交流を重ねた4号ではないのでむしろスレッタをより追い詰める立場に回り、会場のどこかにいるはずの母プロスペラはどれだけ必死に呼んでも来てくれません。

 それでも家族であるエアリアルの危機にひとり精一杯の訴えを続けるスレッタですが、もはや根拠もなくエアリアルはガンダムではないと否定するしか出来ません。決闘ではこれまで無敵のパイロットであったスレッタも、こうなれば何の力もないただの学生でしかなく、誰も彼女の言葉を聞く耳を持ちません。

 デリングの口から裁可が下されようとする瞬間、会場に凛と響く声。

「エアリアルは廃棄させないわ!」

 スレッタとエアリアルの危機に動いたのは、やはりミオリネでした。

 壇上に上がり、スレッタに代わって会場の視線を一手に引き受けたミオリネに対していつかの審問会の時と同様、「なぜあなたが?」と問う声がありました。

「決まってるでしょ。私があの子の花嫁だからよ!」

 迷いのない答えにスレッタも感激を抑えきれません。

 この場がインキュベーションパーティーの会場であることを利用し、ミオリネが僅かな間に即席で作り上げたプレゼン資料が会場の巨大モニターに表示されます。2400億の事業計画、GUNDの技術を運用する新会社…………ガンダムの設立を提案するミオリネ。

 ミオリネのプレゼンはアドリブとは思えないほど淀みなく、会場の人々はこの大舞台でも怯まないミオリネ個人の能力にも魅力を感じたようでした(小説版より)

 しかしミオリネには会社を作る上で、もっと言えば、それほどの大金を借りる上で最も重要なもの……信用がありません。デリングはその事実をミオリネに指摘すると何処かへ立ち去ろうとしますが、ミオリネは声を大きく張り上げてデリングを引き止めました。
  
 ミオリネは履いていたヒールやストールを脱ぎ捨てながらスレッタのそばに歩み寄り、安心させようとするように、覚悟を言葉にします。

「守るわよ。私があんたを」
 
 ミオリネは息を乱して駆け抜け、デリングの前に辿り着き、必死で頼み込みました。あなたに投資して欲しい、と。

「あなたの言うとおり、今のままじゃ私の提案に乗る人なんていません。ですから、ベネリットグループの総裁である、あなたの信用をお借りしたいんです!」

 そして深く頭を下げました。あのミオリネが、クソ親父と呼んで憚らなかったデリングに頭を下げて懇願したのです。

 結果、得られた投資額は2400億の内の3%。しかし、これはデリングの名の下に託された金額にして72億の信用の表れであり、その大きさは数字以上に絶大。投資家達はこぞってデリングの後を追い、投資額は瞬く間に目標金額に到達しました。
 
 ミオリネはまたもスレッタの危機を救いました。今度はスレッタの目の前で。

 身につけていたものを脱ぎ捨てて駆け出す様と、これまで自分を守ってきた意地やプライドを捨て父に頭を下げる姿が重なる演出も相まってファンの間でも人気が高く、ここでミオリネが好きになったという声も多いシーンです。


 が、ミオリネに関する否定的な声の一例として、この場面も都合のいい時だけ親を頼る甘えた子供という見方があります。

 確かに結果だけ見ればその通りかもしれませんうを。ですがこの場面、ミオリネは新規事業のプレゼンの真っ最中です。
 二人の関係を親子として見る前に、スタートアップの発案者ミオリネと、この場において最も大きな信用と発言力を持つ企業の代表であるデリングという視点から入るのが公平といえるでしょう。

 実際のところ、ミオリネのプレゼンはデリングからのエアリアルの処分に関する決議が成される前に提示されたものであり、総裁の判断を待たなくては――どれほどミオリネの提案が魅力的に見えたとしても――投資家達も動くに動けません。
 このプレゼンの可否はエアリアルの廃棄処分とイコールであり、即ち、その是非を決めるのは始めからデリングが投資するか否かであり、デリングに投資を頼むことは、ミオリネが取れる最善にして唯一の手段でした。
 ミオリネはスレッタを守るためプライドを捨て、デリングが自分の人生を支配してきたという私憤をも捨て、総裁の娘としてではなく、一企画発案者として、なりふり構わずベネリットグループ総裁としてのデリングに頭を下げた。
 
 そうして、危機を切り抜けることが出来たわけですが、この提案はあくまでもその場しのぎ。株式会社ガンダムは具体的な事業内容すら決まっていません。
 続く8話でその方針が決まり、9話でシャディクによる事実上の買収を目的とした校則の書き替えという妨害を乗り越え、ようやく起業できるわけですが、無論、会社経営はそこからが本番。
 小説版オリジナルエピソードでは経営を軌道に乗せるために奔走するミオリネの姿が描かれました。
 時間を惜しんでろくに食事もとらないまま、プロスペラとペイル社の4CEOという顔を向かい合わせただけで胃が痛くなりそうな面子との通信会議に望んだり、20件もの会社にGUND医療技術の共同開発を持ちかけてはあえなく全て断られたりと……現実社会のサラリーマンにも通ずるような悲哀を感じる様子ですが、併せて注目しておきたいのが、この時点でミオリネの耳に度々入ってきているという「どうせすぐにつぶれる」「会社ごっこなんてミオリネは近い内に飽きる」という風評です。
 8話冒頭でもオジェロとヌーノのコンビがミオリネの会社設立に対して「ご令嬢はやること派手だ」「裏があるんじゃね」とコメントする場面があり、ミオリネの学園での評判が相変わらず悪いことが伺えます。
 実質デリングの信用を担保に会社を建てたミオリネに対し、上記したような――親に甘えて作った会社――というのも、作中で底意地の悪いアスティカシア生徒らがいかにも言いそうな台詞ですが、ミオリネ自身はそういった風評を知った上で、それを意にも介さず地道な営業活動に勤しんでいます。

 7話のプレゼンの場面の直前には、ミオリネがスレッタの母プロスペラから、ミオリネを飾り立てていたドレスやヒールも、寮に属せず1人で生活出来る特待が許されているのも、他者からの敬意(学園内では見られなかったので社交界においてということでしょう)も総裁である父の力のおかげと指摘され、小説版では反論したくても出来ないと、内心その的確さを認めていたりもします。 
 
 オリジナルエピソードでも、営業の電話をかける際、そのコネクションが親から与えられたものであることを認め、いつかはそういったコネも自力で手に入れたものと思えるようになりたいと思いつつも、そんなプライドはあのパーティーの時に捨てたのだと、躊躇なく親から与えられたものを利用します。

 それらを踏まえて改めて申し上げますが、ミオリネ自身がそういった見方が事実であると認めた上で、プライドを捨て、スレッタを守るためデリングに縋ったのです。

 散々反発していたくせに都合の良い時だけ親を頼るという見方は(言い回しに悪意があるものの)むしろミオリネの魅力――スレッタを守るためななりふり構わない姿勢――をさらに補強するものです。他者からの謗りも自身の心に込み上げる悔しさも飲み込んで、事業を安定させるため、驕りも衒いもなく邁進し続ける……ミオリネが多くのファンから愛される大きな理由のひとつが、涼やかな容貌からは想像できないほどひた向きな生き方にあるのです。

閑話。平行し、やがて交わってく二つの家族の物語※2048文字



 株主会社ガンダムの設立はミオリネ自身の物語の大きなターニングポイントであり、2話で己の未来をかけた決闘を取り付けたミオリネは、会社が起業してからは今を費やしてスレッタを守っていきます。

――株式会社ガンダムはスレッタとエアリアルを守るための大切なゆりかごのような存在―
 これは小説版のミオリネ視点のモノローグで、ミオリネはこの信念の下、先述したように会社を軌道に乗せるため苦心し、本編10話では学生の身でありながら、授業にろくに出席出来ないほど度々出張を繰り返していることも明かされます。

 水星の魔女という作品の面白い点のひとつが、TVシリーズでは初の女性主人公のガンダムというキャッチーな売り文句がありながら主人公スレッタだけを中心としたストーリーにせず、ヒロインであるミオリネにも主人公的役割――――物語展開の中心となり、シナリオを牽引する影響力を持つという意味合いで――が与えられており、更に二人の立場(守る側と守られる側)が度々逆転することで、さながらW女性主人公のWヒロインといった作風になっているところだと思います。

 シナリオとして面白いのは、この会社設立を起点にミオリネの物語は家族という主題をより掘り下げていくところです。――後の項でも再び触れますが水星の魔女の物語自体、家族を主題に置いている点は最初から最後まで一貫しています。それでも100%家族の物語を描ききれているかといえば大いに議論の余地ありというところでしょうが……――

 まず、スレッタとの関係。
 2話で暫定的な婚約関係を取引という形でスレッタにもちかけたミオリネが、花婿であるスレッタのために身を粉にして働くという面白い構図が出来上がりました。
 ミオリネの姿は正に家庭のために働く一社会人です――家庭の生活を支えるお金を稼ぐためというよりも、世間からのGUND技術……ひいてはエアリアルに対する信用を獲得するためですが――

 自分や家族であるエアリアルの処遇、そしてミオリネの未来がかかった決闘に、常に負けられない責任を負っていたスレッタにだけでなく、スレッタとエアリアルを守るため会社の社長になったミオリネの双肩にも大きな責任がのしかかるようになり、その場をしのぐ手段に過ぎなかった取引から結ばれた仮初めの婚約が、擬似的ながらひとつの家庭のような形をとるようになり、スレッタも9話時点にもなると、序盤は渋々ながらも仕方なしに引き受けた花婿の立場を受け入れ、シャディクに堂々と啖呵を切るまでになっていました。
――スレッタの視点からすれば、エアリアルのためにも働いているミオリネは、もはや擬似的なものでもなく、正真正銘自分の家庭を守るために働いてくれている存在です。10話でスレッタからミオリネに対する好意が唐突に急上昇しているように見えますが、9、10話間の約2ヶ月でそんなミオリネの姿をずっと見てきたことを考えれば、唐突でもなく、むしろむべなるかなといったところです――

 また、父デリングとの確執も会社の業務報告を通して僅かながら回復の兆しを見せます。
 デリングはミオリネの経営者として至らない点を的確に指摘しつつ、一方で誉めるべきところは意外なほど率直な言葉で誉め、ミオリネもデリングと話す中で、彼を単なるクソ親父なだけではないと見直しました。
 職務上のやり取りを通して、冷えきっていた親子の交流に再開の兆しが見えてきます。
 さらに、9話までミオリネ自身の心の象徴のような描かれ方をしてきた母のトマトを育てるための温室を離れ、信頼を寄せていたスレッタに一時的に任せた後には、他者の侵入をあれほど拒んできた温室に赤の他人である業者を入れる決断も下し、暗喩的な親離れが描かれます。

 その一方、スレッタの方は今までエアリアルがガンダムであることを隠していたプロスペラがその理由を明かす場面は視聴者視点ではあからさまに怪しく見えますが、それを一切疑わないスレッタもどこか様子がおかしい……とこちらの親子関係は一見良好に見えても、不気味さや歪さが少しずつ表面化していきます。母を妄信するスレッタの様子は依存的なものを感じさせ、ミオリネと対照的に親離れ出来ない様が描かれていきます。

 プロローグを見た視聴者は、スレッタの母プロスペラにとって、ミオリネの父デリングは憎むべき仇であることを既に承知しているため、スレッタとミオリネが互いに信頼を深めてゆく一方、母へ依存するスレッタも描写されることで、水面下で時限爆弾のカウントが進んでゆくような緊張感も孕んでいたのがseason1のストーリーでした。

 season2でも主要人物の多くが家族を行動の動機とし、デリングが押し進めていたクワイエット・ゼロは妻ノートレットの創案であったことが明らかになり、ミオリネにだけ二つの家族の真実を告げたプロスペラの真の目的は娘エリクトの幸福な未来のため、そのクワイエット・ゼロの起動のためにミオリネを利用しようとし、ミオリネはスレッタの未来を想い、彼女との婚約という未来の家族関係を自ら解消するために行動を起こす……と家族の物語として焦点を絞ると、過去の罪責と未来への願いが絡み合って進行していくストーリーに奥深い人間模様を感じられます。
 

③「あんたが一番わかってない!」――見えない表情、吐かない弱音。弱さをの抱えながらも気丈に振る舞う強さ――


苛烈な態度の裏側 (2話、11話、12話など) ※3052文字



 2話、7話でエアリアルを廃棄しようとする大人達に立ち向かう時も、グエルら一派やエラン4号との会話でも、ミオリネは常に強気な口調でした。
 ミオリネはとても勇ましい女性として描かれ、それは一面には真実です。ですが、それは彼女が他人に見せている表面的な姿だけを切り取った場合。
 ミオリネはなにかと言葉不足で、特に彼女が自分の内面的な部分を語る場面はほとんどなく、その分……と言えるかさておき、それを推察することが出来る表情や演出が随所に散りばめられています。
 
 序盤から例を挙げると、

  • 2話、デリングへの怒りを叫ぶ場面、「友達さえも勝手に決めて」と言った瞬間に涙が溢れ出し、そのすぐ後には泣くのをこらえるような表情になる

  • 2話、フェンとの会話中不安げな表情をしたり、躊躇うように目を伏せている

  • 5話ラスト、エランとの電話中、スレッタが勝手な決闘を受けていたことがわかるまで、不安そうに会話を聞いている

 このうち上記二つは小説版で補強された描写による裏付けもあります。
 さらに小説版の2話では審問会の場面でも、デリングの威圧感に内心気圧され目を合わせることが出来ないミオリネや、自分は王だとまで言ってのけるデリングに一度は諦めそうになるも踏み留まる(アニメでは怯んだように顔を引いてから、ぐっと拳を握り直すという演出で表現)様が描かれます。

 物語序盤からミオリネの強気で物怖じしない(ように見える)面が描かれる一方、弱い部分も非常にさりげなくではありますが、しっかりと描写されています。
 さらに小説オリジナルエピソードでは7話でのプレゼンを回想して、今思い出しても手に汗がにじむというモノローグがあり、あの堂々としたプレゼンも内心緊張や恐れ不安を抱きながらのものであったことが明かされました。

 ①で述べたような境遇が背景にあるため、弱みを他人に見せようとしないミオリネの性格描写には強い説得力があります。強く振る舞わねばつけいる隙を他人に与えることになります。 
――学園やグループと関わりのない外部の運び屋であるフェンに対しては序盤の時点でも態度や口調が柔らかい点も留意しておきたいところです――

 それを踏まえた上で演出として惹かれるのは、スレッタとの対比です。 
 スレッタの緊張恐れ不安はミオリネのものとは違い、誰の目にも分かりやすく明らかに態度と言動に出ます。 

 しかし、そんなおどおどした情けないやつのように見えた――言ってしまえばあからさまに弱そうな――スレッタが、誰かのために勇気を持って行動し、コクピットでは別人のように凛々しく戦い勝利した姿を間近で見たことは、ミオリネにとってとても鮮烈な体験だったでしょう。
 刺々しく威嚇的な――言うなれば自分を強そうに見せかけていた――ミオリネは、自分のために無謀な戦いにも気高く挑み、いついかなる時も堂々と振る舞っていたのに、何一つ現状を変えることは出来なかったのですから。

 その体験の直後に「進めば二つ」と呟いて、勇気を持って父の顔を正面から見据え、力はなくとも知恵を絞り出して状況を打開し、共に戦って勝利を得た……そればかりでなく、自分を助けてくれた人を見捨てなかったという人として何より誇れる事を成し、父に堂々と立ち向かった経験も得た。

 これまで負けん気と気位の高さで自分を奮い立たせてきたものの、逃げることさえ成し遂げられなかったミオリネが「進めば二つ」の魔法で成功体験を得る…というのが3話までのミオリネのストーリーです。

 ここで「進めば二つ」という人生の指針を得たからこそ、7話でも人生を賭けた機転を思いつき、即座に実行に移せ、大嫌いな父にも頭を下げ、その後も16歳の学生という身分に見合わぬ社長業に邁進することが出来た……

 でも、ミオリネがそうやって進んで来れたことを理解出来ず、ミオリネは怖さなんて知らない強い人間だからそんなことが出来た……そう誤解していた人物が作中にもいました。
 ミオリネが人生を賭して守ろうとしていた人物……スレッタです。
 
 10話ラストで生じたすれ違いから、船内での追いかけっこの末、すっかり卑屈になってるスレッタに進めば二つはどうしたの?と問いかけるミオリネに対して、スレッタがたどたどしく返した答えを要約するならば『進むことはいつも怖い。ミオリネさんのような強い人間には私の気持ちなんてわからない』というものでした。

 これを受けてミオリネが遂に抑えていた感情を爆発させ、不器用にも程がある形でしたが、初めて他人に弱さを吐き出します。
 
「私が逃げなくてよくなったのはあんたのおかげなの! 」

 このシーンの顛末については10話でのすれ違いからも伺えるミオリネの欠点と合わせ後述しますが、ここで溢した本心とこれまでの様々な描写を繋ぎ合わせると、怒りや強い言葉はミオリネにとって絶対に負けないための武装…弱みを覆い隠す自衛の手段として用いられていたのだという、ミオリネの性格の真実が見えてきます。

 これまでの項目でミオリネの魅力として、彼女の勇ましさや行動力、環境に流されることのない高潔さ等を挙げてきましたが、それらの魅力をさらに深めるのが、ミオリネ自身は恐れを知らない女傑などではなく、他者への甘えが許されない環境下で強くならざるを得なかっただけの、ごく一般的な感性を持つ普通の少女でしかないということです。等身大の16歳(season1時点)の少女らしい、傷つきやすさや未来への不安、暴力や圧力への恐れという、そんな超然的なところなどなにもない感情を当たり前に抱きながらそれを圧し殺して気丈に振る舞える……ミオリネの強さはそういう種類のものなのです。

 これまでにもその根拠となるシーンをいくつか上げましたが、特に注目して頂きたいのは、2話での行動と同じくストーリー展開や画的なインパクトに押されて埋もれがちなミオリネの名場面が12話のCパートにあることです。

 無論、頬を掠めるテロリストの肉片に恐れおののき、残酷な行為をしておきながら平然と笑っているスレッタに気が動転してスレッタを人殺しと非難してしまった……後にミオリネはこのことを深く後悔し、スレッタと再会した際にはそれを謝罪しますが、状況を考えればそれもミオリネの感性のまっとうさを担保する場面ではありますが、見逃してはいけないのはその直前、重体の父デリングを救急シートに乗せて進んでる最中、テロリストの銃口を突きつけられた場面です。

 ミオリネは息をのみ、声も切れ切れになるほど怯えながらもシートを回してデリングに覆い被さり、父の盾になります(小説でも父を庇うための行動だったとはっきり書かれています)。

 先に自分を庇って重症を負ったデリングを思わずお父さんと呼んだことや、ビジネスライクなやり取りの中でも父を見直していた10話での一幕と合わせ、ミオリネが数々の理不尽を受けて尚、デリングへの肉親の情を捨てていなかったことを強く印象づける場面でもあります。
 
 極限の状況で恐怖に震えながらもなお、人として正しい行動をしようとするミオリネの善姓。これは不自由極まる閉塞的な環境下で育ったにも関わらず、スレッタに出会う以前からミオリネが持ち合わせていた本質的な性格です。

 season2ではその善性がストーリーを動かす大きな要因にさえなり、結果として悲劇の要因にも、ミオリネ自身の心を折る要因にもなっていきますが……その善性と感性それ自体は間違いなく肯定されてしかるべき彼女の大きな魅力です。
  

発する言葉には打算も裏もなく、真っ直ぐに響く(4話、6話)※4115文字
 


 スレッタと出会う前から根っからの善姓を持ち、本編ではスレッタのため行動し続けたミオリネですが、スレッタの意思を尊重せずに自分勝手に振る舞っているという印象を抱かれることがあるようです。

 確かにミオリネには独断先行の癖があり、実質他に選択肢がなかった3話での決闘は別としても、10話での一件のみならず、8話でも当初地球寮を強引に巻き込もうとしたり――さらにはドラマCDのエピソードでも度々その悪癖を発揮していたり――間違いなくミオリネの欠点です。
 ミオリネのファンである筆者も、これは友達出来ないな……と思わずにはいられないほど、対スレッタの時に限らずともミオリネは特に同年代に対しては基本的に第一印象最悪です。

 この欠点に関しては事実であり、擁護としても、コミュニケーション経験の致命的不足という程度のことしか言えませんが、だからといってミオリネがスレッタの意思を蔑ろにしていたかと言われれば断じてNOです。

 むしろミオリネは誰よりもスレッタの意思を尊重し、彼女なりに配慮もしてるのですが、言葉より行動が先行したり(10話)、スレッタの意思を尊べばこその非情にも見える強行手段を取ったりで(17話)……作内外で誤解と不和を生んでいます。

 ですが、実際にミオリネが自分勝手に振る舞ったと言える場面は8話での地球寮メンバーとのやり取りと1話で無許可でエアリアルに乗って出撃したことくらいです。
 このうち前者に関しては、6話等で描かれた地球寮の財政事情の厳しさを考えれば、(株)ガンダムの社員になることは彼等にも大きなメリットがある提案であり、ミオリネ本人は断る理由はないだろうとさえ思ってた節があります――実際ミオリネのあの態度を見た上でさえ、チュチュ以外のメンバーは一考の余地ありという様子でした――
 これと同じ状態が3話でも起こっていて、相手にとっても大きなメリットがある提案を口の悪さと態度の大きさでマイナス印象からスタートさせてしまってます……

 GUNDの兵器利用に関しても、それがエアリアルの廃棄を思い留まらせるためには、それが最も手っ取り早い方法である事実に加え、ミオリネにとってMSは決闘の道具という認識が強かったため、MSが人殺しの兵器という実感が持ちにくかったと考えられます。
 渋々ながらも兵器以外の道を探すと決断してからは、熱心にガンダムやGUNDについて探求し、一度会社の方針を定めてからは、GUNDを軍事利用とするペイル社の思惑を断固として躱そうとする様がオリジナルエピソードに描かれ、プラント・クエタでの経験を経たseason2ではエアリアルが人殺しの兵器になることに誰よりも強い忌避感を持つようになっていました。

 後者の件に関してはミオリネ自身精神的に追い詰められていたこと、エアリアルがスレッタにとって単なるMSではなく大切な家族だったと知らなかった――無論単なる物でも人のものを勝手に使うのは良くないことですが――と、一応擁護できる余地はあり、しっかりお仕置きの頭突きを食らっていること、なによりこれ以降はエアリアルのこともスレッタの大切なものとして守り、エアリアルとの再会を吉報として持ち帰るなど、スレッタにとってエアリアルが家族であることを理解し尊重しているようになっていますから、この一件だけを取り上げてミオリネを自分勝手と主張する論法には無理があります。

 しかし、ミオリネが自分勝手であると考えている視聴者の意見をもう少し聞いてみると、そもそもミオリネがスレッタを『弾除け』として利用しているという、まさに10話で事情を知らない一般生徒間で噂されていたような誤解をしているケースさえあるようです。

 1話ラスト時点からスレッタやスレッタの言葉にミオリネが特別の信頼を寄せるようになったことはその後の行動を見ても明らかですが、小説オリジナルエピソードのミオリネのモノローグに、初めはただ、双方にメリットがあるからこそ成立した取引だった。というような一文があり、ミオリネからしてもやはり最初のうちはスレッタに『弾除け』として花婿役になってもらうことで、スレッタのためにふいにした地球脱出の隙を再び作るまでの時間稼ぎに利用しようと考えていたことは間違いないようです。

 2話まではいたミオリネの見張り役であるボディーガードが、以降完全に存在が消えてることを疑問に思った方もいられるかと思いますが、事の真相はともかく、ミオリネ視点からその理由を考えると、初めて正面からデリングに逆らってでもスレッタを婚約者に戻したのだから、自分がスレッタと本気で結婚する意思があると誤認し、見張りを外したのではないか?とミオリネと仮定しておかしくないはでしょう。
 そう考えると、4話冒頭でスレッタに花婿の自覚を持てと言ったことも、このまま周囲の目を欺くことで脱出の隙を作ろうとした……という解釈も出来ます。この時点でミオリネに結婚の意思がないはずなのに自覚を持てというのも不自然ではなくなります。

 ではミオリネが地球に逃げなくてよくなったのはいつからなのか?
 スレッタを弾除けとして見なくなったのはどこからなのか?
 これも明確には描かれておらず、各々の解釈次第ということになりますが、そのきっかけのひとつになったのが4話の出来事ではないかと考えられます。 

 スレッタの夢の話を聞いて「偉いね。あんた」と言ってスレッタのリアクションも待たずに、さっさとベッドに戻ってしまう場面。

 いかにもなにか思うところありげでしたが、ここでは表情すら描かれてないので、この場面だけ見てもミオリネが何を考えていたかは到底わかりません。

 これは視聴者の解釈に委ね、意図的に描かれなかった部分と考えて差し支えないかと思いますが、ここで描かれなかった感情は、11話でミオリネが思いの丈をぶちまけたシーンに描かれたのではないかと思います。
 ミオリネが地球へ行きたがっていたのは、なにかしら大きな目的があったからではなく、デリングや決闘制度に心底うんざりしていて逃げたかったからでした。言い換えれば、環境によって選ばされていた道です。
 一方、スレッタが遠い水星から自分にとって未知の世界である学園にやってきて、寝る間も惜しんで努力する理由を尋ねれば、自分で何ができるかを考えて決めた夢のためでした。
 自分で選んだ道を進むスレッタにかけた「偉いね。あんた」というミオリネらしからぬ素直な褒め言葉。

 ミオリネはここでスレッタに純粋に尊敬を抱くようになったのと同時に、羨望を覚えて自分を省みる部分もあったからこそ、その場では会話を断ち切ったのだと思います。

 そして、スレッタに対する敬意を持つようになったからこそ、続く実習でスレッタが弱音を吐き出した時、モニター越しに真剣な面持ちでそれを聞いていたミオリネはスレッタを厳しく叱咤しました。
 
 怒気を含んだ厳しい口調で、スレッタをスタートラインに立たせたミオリネですが、それもスレッタの意思を尊重すればこその行為です。         

 ミオリネは、スレッタの溢した弱音も本心からのものであることを理解した上で、その夢も楽しみにしていたやりたいことリストもまた紛れもなく本心からの欲求であることを理解しており、そのために真剣に努力する姿も目の当たりにしているから、自分の夢とこれまでの行動とひとりで飛び込んできた勇気をスレッタ自身が裏切ってしまわぬように発破をかけた――そういう場面が描かれています。

 4話では他にもスレッタがエランからペイル寮に誘われたのを阻止する場面があり、口の悪さが災いしてスレッタと口論になりかけてますが、これも行動自体はむしろスレッタを守るファインプレーです。
 
 エラン自身にこの時点でスレッタに対する悪意はなかったのも間違いないことですが、それとは別にエランはペイル社の意向に逆らうことが出来ない身です。もしこの時点でスレッタがペイル寮に入寮していたら、エアリアルが欲しくてたまらないペイル4CEOの思惑にエランもスレッタ共々利用され、先んじて5、6話の展開が起こり、地球寮という味方を獲れないままファラクト戦に望むことになっていたでしょう。

 ミオリネにすれば、敵の懐に自ら飛び込んでいこうとするスレッタを止めるのは当然で5話でも絵面と台詞のインパクトが先行しがちなものの、同様の行為に及んで、エランとスレッタの逢瀬を阻止しようとしてました。結果的にはここでミオリネがスレッタを止められなかったために、スレッタはエランと明確に敵対することになってしまいました。

 ミオリネはまたも自分の預かり知らぬところで運命を決める決闘の約束を取り付けられたことに怒りを露にします。

 「負けたら許さない」と言い残して地球寮を後にしたミオリネですが、次に登場した場面……エアリアルのフライトユニットのテストが行われる際には、またしてもスレッタに発破をかける発言をしました。
 エランが突然冷たくなった理由がわからず落ち込んでいるスレッタの内心……エランと向き合いたいという気持ちを言葉を交わさずとも汲み取り、「鬱陶しい」というスレッタを否定し拒絶したエランの言葉をあえて用いて、肯定的に塗り替え、さらにいつもスレッタを奮起させてきた「進めば二つ」の魔法を使って、行動を後押ししつつ、傷を癒す……と、言葉より行動で示す傾向にあるミオリネが、劇中で最もうまく言葉を使った場面と言っても過言ではないかもしれません。

 そしてこれもやはり、自分の私的な感情は人知れず消化し、それよりもスレッタの意思を尊重し背中を押すことを選んだ場面です。
 
 ミオリネはその行動の真意はスレッタが負けたら自分が困るからと嘯きますが、美辞麗句による修飾が一切ない、正に尻を叩くという表現が相応しい物言いは、だからこそミオリネの言葉に打算などないことをすんなりと理解できます。

 
 言葉は厳しく見えても、四話で夜中の語らいをしてからのミオリネはスレッタの人となりを理解して、ミオリネなりの言葉や行動でスレッタの歩みを助け続けています。

閑話。描かないという見せ方 作風による恩恵と弊害※2835文字

 前項で描く、描かない、解釈、と言った言葉を幾度か用いましたが、これらを水星の魔女という作品そのものを批評する上で重要なキーワードにもなってくると思います。

 放送終後に『解釈の余地』という文言にまつわる炎上騒動もありましたが、ここで挙げるのは水星の魔女の物語自体の問題点として槍玉に上げられる、描写不足、及び、描写過多について。
 どういうことかと申しますと、これらの問題点は特にseason2を指して語られることが多いのですが、水星の魔女は魅力的なキャラクターが多い反面、それに伴うキャラクターそれぞれの物語の描写に割かれた尺、ガンダム作品故にMS戦闘に割かれる尺、全体の物語のテーマを表現するために割かれる尺……24話という限られた話数の中で、これらの配分がちぐはぐであり、描く必要の薄いものに尺を割かれて描くべきものを描けていないという批判が多いのです。 
 これらの批判は妥当性のあるものも少なからずありますが、ひとによって作品に求めていたものの違い、物語のテーマの捉え方の違いもあり、全ての立場から全ての批判内容に言及していてはきりがないので、ここではミオリネを中心とした視点から、描かれたものと描かれなかったものについて考えていきたいと思います。

 ミオリネ周りについても描写不足ではないかと言われる点がいくつかありますが、例えばスレッタとの絆の説得力が薄いという批判があります。再三言うようにミオリネの行動の動機はほとんど100%スレッタにあるので、こう言われる最たる要因はやはりミオリネの態度の刺々しさに加えて、二人が会話を通して交流を深めていく日常的な描写が少なかった点にあるかと思います。

 10話でスレッタがいきなりミオリネに対して好意的な様子を露にしたことに驚き、その変化を唐突に感じた視聴者もいたことでしょう。ですが、②で解説したように、10話の中でミオリネが仕事に邁進する様子が描かれており、スレッタも当然㈱ガンダムが自分(とエアリアル)のために作られた会社だと分かっているので、仕事に勤しむミオリネを間近で見ていたスレッタが9、10話間の二ヶ月の日常の中で、ミオリネに対する好意を日々膨らませていたと考えれば、なんら唐突でもなく、むしろそこまでのことをしてくれる相手に好意的になるのはごく自然なことです。

 しかし、このように捉えるには行間を読むという行為が必要になります。

 先の例の他にも、

・7話冒頭で二人で温室の植物を世話する様子を描き、1話でトマトを見たことすらなかったスレッタが10話では一人で温室の管理を任されるまでなっている、と二人で温室の世話をするのが日常になっていたことを示唆
・ニカからの呼び方が10話では呼び捨てに、チュチュはお姫様や我儘女といった蔑称から名前呼びになる
・16話ではミオリネが地球寮の面々から頼りにされている様子を描き、8話でミオリネは逃げ出すような人じゃないと言ったスレッタに対して言い切れるほどの付き合いじゃないと言ったオジェロが21話ではミオリネの人となりに理解を示していた、等の描写から、9、10話間の空白の二ヶ月の間に交流と信頼関係を育んでいたことを示唆

 と過程を省き、きっかけになりうる出来事(8話で会社の方針として誰もが納得する答えを探し出してきた等)と結果だけを見せることで視聴者に行間を読ませる手法を多用しています。

 スレッタ、ミオリネ、地球寮メンバーの交流と信頼の深まりは行間を読むという言い方が大袈裟かと思えてしまう程度には、筆者は自然に受け入れられましたし、実際、ミオリネ個人でなく作品の問題点を批判する際にはこういった意見はあまり見受けられないように思えます。

 ですが、水星の魔女は主人公スレッタの殺人とその後の葛藤、大きな挫折から立ち直り再びガンダムに乗るまでの過程というストーリー上重要な心理面についても明確な言語化をせぬまま進行していく等、物語の核心に迫ってくseason2でこういった説明不足とも言ってしまえるシナリオライティングが顕著になっていきました。
 こういった作風も悪いことばかりではなく、解釈を巡る議論がSNS上等で活発化したことで放送終了後もストーリーについて語られる機会が少なくないので、熱心なファンが作品に対する熱量を保ち続けている一因となっています。が、やはり、デリングの行動の真意、ノートレットは何のためにクワイエット・ゼロを考えたのか、シャディクの最後の決断に対する周囲の反応等々、謎が謎のままだったり不可解な部分などもあり、賛否を呼ぶ大きな要因となっているのも確かです。

 これをキャラクター個別の問題として見ると、やはりスレッタの心理描写が薄かった点は否定的な意見も少なくありません。行間からそれを読み解く材料は十分に散りばめられているのですが、とはいえ結局それではハッキリした答えが得られないままなので、特に人を殺した後、ごく日常的な笑顔を見せた理由が不透明なままであったのに消化不良的な感覚を抱いた人もいます。
 筆者は「水星の魔女」のファンの中でも、そこそこ熱心な部類であると自負していますが、こういった批判は理解できますし、同意出きる部分もあります。

 ただ、ミオリネに対する否定的な見解の中には解釈の余地の範疇を逸脱し、最初からミオリネを扱き下ろすことを目的としたものも多く存在しており、一例として挙げるとスレッタの意思を尊重せずに自分の目的のためにスレッタを洗脳しているというような批判があり、ちゃぶ台を返すようですが、この意見については行間を読み解く以前の問題であり、神の視点から物語を俯瞰している視聴者の立場からは通常起こりえない誤解です。

 ミオリネは明言こそされないも1カットの表情や手の動きなど、登場人物の中でも細やかな心理描写がなされているキャラクターであり、加えて、先にも述べたように(意思の強さや行動力の高さを差し置いて考えると)ごく一般的な感性の持ち主であるため、その心理描写が意味するところも汲み取りやすく、こと心理面においては作中でも特に解釈の余地が少ないキャラクターです。


 ミオリネに独断癖があるという点は事実であり、その点を指摘するのであれば、まだ筋が通りますが、その独断癖を根拠にして、スレッタを自分のために利用しあげく洗脳しているという批判に繋げるのは、悪意に満ちた曲解でしかありません。 
 独断癖についても水星の魔女の中におけるミオリネの物語とは、スレッタを守り助けるための奮闘を軸としながらも、孤独だったミオリネが誰かを頼ったり頼られたり、甘えたり、弱みを見せることを覚えていく物語でもあり、その文脈における山場が11話の感情の爆発(④に解説)クライマックスが22話でミオリネとスレッタが本当の意味で手を取り合うシーンにあります(⑤にて解説)
 ミオリネの独断癖は欠点ではありますが、ストーリーを構成する支柱でもあるのです。

④「ずっとそばにいて」――成績優秀、容姿端麗。でも人付き合いは下手――


 

不器用ながら懸命で純真な生き方が多くの人を惹き付ける(10話、11話)※1908文字


 ミオリネの独断癖がもたらしたものとして、③でも少し触れた、10話でのすれ違いがあります。

 ミオリネは温室の管理を業者に任せ、もうスレッタに負担を強いなくてもいいようにしました。
 さらに、これまでスレッタに一任せざるを得なかったGUNDのテスターをエランを雇うことでスレッタのその任から解きます。
 結果、夢を叶えるため人一倍の勉強をしているスレッタが自由に使える時間が増えるわけですが、良かれと思って、説明せず、相談せず、ミオリネが独断で勝手に行ったことによって、スレッタがどんどん表情を曇らせていくのを仕事に集中するミオリネは気づきませんでした。
 
 配慮自体は良いのですが、任され頼られることに喜びを感じていたスレッタの気持ちを汲み取れておらず、スレッタはエランからのデートの誘いを断ったことを誉めてもらいたがってたので、デートを許したことも結果マイナス。その挙げ句、私はいらないのかというスレッタの問いかけに上の空で答えてしまう劇中最低のコミュニケーション力を披露してしまうミオリネ。
 このすれ違いはデリング譲りのミオリネの悪癖が招いた事態であり、スレッタもこの時点でもう少しミオリネにぶつかろうとしても良かったのかもしれませんが、ほぼ100%ミオリネが悪いです。ここは擁護しません。

 続く11話のスレッタとミオリネの追いかけっこからの本音のぶつけ合い。今までどんな相手にも強気に立ち向かってきたミオリネが、スレッタに避けられたり誤解されたり、逃げられることには耐えきれずに、感情を爆発させてスレッタの胸をポコポコ叩きながら、涙ながらに本心を吐露することで、二人の蟠りが解け絆が深まるこのシーンもファンの間で人気の高いシーンです。
 
 この直前のシーンまでのミオリネも、ニカを次のプロジェクトのリーダーに任命する皆を伝えつつ、さらりと発破をかけるなど社長として部下に対するコミュニケーションも心得た様子で余裕すら見受けられますが、スレッタのことを追求されると子供のように居直った態度を取ったり、露骨に避けられていることを気にしていない風な素振りを装うも、一瞬傷ついた表情をしていたり……そこへ来て、感情を爆発させての「私から逃げないで」と、前話で行った配慮とは真逆の要求……ミオリネがようやく本心を見せ、スレッタという他人に甘えたこのシーンは、その前のエピソードで冷静な指揮官や優秀な新人CEOとしての面が目立っていたミオリネが、16歳の少女に過ぎないことを思い出させてくれるシーンであり、勇敢で優秀でひた向きだけど素直じゃなくて不器用な彼女のキャラクター性をグッと深めてくれるシーンでした。
 
 ここでのミオリネの「任せてくださいって私に言って」という台詞を、この後のミオリネからスレッタへの要求を強要させる趣旨のものであるという強烈な誤読も一部見受けられますが、トイレでプロスペラに電話していたスレッタの言葉から、任されたかったスレッタの意思を汲み取ってのものなのでこれは完全な誤読です。

 さらに、ここでミオリネがスレッタに暴力を振ったとして、ミオリネを叩く意見もあります。まず前提として、親しい間柄にある者同士にとっては、多少の小突きあいはコミニケーションの範疇です。ミオリネがしたのも子供の頭を軽くはたいたり、友達の脇腹を小突いたり、恋人の頬をつねったりするのと同一線上の行為で、そのように親しい相手に自分のことをわかって欲しい、誤解されたままでは嫌だというごく当たり前の感情の発露であり、他者を一方的に傷つけ支配するための行為である暴力という一線を越えるものではありません。
 確かに新進気鋭の若社長らしいスマートなやり方とは到底言えませんし、誉められた行為でないのは確かですが、なにより、その後のやりとりの中でスレッタも温かい気持ちが込み上げるのを感じながらミオリネを抱き返し、彼女の気持ちを受け止めています。殴られた痛みのことなど気にしている様子は全くありません。
 一連のシーンの中から二人の感情を無視して、ミオリネがスレッタを叩くシーンだけを取り上げて、外野から暴力だ等となじるのは野暮というものでしょう。
 それでも殴ったのだから暴力は暴力だと言う意見も全く理解出来ないものではありませんが、暴力は暴力はとして前後の脈絡や彼女達の事情を一切慮ることのない姿勢もまた暴力的に強固なものでありますし、ミオリネの行為を暴力であると断定したとしても、直後に二人の問題は解決した以上、蒸し返してミオリネを執拗に非難することは、彼女に対してなにか私的な怨みでもあるのかと思うほど偏執的な行為でもあるように思えます。

 

⑤「さようなら。水星のお上りさん」――人生の全てを賭した献身の行く末――


大切なものを失くしたくない……自ら罪過の輪の中へ(17話)※3179文字


 ミオリネの行動が自分勝手なものであるという言論に対する反論の根拠となりうるシーンは、これまで述べてきた内容も含めて枚挙に暇がありませんが、最たるものは17話でスレッタを突き放したことでしょう。

 自分勝手というのは、つまり、自分の都合だけを考えて行動することです。17話のミオリネの行動はスレッタに相談せず自分だけで考えてのことですが、動機はスレッタに幸せになって欲しいから。利己的、自分勝手という概念とは対極に位置する利他的動機です。
 ミオリネは11話で「ずっとそばにいて」と本心を吐露したように、スレッタと共にある未来を望んでいました。
 己が望む未来の可能性を捨ててでも、ミオリネはプロスペラの呪縛、ガンダムの呪いからスレッタを解き放つ道を選び取ったのです。

 が、残念ながらこのシーンもミオリネを批判する際に度々言及される場面であり、ファンの間でさえ、行動に至った理由には理解を示しながらもスレッタの悲鳴のあまりの痛ましさから、やり方が過剰ではないかと言う意見も散見されたほどです。

 あそこまでこっぴどくスレッタを傷つける必要があったのか、他に良いやり方があったのではないかという意見は、結果論的な側面もありますが、視聴者の立場としては十分に理のある意見と言っていいと思います。

 しかし、ミオリネの立場からすれば他のやり方を模索する余裕などなかったはずです。

 ミオリネがスレッタを裏切り深く傷つけたこの場面。これもやはり、前後のシーンのインパクトに押されて言及されにくいのですが、16話時点でスレッタの方が先にミオリネを裏切り傷つけてしまっています。

 お母さんが言うなら、学校を作る夢も諦める。
 お母さんが言うなら、ガンダムで人を殺す。

 スレッタが一瞬逡巡する様子を見せながらも思考を放棄して吐き出してしまった言葉でミオリネが受けたショックは計り知れないものです。
 ミオリネを呪縛から解き放って進ませてくれたスレッタが、自分と同じように、あるいはもっと深刻に親に縛られていた。

 自分で決めたと言っていた夢も、あっさり諦めてしまった。
 スレッタとエアリアルをガンダムの呪いから解き放つため、それまで積み上げてきた全てを他ならぬスレッタの口から否定されてしまった。
 赤の他人であった自分のために、へっぴり腰でもグエルといういかにも屈強そうな男に立ち向かった怖がりで優しいスレッタが人を殺して笑うことを肯定してしまった。

 このやり取りの中でミオリネが受けたショックは計り知れません。詳しくは伏せますがドラマCDで描かれた彼女の過去の傷を再演するかのような悲劇性をも含んだ一幕でした。  
 それでもミオリネは、ただ落ち込むでもなく、スレッタを見限るでもなく、そのままその足で駆け出していき、これ以上スレッタを利用させまいとプロスペラに直談判をかけます。
 が、ここでプロスペラから自分の家族とスレッタの家族の間にあった確執を告げられました。

「あなたのお父様は私達親子の仇だもの」

 自分も、人殺しの輪の中にいる。
 立て続けに大きなショックを受け呆然とするミオリネですが、それでも「スレッタを巻き込まないで」と毅然と言い返します。

 母の言うことならと、なんでも聞き入れてしまうスレッタを目の当たりにしたばかりなのですがら、放っておけばスレッタが復讐の道具に利用されてしまうことは容易に想像できます――実際にはプロスペラもスレッタをスコア上げ以上のことには巻き込みたくなかったようですが、この時点の視聴者にすらわかっていないプロスペラの心境をミオリネが推し量れるはずもありません――

 ですから、なんとしてもスレッタだけは人殺しの輪の外に出したいミオリネはプロスペラの要望を聞き入れ、自分がべネリットグループの総裁になることを即決(相談なんて誰にできるはずもなく独断で……)してしまいます。


 これ以上スレッタを利用しないことの条件としてプロスペラから提示されたのは、最後にもう一度決闘を行うこと。それが第一条件です。
 ですが、ホルダーとの結婚が確定する自分の誕生日が目前に迫ったこのタイミング……その決闘にスレッタが勝利してしまえば、スレッタはマーキューリー親子の仇の娘であり、クワイエットゼロ計画の実行のためにべネリットの総裁となる自分の伴侶となってしまう。そうなれば、否応なしに罪過の輪の中に組み込まれることになるでしょう。
 つまり、第二条件として決闘には負けてもらう必要がある。その上で、もう自分と関わらない様に突き放さなければいけない。
 
 そして、家族であるエアリアルもプロスペラ同様、スレッタから切り離さなければいけないのが第三条件。エアリアルとの繋がりを保つことは、プロスペラ自身と彼女の企みとの繋がりを保つことと同義です。
 プロスペラもわざとらしい口調で懸念を示したように、説得ではスレッタをエアリアルから切り離すことは簡単ではないでしょう。
 そもそも腰を据えて説得していられるようなゆとりはありません。ミオリネの誕生日はもうすぐなのです。

 決断のタイムリミットが迫る中、ミオリネはグエルがスレッタに告白し、自分にも大切な人がいると返す場面に偶然居合わせたことで、全ての条件を満たした、現時点で選び得る唯一の、しかし決して最善ではない手段を選ぶことを決意した。
 言うまでもなく、ミオリネもまたスレッタを大切に思うからこその苦渋の決断でした。

「あの子には幸せになってほしいの。ガンダムとか、何にも縛られない世界で」

 ミオリネがスレッタ以外の相手に本心を溢した数少ないシーンでのこの台詞。
 何にも縛られない世界で、幸せに生きること。それはかつて、ミオリネ自身の願いであったはずのことです。

 どれほど孤立しようとも、誰に決められたものでもない自分自身の人生を生きることを切望して止まなかったミオリネが、ただ一人の大切な人のため、その大切な人と共に過ごせる未来を捨ててでも、その大切な人を傷つけてでも、これまでにない迷いの末に下した決断は、確かに正しいものではなかったかもしれませんが、視聴者という神の視点から、もっと良いやり方があったなどと断じるのは些か傲慢ではないかと筆者個人は思います。

 少々話しが逸れますが、プロスペラからデリングは親子の仇だと告げられたシーンで、スレッタを巻き込むなと突っ返したミオリネに対して~加害者一家が復讐は親同士でやれと言い切るのは倫理観がない~という批判もあります。
 そもそもヴァナディース事変はミオリネやスレッタが生まれる前の出来事であり、実際のところデリングの罪にミオリネは関係ないので、こういった言論事態が被害者の立場を巧みに利用した加害思考であるという個人的な考えもありますが、それを置いておいてもこの場面でミオリネが訴えてるのはあくまで『スレッタを巻き込むな』という点であり、直後にクワイエットゼロの相続を引き受けてることからも、結果的に自分が巻き込まれることは受け入れていますので、復讐の対象にされることまでは是としていないものの、自分がデリングという加害者の娘であることは総裁を引き継ぐことでその責任も同時に担う形になっています。決して無責任に我関せずの姿勢を貫いたわけではありません。
 
 とにかく、17話でミオリネがスレッタを突き放し、家族をも切り離した残酷な選択は、自分の意思を捨ててプロスペラに選択を依存するスレッタを解き放つため……即ち、スレッタ自身の自由な意思を本当に尊重したからこその選択です。その結果がどうあれ、その決意は容易に否定されていいものではありません。

 筆者が想像し得る限りで、この時ミオリネが選び得る可能性の中で自分勝手と非難されてもやむ無しと思えるような選択は、クワイエット・ゼロと総裁の相続を放棄し、スレッタを連れ出してエアリアルもプロスペラもいない場所……紛争が繰り返される危険地帯である地球へ逃げることくらいなものです。

閑話。ここまでのミオリネの総評と、「目的」に関する余談※1995文字



 ミオリネは初見の印象では高飛車な我儘お嬢様的なキャラクターのように思えます。①でも書いたような、昨今あまり見なくなった少々前時代的なキャラクター造形ですね。

 しかし、これまで述べてきたように、その性格の奥には共感しやすいごく人間的な感姓と、大それた行動を実行に移せるヒーロー的な勇敢さ、自分自身を犠牲にしてでも主人公のために尽くす良い意味で古風なヒロイン的性質を併せ持っています。
 物語が進むにつれて、その複雑で多面的な魅力が露になっていくことで、前半の高飛車な態度すらも魅力的に思えてくるような、いわばパノラマ写真的な描かれ方をされており、最初に切り取られた一面のみを全体像であると思い込んでしまうと全景のほとんどを見落としてしまう事になります。
 
 ミオリネに対するネガティブな批判の中にも、ミオリネを叩くという目的を前提として、ごく一部を恣意的に切り取って、事実を曲解している意見が散見されます。

 心理学の中に目的論という考え方があり、ざっくり言うとある目的のために人は無意識的に感情や状況を作り出していくというものであり、ミオリネに対する非難の声の中には、物語の文脈を大きく崩壊させる解釈――解釈という言葉が不適当に感じる程度には、物語における意味合いが確定的な事象についても曲解して受け取っているのですが――が多く見られ、その常軌を逸した認知の歪みぶりは、なにかしらの不満を抱えた視聴者が、ミオリネというどのような暴論に対しても反論不能の架空の人物に対して、ミオリネを悪に仕立て上げ物語と彼女という人物を不当に歪めて、自分が正義でミオリネが悪という状況を作り出し、正義の怒りを以て彼女を叩くことで、ごく刹那的な優越感を得る、あるいは解消されることの無い不満の解消を試みる等の無意識の目的を果たそうとする脳に支配された結果なのではないかという解釈が出来てしまうほどに破綻しています。

 勿論これはあくまで仮定ですが、こうなってしまった場合、この視聴者が物語を提示されたままの形で受け取ることは、彼(彼女)の正義の崩壊を意味しますし、そもそも無意識という膨大で複雑な領域に秘匿された感情を自ら認知することは極めて困難です。

 著者も日常を送る中で無意識に様々な目的を果たそうとする脳に行動を左右されてしまう、ありふれた人間の一人ではありますから、そういった行動原理自体には理解を示しますが、同時にミオリネと水星の魔女の物語の熱心なファンであることは意識的に自覚しておりますので、ミオリネが妥当性のある批判でなく、不当な誹謗中傷に晒され続ける現状にはやはり思うところあり、今更ながらにこの記事を執筆した本来の目的をお伝えさせて頂くと、そういった不当な非難から、ミオリネを、引いてはミオリネの物語を擁護したいがため、現状に対する怒りと少々の悲しみに駆られたことを発端としています。
 しかし、記事を書く過程で好きなキャラクターと物語を思う存分語るという個人的な楽しみを感じ始めました。

 ここで一度ハッキリと申し上げておきたいのですが、著者は水星の魔女の全てを肯定的に捉えているわけではありません。人物の描写にも物語の描写にも、間違いなく多いに欠陥はありました。
 ですが、水星の魔女はそれを補えるだけの魅力に溢れている作品だと思っています。
 物語の登場人物は完璧であること、そしてその行動原理も秩序的であることを求められますが、水星の魔女のキャラクターは等しくなにかしらの欠点を抱えており、それぞれに間違いを犯し、時に無軌道な行動に打ってでます。

 一瞬の判断で殺人という禁忌を躊躇なく実行したスレッタも。
 正しいと思った道を躊躇いながらも盲進して挫折したミオリネも。
 父を殺し、流れ着いた地球で知り合った少女を自分の行動になぜと疑問を抱きながらもひた走ったグエルも。
 ペイル社の意向に逆らえず、誰も好きにならないと嘯きながらも理解者を求めていたエラン4号も。
 誰よりも貪欲に生にしがみつきながらも、明確な人生の目的を持たぬまま飄々と道化を気取ったエラン5号も。
 理想に邁進する覚悟を決めながら、心の片隅にミオリネに向ける純心を捨てきれなかったシャディクも。
 罪過の輪の中心にいながら、一番にはほど遠いやり方で娘を守ろうとしていたデリングも。
 復讐心に苛まれ続けながらも、娘の幸福を選んだプロスペラも。
 
 誰しも完璧でないからこその複雑な魅力を持った人物として描かれています。
 
 著者はこの記事を書くために改めてミオリネへの誹謗中傷の数々に目を通し、その内容の心無さに、届くとも思えぬ反論に虚しさも覚えながらも、この完璧ではない物語に魅せられた一視聴者がいることを一人にでもお伝えしたく、私が目一杯楽しんだ物語の感想のほんのごく一部として、この甚だ馬鹿げた、病的な長文を書き上げた次第でございます。


⑥「私はもう間違えたくない」――それでも、もう一度、手を繋ぐ――

 

家族という糸。スレッタの視点から(season2全体)※2022文字



「さようなら。水星のお上りさん」

 冷然とミオリネが放った台詞は放映当時、視聴者にも大きなショックを与えました。

 無論、これは自分は今まであなたを利用していただけだと告げることで、スレッタがもう自分に関心を持たないように、自分のことも、ガンダムのことも忘れて、何にも縛られずに生きていけるようにするために、あえて突き放したのですが、まずここにミオリネの誤算があります。

 グエルも呟いたように、何にも縛られずに生きていける世界などないのです。

 では、グエルはどのような意図を持ってそう呟いたのか?これは彼自身、何かに縛られているという自覚がなければ出てこない台詞のはずです。

 答えは家族しかないでしょう。図らずも父殺しの罪を背負ってしまい、これまで父との関係から逃げてきたグエルは父の遺した会社を守ることで、ようやく父と向き合おうとします。
 言わば家族という切っても切れない糸で、父の遺した重荷を自分の人生に縛り付けて生きていくことを、グエルは自ら望んだのです。

 縛られる、という単語は一見ネガティブなのですが、例えば現実世界において小さなお子さんをお持ちのお母さんを例にすると別の側面もあることが分かりやすいでしょう。
 お母さんは子供の面倒を見るために一日の大半を費やし、必然的に趣味などに使える自由時間は減ります。つまり子供に縛られているわけで、心労も絶えない身の上ですが、悪いことばかりでもなく、子供と過ごす時間が幸福なものであることも、誰にとっても容易く想像出来ることかと思います。

 そして、スレッタもまた、家族という糸から切り離されるよりも、縛られていたかった。母の言葉に依存するスレッタの意思はそこにあったのではないでしょうか。

「お母さんを悪い魔法使いにしたくない」
 
 これは個人的な解釈のひとつでしかありませんが、最終決戦でのスレッタの叫びは、ひょっとするとseason2開始当初からスレッタがずっと内に秘めていた思いだったのかもしれません。
 ガンダムは人殺しの兵器。そうでないなら何のために武器を持っているのか。
 14話におけるソフィの問いかけはスレッタを動揺させました。
 母はいつも正しい。いくら盲信しようとしても、その瞳からは涙が溢れていました。
 思考を放棄しようとしていても、内心では薄々プロスペラが何かを企んでいる可能性に気付きはじめている……そう捉えることも出きる場面です。

 しかし、ガンダムが最初から兵器として作られていたという事実を認めることは、幼い頃からそのパイロットを務めてきた自分もプロスペラの企みに最初から組み込まれていた可能性を認めることになります。
 それはいつも優しかった母の言葉に裏があったと認めること。
 それはこれまでスレッタの成功体験の根底にあり続けた「進めば二つ」の否定に繋がること。
 それは水星という環境で身近な存在がエアリアルとプロスペラしかいなかったスレッタの人生を根本からひっくり返してしまうような、簡単に向き合うことなど到底出来ない、とても恐ろしい可能性です。

 お母さんは正しい。お母さんがそう言ったなら、きっと何か理由がある。
 22話でスレッタ自身が語った人を殺したことをみんなのための正しい行いと思い込もうとしたことが作中でこれまで伏せられてきた心の葛藤を端的に表した言葉でしたが、その盲信の裏には、お母さんを悪い魔法使いにしたくない、という思いが既にあり、それが後にお母さんと一緒にやりたいことがある=家族でいたい、という願いに繋がったのではないかと筆者は考えています。

 そしてスレッタにとって家族とは、プロスペラとエアリアルは勿論、season2ではミオリネも含まれています。
 スレッタはseason1後半から度々ミオリネとの婚約関係を強調する発言をし、17話では指輪や結婚式についても言及しました。スレッタにとって、ミオリネは既に将来の家族であり、やりたいことリストがいくら叶っても、ミオリネがいないのは、もう会えないのは嫌だと、18話でエアリアルに打ち明けたように、どれほどこっぴどく突き放されても簡単に自分の人生から切り離せるような存在ではなくなっていたのです。そしてそれは、エアリアル(エリクト)とプロスペラも同様です。

 ミオリネの選択が大きな悲劇を招いたその裏側で、プロスペラ、エリクト、そしてミオリネ……それぞれから、あなただけは自由に幸せにと突き放されたスレッタが、クインハーバーの悲劇を報じる報道にミオリネの姿が映ったことで、彼女達の真意に気づきました。
 しかし、真実を知ったとして現状を変えうる手段を持たず燻っていたスレッタは学園の崩壊後、それでも出来ることをやるしかないのだという気づきを得て、そこにガンダムという手段が与えられたことで、三人の家族との絆に再び向き合きあいたいという純粋な気持ちから、他の誰でもない自分自身の心が選んだ物語のフィナーレへと進んでいきます。

人は一人で生きていけるほど強くない。支えあえる相手と共に困難に立ち向かう(22話)※1537文字


 
 正しいと思った唯一の道が大きな過ちを招いた。
 ミオリネはクインハーバーの悲劇、学園の崩壊、クワイエットゼロを掌握したプロスペラによる、およそ戦争の光景とは思えないほど一方的な鏖殺ぶりを見せつけられ、それら全てを自分の責任として抱え続けたことで、遂に心が折れてしまいました。
 17話以降常に同行していたグエルもフォローしたようにこれらの出来事全てはミオリネにも責任の一端はあるにしても、ミオリネ一人が背負わなくてはいけない責任ではありません。ですが、ミオリネは自責思考が強く、自分の選択の責任は全て自分が背負うものという考えがあり、それは4話でスレッタを叱咤する際の言葉にも出ています。

 高潔で善良な部分が仇となり、とても人間が一人が背負いきれるものではない重圧を抱えてしまったミオリネは、ドアを固く閉ざし、身嗜みを整えることすら放棄し塞ぎ込んでしまいました。

 そこに、未来を犠牲にしてでも、傷つけてでも守りたかったスレッタが現れ、クワイエット・ゼロへ向かおうとする意思を告げます。聡明なミオリネならそのための手段はガンダムしかないことにもすぐに気づいてしまったことでしょう。

 これまでエリクトやプロスペラに支えられえきたスレッタはひとりで決めて選ぶことがすごく怖いとミオリネに打ち明けました。

 しかしミオリネは都合の良い言葉を言ってあげることなんて出来ませんでした。
 自分で選んで決めた道が多くの人を犠牲にした。守りたかったものも守れなかった。

「あんたを母親から引き離したことも、全部間違ってた」

 スレッタもまた自らの過ちを認め、その上で、正しくても間違っていても、何も手に入らなかったとしても、できることをして前に進んでいくしかないのだと、誰の受け売りでもない言葉で思いを語りました。
 それでも、まだミオリネには届きません。

「私はもう間違いたくない」

 選んだ道の先で、また多くの犠牲を生んでしまうかもしれない。もう背負いきれない。ミオリネの言い分も理解出来ます。

「私がここまで来れたのはミオリネさんと出会えたからです。これは間違いなんかじゃありません」

 スレッタの言葉は11話のミオリネに対してのアンサーのようでもあります。
 ミオリネが進めたのはスレッタのおかげでした。
 そして、スレッタがここまで来れたのはミオリネのおかげ。
 二人は互いに互いが前を向くための勇気になっていたのです。
 どれほど強がっても、正しさを信じようとしても、間違いに気づいても、人は一人で生きていけるほど強くありません。
 スレッタは都合の良い言葉が欲しかったのではなく、ミオリネに自分の思いを伝えることそれ自体が、自分の選択を後押しする勇気に繋がるものであり、母の元を離れた彼女の心が選んだ本当にやりたい事でした。
 
 これまで独りで歩み続けてきたミオリネもまた、一人であることの限界にぶつかり、一人で向き合えない自分の弱さを認め、自分のやったことから逃げ出せるほど無責任にもなれないからといつか一緒に地球へ行ってと望みます。
 それは17話でスレッタが決闘の最中に口にした願いと重なります。
 ずっと隣にいたい。
 それも11話のミオリネへのアンサーです。
 一緒に地球へ行っては、口下手なミオリネがかつて、らしくもないほど率直な言葉で一番に求めた願いが形を変えたものです。
 自分は弱い。それでもあなたがいれば前を向ける。だから、ずっとそばにいて。私を支えて。一緒に生きて。

 それでも支えられ守られてばかりの儚いヒロインにはならないのがミオリネです。彼女は自分の足で歩き、自分の手で閉ざしたドアを開き、憔悴し弱りきった姿と、以前はかたくなに隠した泣き顔をスレッタに晒け出しました。

 誰かの言葉じゃなく、自分の意志で進む道を選ぶこと。
 一人の限界を知り、時には背負った荷物を誰かと分け合うこと。
 二人の成長の物語が重なり、そうして、二人は解けた糸を結ぶかのように固く手を繋ぎました。

 物語は最終局面へと突入していきます。

⑦「私達、家族になるんだから」最も険しい道を進もうとする覚悟


それぞれがそれぞれに寄り添おうとする想い(23話、24話)※2780文字


 22話は後半にもミオリネのファンが度々話題に挙げる彼女の名シーンがあります。
 キャリバーンの起動の際、パーメットの流入に苦しむスレッタの様子を見て、スコアアップを躊躇うベルメリアの傍らで躊躇なく、表情ひとつ変えずにスコアアップを指示したミオリネが、無事条件のスコア5に到達した瞬間、安堵のあまり涙を溢して表情を崩すシーンです。

 死の恐怖に震えながらもキャリバーンに乗ったスレッタの意思と覚悟を尊重し、彼女を送り出すために自らも覚悟を決め気丈に振る舞っていたミオリネですが、その内心ではスレッタを失ってしまう不安と戦っていることが示された、ミオリネのキャラクター性をワンカットに集約した胸を打たれる場面です。

 それでもなお、ミオリネがスレッタを無理矢理キャリバーンに乗せたという声がごく一部に見られますが、これはもう反論するまでもなく、論じることすら彼女達に失礼なので、次へいきます。

 スレッタとは別行動を取り、クワイエット・ゼロ内部へと侵入し、エラン5号やベルメリアらの支援を受けながらクワイエット・ゼロの停止を試みる最中、プロスペラに対してミオリネが叫ぶように訴えた言葉。

「母親なら等しく愛してやりなさいよ!」

 
 この台詞はミオリネへの批判の中でも特に物議を醸したひとつであったと思います。

 というのも、この言葉は現実の家庭が抱える問題に置き換えることも出来る深刻で繊細な話題だからです。

 例えば二人の子供を養う家庭があったとして、一方は精神や身体面に問題を抱えておりどうしても手のかかる子供で、もう一方が精神肉体とも健全(に見える)子供である程度放置しても問題ない。
 この場合母親は二人を等しく愛していたとしても、必然的に前者により時間と手間をかけるので、それを母親になったこともない部外者の小娘が不公平だと詰る様に怒りを覚えた視聴者が多かったようです。
 確かにそれは現実的な難しいであり、母親側に依ったこの言い分も多いに理解出来るものではありますが、これが公平さに関する問題である以上、ミオリネの言葉がこの例において母親からの愛情を十分に受けれていないと感じている後者の本心に依った言い分であることも留意すべきではないかと思います。

 この問題についての議論は誰の立場に立つかという点に本質があり、誰が正しい間違っているという結論を得られる話題ではないかと思います。
 
 このような論調でミオリネを非難した視聴者は母親であるプロスペラに寄り添った立場に立っているわけですが、プロスペラはデータストームの中でしか生きられないエリクトに寄り添い、ミオリネは命を掛けた捨て身の説得にさえも目を向けてもらえないスレッタに寄り添った発言をしたのです。

 著者はミオリネの台詞の中でも、この言葉は指折りで印象深く心に刺さっています。

 この台詞がなければ、健気に家族と向き合おうとしたスレッタがあまりにも報われないと感じます。

 スレッタは21話前半時点では「お母さんにとって一番大切なのはエリクトだから、私が何を言っても聞いてくれないと思います」とプロスペラの説得を諦めていました。この際のスレッタの諦観に満ちた微笑みには、普段の無邪気なスレッタを見てきた身として胸を裂くほどの悲痛な思いを覚えました。
 そして、その微笑みを見ていたからこそキャリバーンという命掛けの対話の手段を得たスレッタが、今できることのためにガンダムの呪いを受け苦しみながら戦うスレッタの思いがどうか届いて欲しいという気持ちで一杯になりながら見守っていました。

 プロスペラがキャリバーンに乗り、スコア5の状態で戦うことの危険性を知らないはずがありません。
 それでも、プロスペラはスレッタの思っていた通り説得に耳を傾けることさえしてくれませんでした。
 それでも、諦めずにエリクトに語りかけながら戦うスレッタの姿が映し出される中、強い想いで訴えかけたミオリネの言葉が救いになってくれました。
 それでも、スレッタの想いに必死で寄り添ってくれる人がいるのだと。

 この言葉が出たのは、ミオリネ自身も銃撃に曝されていた命懸けの決死行の最中であり、決して軽い気持ちで出た言葉ではありません。
 クワイエット・ゼロを停止させた後の「私達は家族になるんだから」というミオリネの言葉も虐殺の被害者遺族に対して加害者の娘が言う言葉ではないという非難がありますが、この言葉だって並大抵の気持ちで発せられたものではありません。そもそも、この時点でミオリネもプロスペラの思惑の犠牲になり、宇宙規模で報道された虐殺劇の首謀者という罪を背負わされた被害者になっています。そうでなくとも、無論ミオリネはプロスペラに対して良い感情を持っていません。
 それでも、共に罪過の輪から抜け出そうと手を伸ばしたミオリネの姿は、これまでの物語で幾度もその意思の強さを見せてくれたミオリネの精神がここへ来てより強靭なものとなり、スレッタと共に生きる覚悟の深さを伺わせてくれるものでした。

 23話内におけるミオリネのこの二つの言葉に対する非難がプロスペラの想いに寄り添った故のものである限り、著者個人としてはこの批判に対して非難する気持ちはありません。間違っているとも思いませんが、肯定もしません。ただ、スレッタとミオリネの側に寄り添って、ミオリネの言葉と想いもまた、間違ってなどいないと主張したいのみです。

 最終話でもデータストームの中に眠っていたヴァナディースの面々がプロスペラに語りかける中、スレッタはプロスペラの凶行を止める道を選んだものの、復讐を捨てエリクトの未来を選んだその意思までは否定せず、受け入れました。
 それでも、プロスペラは葛藤する様子を見せながらも「あなたになにが……」とスレッタの言葉を聞き入れてはくれませんでした。

 ご都合的にはスレッタの説得がプロスペラに届いても良い場面でしたが、しばしば展開や人物の言動に気が滅入るようなリアリティを散りばめてくる水星の魔女らしく、プロスペラの心を過去の呪縛から解くことができたのは、彼女が21年もの間、想いを注ぎ守り寄り添い続けた大切な本当の娘……かつての姿のまま、ようやく彼女の前に現れたエリクトの言葉でした。

 もしミオリネのあの言葉がないまま、この結末を迎えていたと考えると、スレッタとエリクトとエルノラの三人がぎこちなく家族に戻ろうとする中、21話で見せたような笑顔で一歩引いてしまうスレッタの姿を想像せずにはいられません。
 どこまでもスレッタに寄り添おうとしてくれて、スレッタのためなら姑の胸ぐらも躊躇なく掴みかかるほど本気で怒ってくれて、重い覚悟を以て家族の一員になろうとしてくれて、時には鬱陶しがられても言うべきことを言ってくれて、スレッタを失いそうになると本気で泣いてくれる……そんなミオリネの存在があるからこそ、マーキュリー、あるいはサマヤの三人が愛し合う家族として生きていく未来を希望をもって想像できるのです。

「帰りましょう」――幸せは帰る場所があるということ――


夕焼けの帰り道に想いを馳せる(24話エピローグ)※1333文字

 

 スレッタとミオリネ。どこまでも純真で健気な二人の少女を中心とした物語は全てが順風満帆な終わりを迎えることはありませんでした。
 この記事内でも幾度か語ってきた、厭味のあるリアリティによって、差別問題は解決されず、劇中で犠牲になった人物は悉く弱者の立場にあるもので、4CEOのような解りやすい悪党が世に憚る。
 それでも、ミオリネが自分に出来る限りを尽くし問題に向き合おうとする姿も最後に描かれております。シャディクの結末についても、小姑ことエリクトとの会話から、ミオリネが彼が自らの意志で選択した行いを受け入れながらも納得はしていないと解釈できる余地が残されています。
 
 ミオリネは22話での言葉通り、自分の行いに向き合い続ける険しい道を進んでいました。
 スレッタも回復に向かっているものの、身体に障害が残り三年後もまだリハビリを続けている様子でした。

 この結末を不幸とする声があります。
 さらには、ラストシーンに夕焼けを用いたことも終末の暗喩であり、その後に訪れる暗い未来の暗示であるという解釈があります。
 これには真向から、なに躊躇うこともなく反論いたします。

 ミオリネの姿を認めた途端、弾けるような笑顔で千切れんばかりに手を振ったスレッタも。
 そんなスレッタに三年前までからは想像も出来ないほど柔らかな笑顔で応えたミオリネも。
 そっとスレッタを支えながら話すミオリネの姿も。
 そよそよと揺れる一面の麦畑も。背後で優しく流れる挿入歌『宝石の日々』の歌詞も。
 なにもかもが彼女達が、ささやかでありふれた、混じりけのない幸福を手に入れることが出来たことを演出するものであり、ここから不幸な文脈を見出すことが出来るとすれば物語を強引に歪める暴論によってのみです。
 
 夕焼けが暗い未来の暗示であるという点については、持論とはなりますが、夕焼けは家族の帰り道を象徴するものであると考えます。

 また少し現実の話を持ち出しますが、この記事をここまで読んで下さった読者のあなた様は、子供のころ、日が暮れるまで友達と遊んで、迎えに来た父(母)に手を引かれて、夕焼けに染まる帰り道を通った記憶はございませんか?
 あるいは、手を引かれてく友達を見送って、ぽつんと取り残された後、羨ましさや寂しさを感じたことはありませんか?
 少し大人になってからも、夕暮れの時刻、騒がしい子供の声にふと振り返ると、少し困ったような顔でそれに応えるお父さんやお母さんを目にして、微笑ましさや、時には切ないような郷愁を覚えたことが、ただ一度でもなかったでしょうか?

 夕焼けの赤色は優しげに見えるのに。大きく飲み込まれそうな夜を背後に抱えてやってくる悪魔のようでもあります。
 だから、日が落ちる前に迎えに来てくれた家族と手を繋いで一緒に歩く夕焼けの帰り道を、著者はとても幸福なものだと思います。

 誰もいない温室で植物に向かって自嘲気味に「ただいま」と投げかけるミオリネと、長い間物言わぬМSだけが友人で、その狭いコクピットの中が居場所だったスレッタが、お腹が空いたから、帰ってご飯を食べようと手を繋ぐ相手と共に帰る場所を、できることを尽くして勝ち取ったこの結末が不幸であるならば、私には最早幸福の定義がわかりません。
 
 ミオリネとスレッタという小さく閉じた世界の中で生きてきた少女達が互いに出会ったことから始まったこの物語は、二人ともがそれぞれの欠点を抱える中で拙く不格好にも外へと向けて歩きだし、その過程で起こる様々なトラブルに互いに助け合い、信頼を深めてゆき、一度断たれた繋がりさえもう一度結び直し、大きな世界へと立ち向かっていく意思さえも手に入れた。どのような文脈においても彼女達の成長を否定することは敵いません。
 そして、困難に共に立ち向かうために手を取り合うことが出来た彼女達は世界の厳しい現状に対して、交渉、医療、教育といった手段で向き合う道を進みながら、家庭という幸福の中に帰っていける日々をもその手に掴んだのです。

 我々の生きる世界もまた彼女達の世界同様、様々な困難に満ちており、それは二人の少女が過去の因縁に起因するあらゆる障害を乗り越えて結ばれたことさえ公に祝福することさえ叶わないという、向こうの世界とはまた違った困難であったりしますが、我々の世界には、既に描かれた物語を消せる消ゴムも上から書き換えることの出来るペンも存在しません。
 向こうの世界と我々の生きる現実にどれほど大きな隔たりがあったとしても、これほどはっきりと、ささやかであっても眩しいほどに輝かしく描かれた幸福は、ささやかであればこそ、空白なく満ちたりており、そこに解釈を挟みこむ余地はありません。どのような文脈においても、二人の物語の結末はHAPPYENDです。

おわりに

解釈は物語を受け取った者それぞれの自由。その意見には多いに同調致しますし、この記事内でも著者の解釈や持論を語らせていただく段落がありました。
 ですが、解釈とはあくまでも物語の中で描かれなかった空白や余白という受け手が書き込める余地のあるスペースの中で展開されるものであり、物語の中で描写された事象にまで、無理に己の解釈をねじ込もうとする行為は、いわば書かれた文章の上にそのまま別の文字を書き重ねるようなものであり、元あった文章など解読できなくなりますし新たに重ねた文字もまっとうに読み取れるようなものではありません。
 これは物語を物語るということそのものへの冒涜であり、物語の価値を根本から否定するものであり、あまつさえその解読不能、荒唐無稽、文脈無用の印刷ミスしたページのようなどす黒く滲んだインクの塊の如く見るに堪えない醜悪な曲解をさも真実の物語であるかのような論法を用いて吹聴する一部の視聴者の言動には看過しがたいものがあります。

 しかし、彼ら彼女らもまた、自分の正しさを信じて妄進している最中であり、その説得を試みることなどおよそ不可能であり、説得しようと思うこと自体傲慢なのでしょう。

 ですから、著書は出来る限りのこととして、ミオリネに対する誤解を解くための文章を綴り、誤解の域を超えた曲解に反論しつつ、彼女の魅力のほんの一部を語ることで、ミオリネとミオリネの物語が間違いなく魅力的で深く人の心に刺さり得るものであったことを主張するためにも、長く言葉を尽くしてきました。

 それでも、ミオリネや水星の魔女に魅力について語り得たのはほんのごく一部です。
 2024年5月1日にX(Twitter)上でトレンドに入るほどのムーブメントとなった#ミオリネさん大好きのタグをつけて多くのファンがFA等の二次創作や貼り付けながらミオリネの魅力を語りました。そのポスト数は最終的に約8000にまで上り、放送終了から一年が経とうというタイミングで、一人のキャラクターへの愛を語るというだけの趣旨のタグがそれほどの盛り上がりを見せたことを考えれば、この私が長々と語ってきたミオリネの魅力が本当に彼女のごく一部に過ぎないことにもご納得頂けるのではないかと思います。

 この長文に最後までお付き合い下さった読者様がどれほどいらっしゃるか定かではありませんが、著者としてあなた様に多大な感謝を申し上げると共に、最後にこの怠惰なる著者にここまでの長文を書かせるだけの情熱をもたらしてくれたミオリネ・レンブランというキャラクターと、彼女を取り巻く魅力的キャラクターの数々と物語を描いて下さった製作スタッフの皆様、声優陣の皆様にもこの場は借りて目一杯の感謝の念を記させて頂くことでこの記事を締めたいと思います。

 皆様、本当にありがとうございました!



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