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何のために働くのか、お金を稼ぐのか

社会に出て もう〇十年。

おこづかいが足りなくて、親にナイショでアルバイトを始めたとき。
バレてやめさせられそうになったとき。
バイト先で初めて友達ができたとき。その友達と険悪になった時。
このまま就職しないかと誘われたとき。断って気まずくなったとき。
就活課の先生に「社会をなめ切っている」と怒られたとき。
履歴書に書く志望動機が見つからなかったとき。
やっと内定もらえて、でもこれ以上就活続けるなら取り消しだと警告が来たとき。
初めての給料日、記憶にある求人票と 実際の支給額が違っていた時。
仕事を辞めるとき。独立したとき。病気で働けなくなった時。
もう働かなくてもいいよって息子に泣かれたとき。

働くって、お金って・・・稼ぐってなんでしょうねって 
何度となく思う。


誰かの役に立った成績表がお金
はたをらくにする=はたらく
人を喜ばせた分だけ稼げるということ。

自己啓発にドはまりしていたころ、これこそが本質だと思ってた。

ただ、誰の役になってない むしろ害悪にしかならない
オレオレ詐欺だって市場規模はものすごいことになってるのには
疑問だったけど。

そんなの例外中の例外で 「はたを楽にする。喜ばせた分だけ稼げる」
これこそがはたらくということの本質だという人もいると思うけど

残念ながら 今の私はそうは思ってない。
コーチングのトレーナー時代、なにかにつけ「会社を訴えてやろうと思ってる」という同僚が少なからずいて
そんなにいやなら やめればいいのになんで続けているんだと聞いたら
「ここでしか経験できないことがあるから!」と即答しているのを見て
ちょっとウンザリしちゃったのもある。
「こっちは 誠心誠意喜ばせてやってるんだから、あんた(依頼主)も私を喜ばせろよ。私たちは対等で、WIN-WINだろ?」っていう話は 私には耳障りでしかなかった。 

仕事を依頼する側になってからも、「なんだかなあ」は続く。
依頼主の私を喜ばせようと試行錯誤してくださるいい人ばかりだけど、余計なことをしてくれちゃったり こだわってほしいのはそこじゃないんだよねえ‥のすりあわせって 相性なのかなあ・・が多い。

プロフィールを依頼したら 顔写真がまるで別人みたいに加工してあった。キラキラさせてくれて、文面も華々しい経歴で「ギリギリ嘘じゃないけどさ」な感じ。「マジか・・・」と思わずつぶやいちゃったよ。

今も外注は頼んでいるけど 納品されても 公開に踏み切らないことの方が多い。作業はしていただいているのでお金は払うけど、使えないものが多くてね。こううのって、宝くじに当たるようなもんだろうな。

定期的にお願いしている外注さんは けっきょく いまのところ1人。
もともと付き合いがあって 仕事ぶりも、よくやりがちなミスもわかったうえで 「こういう仕事をお願いしたいんだけど」とメニューにない仕事を交渉した。

うちならもっと質が高いのを 安くできますよ みたいな話も、他からいただいたことあるけど
私が求めているのとは違う方向性の「質」だったし そもそも安くなくていい。


仕事は生活するための手段。
生活のためのお金を稼ぐ。

まあ、それは確かに一理ある。
ただし側面の1つだ。
「仕事は生活のための手段」と言っている多くの人たちが抱えている苦悩も
「生活がカツカツだ」っていうこと。うん、だって生活するために働いているんだもんね。

私のお客さんにもそういう人がいて、サービス残業は当たり前だし ボーナスも出たことがない。
忙しすぎて 好きな旅行に行く有給だって取れるわけもない。そもそも薄給だから旅行いけないけどって笑ってた。
そもそも その設定変えません?とセッションで話していたら、その生活の糧だった会社が倒産した。 
再就職先は同じ業務内容で、ちゃんと残業代とボーナスが出る会社で 休みが増えた上に 前の会社の1.5倍の給与だった。

やったことは


「お金は人生を楽しむ手段だ」

と 改めて仕事をとらえなおしただけ。

ずっと独身を謳歌してきたけど 大好きな日本酒を飲んだり、酒蔵をたずねる旅行も 愛する誰かと一緒に行けたらと

改めて


「お金は愛する人と幸せに人生を楽しむ手段」

と とらえなおした。
恋人はまだできていないけれど、実家のお母さんを体の負担の少ない日帰り旅行に連れ出すようになった。そういう優しい彼と行動を共にしたがる女友達とよく呑みに行くようになった。

たぶん、恋人ができる日も近いと思う。


お金は 実はすごくシンプルだ。 
人と違って 感情があるわけでもないし 生き物ではないから、関係がこじれたり ややこしいことには まずならない。

わかりやすいぶん、関わる人の前提、とらえ方が反映されやすい。

それで、私はというと

仕事もお金も 自分の喜びを表現するための手段

を 現在採用している。

どんなふうにお金や仕事をとらえるか それは人それぞれ。
お金が稼げたとして、稼いだお金でやりたいことがちがうのだから、しょうがない。

どんなとらえ方もしていいと思うし、どんな考え方をすれば大金を手にできるかっていう質問は愚問です。

だけど、どんなとらえ方であれ、前提であれ、そのとおりになってく。
「なんとか生活できるお金を稼げる仕事が欲しい」と願ってしまっている以上、なんとか生活できる以上のお金は手に入らない。

どれだけお金を払ったかで愛情を計る価値観を採用してしまっている人も実は多い。
無意識だろうけれど、親が自分にどれだけ文句を言わずにお金を払うか・どれだけ彼が高価なプレゼントをくれるか そこがすべてになる人もいる。

逆に どれだけ子供に教育費を湯水のように投入できるか・それが親としての責任をまっとうするということなのだという人もいる。
ホストやキャバ嬢に貢ぐ人をこき下ろす割には 血のつながった子供にはいくらでも払う。
お金が愛のものさしになっているのは 相手が違うだけで同じだ。

お金には 感情がない。だからこそ、ほんとうに どストレートにとらえ方や前提が反映される。

私が物を買うときには 大好き!!かどうかだ。

ちょっと好き、まあまあ好きも買い始めると あっという間に資金がショートする。

大好きをガマンしてしまうと そのストレスでやはりストレス買いが始まる。破産一直線だわさ。

大好きなら 値段を見ずに買う。手持ちがないなら 食事を抜いてでも 借金してでも買う。

大好きでないなら、いくら安くてもお得でも ここでしか買えなくても 激レアでも買わない。

昔の格言で言う
「買わない理由が値段なら買え。買う理由が値段なら買うな」は私のためにある言葉ですな。

だから節約は好きじゃないし しない。
節約って欲しいものをガマンするっていうことだから。
ムダな出費はしないほうがいいね。
欲しいものをガマンと
無駄な出費をしない(大して欲しくないものにはお金を使わない)はぜんぜん違うよ。

欲しいものは買おうよ。


それでいうと 私の場合は、カフェとか外食は月に1度でも多いくらいなのよ。
(打ち合わせや人と会う機会は、できる限りオンラインで済ませるようにしてる)
味が濃くて 美しく盛りつけたおいしいものは 心は喜ぶよ。目も楽しませてもらえる。でも、それだけだ。
心も体も魂も喜ぶものにお金を使いたい。それで、生花を絶やさないようにしている。
庭に小さな花壇を作り、ほったらかしガーデニングを実践中。
家のなかは小さな鉢植えと いくつか球根を転がしている。買い物に出たら花屋でもホームセンターでも スーパーの入り口でも切花を買う。

仕事の外注さんも 一緒に仕事をしたいから外注する。
私の喜びの表現に 関わってもらいたいくらい、大好きな人なんだ。
合理化とか 生産性とか あんまり関係ない。
私が1人でやったほうが クオリティ高いかもしれない。
でも、クオリティの高さとか 優先度は低い。

だって仕事もお金も 私の喜びの表現なんだからさ。

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