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友達について 小学校の頃

友達って、ほんと難しい関係なんだよね。

会社の絵本作成サークル的なやつで、次のテーマが友達になったので、考えてみることにした。

他の人のではなく自分の経験で。

私は小学校に入学するも、髪の毛は寝癖のまま、服も適当、痩せ型の声小さいコミュ障。
小学校のいろんなことが苦手だった。
例えば、ウサギの餌やり当番。
当番になった人が何人かで野菜とかパンとか?持ってきて、うさぎにあげるのだが、それがなぜかできなかった。ランドセルから何かをみんなの前に出すということが恥ずかしかった。だから家からのお便りや給食費を先生に提出するとか、授業中に「トイレに行きたい」というとか、もちろん発言なんてもってのほか苦手。お腹痛くても親にお腹痛いって言えなかった。それすら恥ずかしかった。
そんな性格なので、友達なんてなかなかできず、二人一組で朝顔のタネを植えるという授業ではもれなく余り、もともとペアを組んでいた2人組の仲間に入れてくれた優しい男の子をあっけなく好きになる。
その子はそんな感じのコミュ力強い子だったので、モテモテだった。掃除の時間に、好きな人3人いる!と言ってクラスの可愛い女子を3人順位づけて発表していた。もちろん私はランク外。笑
そのランク2位の女の子が私の1番の苦手な宿敵だった。
好きだった男子、私、その女の子で席が近くなり、その2人はずっとふざけている。男の子が私に消しゴム貸してと言ってきて、ドギマギしながら貸した。それをその女の子が、私にも貸してぇー!!と奪い、そして消しゴムはボコボコに削られて戻ってきた。今思い出しても悲しいね。

私は大人しく、外でサッカーとかもせず、休み時間は教室で絵をひたすら描いていた。絵を描くのが好きだったけど、特段上手いわけでもなかった。でも漫画みたいなストーリーのあるものを描いたら、女の子たちが面白いといって続きを待ってくれていることもあった。
絵を描いていると、同じように絵を描くことが好きな女の子が自然と近づいてきて、一緒に絵を描いて仲良くなった。途中で転校生してきた子も絵が好きで、3人で家で遊んだりする仲にまでなった。
ある日、いつも通り絵を描いていると、陽キャの女の子たちも集まってきた。
例の宿敵に「ちょっと貸して〜!」と、自由帳を奪われて、赤いクレヨンで私の描いた女の子の絵の上からグチャグチャに落書きされた。いかがわしい絵とか、口から血が出てるとか、とにかくショックな落書きだった。わたしはとにかく鈍くとろい性格なので、そのときはショックを受けていなかったし、むしろいつも1人だったのにこんなに人が集まって楽しい、くらいの感覚で笑っていた。
家に帰ると母がその自由帳を見つけ、なにこれひどい、誰が描いたの?!と怒っていた。翌日担任に問題だと連絡が行き、ホームルームでみんなの前で晒された。「こんな素敵な絵に落書きするなんて」ということを言っていたと思うけど、私はとにかく恥ずかしかった。それに自分的にはそれが酷いことだとは思っていなかったのに、あの場にいた女の子たちが、私の席まで来て上部だけの謝罪をしていった。変な感じだった、これ以上目立ちたくなかった。
あれっていじめだったのだろうか。
子供心のイタズラだったと思うけど、でもやはり、後から家であのページを開くと、心がギュッとするのであった。

せっかくたくさんの人と仲良くなれたと思ったけど、間違いだった。
でもマイペースな私はとくにそれで傷つきすぎることもなく小学校3年間を過ごした。

4年生になり、新しい友達ができた。その子は独特で面白くて心がギャルで、波長が合った。もう1人の裕福な家庭の子と3人で仲良くしていた。
ある日、私はお節介心で、その裕福な家庭の子の好きだった男子に「〇〇ちゃんのことどう思う?」と聞いてしまった。その子は、かなり奥手で、いつも恋バナをする割になかなか行動せずにいたので、焦ったくなって聞いたのだった。しかしそれが彼女の逆鱗に触れた。奥手な彼女からしたら、それを聞いたら自分が彼のことが好きだとバレてしまうではないか!という主張だった。ごもっとも。私はいつもそうだ、友達に独りよがりな親切心で勝手に世話を焼いて余計なことをして、気づくと嫌われている。それは相手の立場に立って考えていないことの表れですね。人格の修行してこいよわたし。

そして修学旅行もお正月も卒業式もずっとずっと絶好のままだった。よく耐えたな。なんども彼女と仲直りする夢を見た。学校に行きたくなかったけど、ちゃんと行ってたな。父が玄関先で「がんばれ」と言って見送ってくれた時、そのシンプルな愛情のこもった一言に救われた、背中を押された。

小学校おわり。中学になってクラスが変わって、その子との問題は解決した。他に友達ができたから。部活動に勤しんだ。4年生で初めに仲良くなった友達は、中学になるとだんだん不良グループと弛むようになり、疎遠になった。最後に交わした会話は、彼女が初めて生理になったとき、それを嬉しそうに報告してくれた時だった。可愛いよね。周りの人間だけで判断して疎遠になったの、ほんとに悔やまれる。だけどそういうことは今となっては仕方ないのだ、波長が合う合わないは、確実にあるから。

小学3年生の時転換してきた子と仲良くなった。家が少し近くて、学童からその子の家に遊びに行っていた。学度には門限があった。その子には伝えていた。
その子の家は平屋の古い賃貸で、部屋の中には入れてもらえず、いつも庭で遊んでいた。おままごととか?何してたのか、不明。庭にしゃがんで2人で苔の生えた石をいじっていたことだけ覚えている。その子の出身地である沖縄の星の砂をくれたこともあった。
で、門限の時間を私が気にして、いま何時?と聞くとその子は家の中に時間を確認しに行った。何時とは言わず、まだ大丈夫と言った。私は鵜呑みにして遊び続けた。暗くなってきたので流石にと思って学童に帰ると、おばさん(保母さん)がカンカンにお怒り。門限がとっくに過ぎていたのだった。私はその子のことをその場で言い訳に使えるほど賢くなかった、その時は訳もわからず怒られていた。
今となってはあれも可愛いものだ。長くいて欲しいからと嘘をついていたのだから。
その子とは小学校高学年でクラスが分かれて疎遠になった。

小学校編 終わり

中学の子たちとは今も付き合いがあるので、時効ではないのでまだ書けないな。笑

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