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島ごとぽるの展
この夏、我が故郷で初の野外ライブを開催します。
そして今日から島ごとぽるの展が始まりました。
手始めに僕の故郷の話でもしましょうか。
「インド島ってどこですか?」
僕の出身は、広島の瀬戸内に浮かぶ因島という島。
僕達もここぞとばかり島名を連呼しましたし、しまなみ海道が自転車乗りの聖地と化したこともあったりして今でこそ、そこそこ名の知れた場所になったんじゃないかと思うけど、かつて「出身どこですか?」と聞かれて「因島」と答えても、聞いた人のほとんどリアクションが、
「ん?インド島?(カタカナ表記って感じじゃなくきっと印度島っていう文字を連想しているのだろう。僕の滑舌も問題ないと思われます。)そんな島あるんですか?それはどこに?」
「いやいや、いんのしまですよ。広島の瀬戸内海の小さな島なんですよ。」
ほんとに何度この問答があったことか。
この流れから一度『印度島』を連想してしまった相手の頭にはさぞ辺鄙な秘境的な島が思い浮かんだのでしょうか、「人口ってどれくらいなんですか?」という質問が来ます。
が、その裏には「え?もしかして100人くらい?もっと少ない?みんな親戚?」というような期待なのか興味なのかが垣間見えます。
「30000人くらいなんですよね〜。(よく聞かれた27,28年前の人口。現在は約19000人)」
と答えると秘境話が聞けると思ってた相手が急激に興味を失うのがわかります。
「意外と多いんですね。」
興味はうすうすになってます。
ここで僕は変なスイッチ入ります。
「そうなんです。島なのに市なんですよ。造船で栄えて結構な人数いるんですよね。(尾道市に統合される前は因島市でした)」
と、なぜか、あなたが思っているより田舎ではないぞマウントを取ってしまってました。
いや、十分田舎なのに。
確かに、同じ瀬戸内出身の千鳥、大悟さんの北木島のような誰もが唸るような島エピソードがないんですね。
1975年の人口が42000人ほどだったらしくこの島にその人数いたらそこそこ賑やかだったんじゃないかと思われます。その最盛期の空気感を浴びてる僕はなんか田舎者なんて思って育ってはなく何か選ばれし特別な場所で育ったくらいに思っていたかも知れません。
もし、その方との時間が許されていたならば、次のように山のような因島の自慢と情報を注ぎ込みたかった、無理矢理でも嫌がられても。
「小学校は、10近くありましたよ。うちの小学校は因北小ってところで1学年は35人くらい4クラスありました。全校生徒は800人以上いましたね。ベビーブームの真っ只中でしたし。僕は、中庄(なかのしょう)というところの釜寺区出身です。
中庄は、因島におけるベッドタウンっていうんでしょうかね。土生(はぶ)の方が東京でいうところの新宿、渋谷って感じで、中庄は、たまプラーザって感じです。(そんなわけない)」
「有名人ですか?昔UFOってバンドがあったんですよ。村上ショージさんも因島にいた事あったらしいです。そしてなんといっても東ちづるさんですよ。高校の先輩です。因高(因島高校)の漫研だったらしです。(現在ならここに湊かなえ姉さんが入ります。同じ町出身だとゴリゴリ自慢をするでしょう)」
「コンサートですか?因島市民会館ってところに、かつて村下孝蔵さん来たらしいです。
大浜記念公園ってところの野外イベント施設にも酒井法子さんとSHOW-YA来ました。
隣の島のサンセットビーチにはドリカムとLLブラザーズも来ました。(隣りの島自慢)
そして、三庄ってところには、その昔スポーツセンターってあってボーリングやビリヤードなんかが出来たんです。そこには、新日本プロレスが興行に来たのですが、若かりし藤波辰巳さんを遠巻きに激写した写真をうちの父は大事に持っていました。」
「人口密度ですか?最盛期は土生の商店街の一部は東京都と同じくらいの人口密度があったってT Vでやってました。」
「因島大橋って知ってます?その昔、東洋一の吊り橋って言われたんですよ。1.2kmもあるんですよ。開通した当時、小学館の小学2年生かなんかにドンっと特集されたんすよ。自動車道の下に歩行者とバイクと自転車が通れる道路も付いてます。高さも結構あるから圧巻ですよ。」
「万田酵素って知ってます?めちゃくちゃ身体にいいものたくさん作ってるんですよ。その酵素を使って巨大化したカボチャや大根を見たことないっすか?どえらい大きさになってますから。あの会社の息子さん、僕の幼馴染なんすよね。」
「魚美味いっすよ。鯛やハマチもそうですが、小さい魚達も美味いっす。メバルやホゴ(カサゴ)。煮付けなんかにしたら美味くてねぇ。釣りたてでしたら刺身が最高っす。モウカリ(うちの親父はこう言っていた。サッパという魚。)なんてずっと入れ食いです。小一時間で100匹なんて余裕です。南蛮漬けなんかにしたら最高ですよ。あ、デベラって知ってます?タマガンゾウビラメのことを因島近辺ではデベラって呼んでてこれを干したものを冬場なんかにストーブの上で炙って食べたらめちゃくちゃ美味しんですよ。因島の子供らのおやつです。」
「因島の田熊ってところでは『ぶつかる』のことを『どっしゃげる』って言うんですよ。どうやって使うか例文ですか?
“この前、こんなぁが、わしの車乗ったら壁にどっしゃあげたんよ。ほでぇ車の後ろがぶちめげたんよ。わやにしゃあがるわ、ほんま” みたいな感じで使います。
“この前この人は、私の車に乗った時、壁にぶつかりました。車の後ろがとても壊れました。本当に台無しになりました。”みたいな意味です。表現豊かで便利でしょ。」
「僕の母は、“寝よう”って言うのを短縮して“にょ”って言ってました。あ、これは方言ではないです。母のオリジナルです。」
「因島は、一周およそ34kmです。例えば、自転車で回ったら6時間かかるそうです。僕は、一周したことないです。しんどいので。島の西側は、比較的道路がフラットなので走行するのも楽かもしれませんが、東側、特に水軍スカイラインは、山あり谷ありでなかなか過酷なんです。足パンパンになると思います。昔、うちの家族でその方面にサイクリングに出かけたのですが、姉が溝に落ちました。あ、でも大丈夫です。普通に気をつけてたら落ちませんので。」
「僕らの時代は、因島の中学生男子はもれなく丸坊主でした。ヘルメットを被って登校が義務の地区もありましたね。」
「うちの親父はある時、75センチの鯛を釣ってきました。2日くらい帰って来なくて瀬戸内でその時間帰ってこないのはおかしいのでいよいよ捜索願いを出そうかと思っていた矢先にその鯛を持ち帰ってきました。”霧でぐるぐる同じところを回ってた。こりゃどうしたもんかと思って諦め半分で釣りしてたらこれ釣れた。そうこうしてたら霧が晴れて帰って来れた。わしはどこか異次元にいっとたんじゃろうか。“と言ったとか言わなかったとか。」
「因島高校ってところに通っていました。うちらの町からは、基本、自転車通学です。通学時間は30から40分くらいですかね。うちの町からだと山を一つ越さなくちゃいけないんです。それがまあまあな勾配の山で。夏なんて学校着いたらマジで汗だくで。
部活帰りなんてもっと悲惨で。疲れてる上に勾配のきつい坂道の距離が行きよりも全然長いんです。なので自転車に乗って漕いで登るのものきついし、自転車を降りて押しながら登るのもなかなかの修行。おかげで足腰強くなったと今思えば感謝ですが。
で、山を越すのにトンネルを通ります。青影トンネルというトンネルですが二車線で対面で車がすれ違うだけでも緊張感ありますが、この端を自転車で通るんですよね。命懸けです。薄暗くて排気ガスでかなり煙い中、数十センチ横を路線バスが通過して行きます。因島のバス運転手の運転スキルはすごいことになってました。」
「めちゃくちゃ良いところなんでしょうね。住んでいる時はわからなかったけど、離れてみるとこういう多島美が見られる場所ってなかなかないと気が付いたんですよ。山登って海眺めたりすると息を呑むほど綺麗だって思います、我が故郷ながら。」
このように、自慢なのか何なのか。
言いたいこと伝えたいこと大なり小なりたくさんあります。
故郷なので思い入れがあるのは当然です。
島へ行かれる方、ぜひ、我が故郷をご堪能ください。
興味を持たれた方も時間あらば、足を伸ばしてみてください。