代替案なくして反省は不可能 戦前日本を非難する左翼は「あの戦争」の代替案を示すべきである
産經新聞にケント・ギルバート氏の最新刊『ついに「愛国心」のタブーから解き放たれる日本人』(PHP新書)の紹介記事がありました。
戦争防ぐ方策に触れない自虐報道は無責任 「愛国心」に何かしらの抵抗感持つ日本人
別にケントさんの回し者ではありませんが、記事にあった以下の部分に共感しましたのでシェアさせていただきたいと思います。
毎年8月になると、日本のテレビや新聞は、戦争の悲惨さだけに焦点を当てた自虐的な報道をたくさん流す。戦争の惨禍を繰り返してはならないが、過去を自虐的に反省してさえいれば、日本は二度と戦場にならないとでも信じているのか。
悲惨な戦争をいかにして防ぐのか。具体的な方策に何も言及しない自虐報道は無責任だ。過度に厭戦(えんせん)気分を煽り、日本人の国防意識を低下させたのでは、利敵行為とすらいえる。
まったく同感です。もういい加減、自虐のための自虐はやめるべきです。
いまもなお日本悪玉論を叫ぶ左翼たちは、「軍部が暴走して戦争を引き起こした」と言って戦前の日本を非難します。しかし、そういう人たちに、「ではあの戦争を防ぐにはどうすればよかったのか」と尋ねるとどういうわけかとたんに口をつぐんでしまいます。
もしある選択が間違っていたというのであれば、そこには必ず正しい代替案があるはずです。もしそれがないとすれば、すなわち避けられない選択であったならば「あれは間違った選択だ」というのは論理的でもないし、実際的にも意味がありません。代替案もなくいったい何をどう反省すればよいのでしょうか? 「あんなことをしてしまった。もう取り返しがつかない。どうしよう‥」といつまでもじくじく自らを責め続けるのはどうみても健康的な態度とはいえないでしょう。
過去を反省するというのは、間違った選択に代わるよりよい代替案を見つけることのはずです。そうして将来、同じような状況になった場合、同じ過ちを繰り返さないようそれを鑑にするのが過去に学ぶ、歴史に学ぶということのはずです。
日本が悪かったと非難する人たちは、まずそれに代わる代替案をきちんと出してからそうすべきです。いたずらに抽象的な議論で煙に巻くのではなく、具体的にいつどこで間違ったのか、その際どうすればよかったのか、一般の人にもわかりやすい言葉で教え示すべきです。それがもし可能であればの話ですが‥。
そうでなければ、戦前と似たような国際情勢になりつつある今、私たちは無意識のうちに同じ過ちを繰り返すことになってしまうでしょう。そしてもしそうなった場合、その責任は「反省ばかりを求め、代替案はもちろん建設的な方策を考えることさえ邪魔してきた」左翼にこそあるというべきでしょう。
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