見出し画像

僕とバルセロナ〜その2〜バルセロナのクリスマスとは?

数日経ってしまいましたが、バルセロナでのメリークリスマスだったですよ。
日本とは違う風習で行われるバルセロナのクリスマス体験を今回は綴ろうかと。

その話の前に思い出話を。

その昔、テレビ出演の時、クリスマスの東京の過剰なまでにキラキラしていて全ての人々がその潮流に乗らなければならないような強迫感、それに対して、騒ぎすぎだ、とアンチクリスマスを掲げてトークコーナーで必死になって喋ったことがあった。

トークをする上で事前にテレビ制作の方と毎回打ち合わせをするのだけど、それなりの撮れ高を見込める題材を見出さないと前には進まないので、クリスマスに浮かれるマジョリティに対してアンチテーゼを呈することでロックミュージシャンとしての格好もつくような気がしたという若気の至りでこのトークを乗り切ろうとした結果、そのトークは大いに撃沈した。(トークの撃沈は毎度か。)

何を話したかあんまり覚えてないのだけど、ダウンタウンのお二人もそのアンチクリスマスに乗っかって来て、アンチクリスマスあるあるとか大いに繰り広げられるのではないかという浅い見立てでトークの勝機を見出したので、いざ始まってみると僕らのそのアンチっぷりがあまりにも安易でブレブレで、おもんない(これが一番問題)のでダウンタウンのお二人もその泥舟に乗っかってくれるはずもなく撃沈した。

今思うと、ただただクリスマスの楽しみ方をよく知らないだけの本物の田舎の男たちであっただけの話だったからそれもしょうがないよね。

他の二人(新藤とTama)がそれまでにどんなクリスマス体験をしたかは知らないのだけれど、少なくとも僕は、絵に描いたようなクリスマスの過ごし方をしたことがなかった。(まあ、今もだけど)
僕らの時代のクリスマスの過ごし方の理想は、大切な人と夜景の見えるホテルで食事をしてその後ホテルで過ごし、プレゼントを渡す、みたいな。

田舎のわしらの文化にそんなのあるわけないじゃん。
要はアンチとかいう前に因島にはそのように過ごしてる仲間や友達もいなかったし、具体的な事例もないからいつまでも絵空事のようなものとして捉えていたのかもしれない。
だからその文化をあまりにも知らないことの焦りと恥ずかしさから来る強がりじゃったね、当時のことを簡単に言うと。

それからずいぶん歳を取り、東京の生活にも慣れたからだいぶ眩しすぎるくらいのクリスマスの風潮に違和感は無くなった。
ただ全力で満喫するまでには至ってないけど。

そんなわしが何をこれからクリスマスを語ろうとしとるのか?
それは、異文化バルセロナでのクリスマスをみなさんにお伝えできればと思う次第なのです。

ここから先は

2,535字 / 7画像

¥ 300

期間限定!Amazon Payで支払うと抽選で
Amazonギフトカード5,000円分が当たる

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?