なんでも自分でしたいお年頃。
こんばんは。最近気づきました。飽きっぽい自分ですが、それは一旦熱中すると四六時中そのことばかり考えてしまって、暇さえあればネット記事を読み漁り過ごしてしまうので、その結果満足してしまうのだと思います。
そんな僕がいま熱中していることといえばカメラ。それもフィルムカメラです。そもそも僕がフィルムカメラと出会ったのは彼女がきっかけでした。ある日、カメラがほしいなあと話していたらおじいちゃんが使っていたカメラがあるよ、と彼女に教えてもらったのです。お義父さんにもお話しした結果快く譲っていただけることに。そうして手元にやってきたカメラはNikon F100でした。
譲っていただけるとなってから直ぐにこのカメラについて調べました。すると奇遇なことに僕と生まれ年が同じ!これは写真を撮りなさいという天啓だと悟りました。
作られてから二十数年経っているのにも関わらずレンズにカビ、クモリもなし、本体も何一つ問題ない状態でした。本当に運命感じちゃう。
何度も話していますがフィルムの好きなところは、撮った後に直ぐ結果が確認できないのと、撮れる枚数が限られているところです。写真一枚に対して集中して臨めるし、その場で結果が確認できないために作業としてではなく、体験として写真を撮ることができるのです。きっとその瞬間に撮った一枚がどれなけ納得いかなくとも撮り直すことはしないと思うし、できないです。そんな一期一会的な体験にワクワクします
そうしてズブズブにフィルムカメラへとのめり込んでいくのですが、このF100というカメラ、優等生すぎるんです。
AFでピントも自動で合わせてくれるし、失敗しないようにさまざまな機能がついています。そのおかげで手ブレした写真はあれど、真っ暗であったりとか真っ白であったりとかそういった失敗は今までありません。本当に写真を撮ることだけに集中させてくれます。
いくつか撮ったものを
あれ、これってカメラに撮らせてもらってるんじゃね…。
もちろん構図とか被写体とかは僕が決めているし、その点撮影しているのは僕自身ではあります。ただその土台を全部カメラに任せてしまっているというのが気にかかるのです。なんだろ、ゲームで言うならキャリーしてもらっている気持ち。確かに納得のいく写真は撮れるのだけど、じゃあ自分のレベルが上昇しているのかと言われると自信が持てません。僕はただシャッターボタンを押すだけ。正確にはそれだけじゃないのだけど、F100先輩に大部分を助けていただいているのが実状です。
そんなことを考えていたらフルマニュアル機が欲しいなと思うようになってきました。フルマニュアルというのはピントを合わせるのも自分、光を調節するのも自分。とりあえず、すべてを自分で設定しないといけないカメラのことです。
なぜ、フルマニュアル機がほしいのか。それはよりフィルムカメラによる写真体験を洗練できるからです。F100君はフィルムカメラとデジタルカメラの橋渡し的な存在だったので使用感としてはほぼデジタルカメラと大差ありません。なんなら携帯のカメラともあまり変わりません。となると、幾ら結果が確認できないとは言え、シャッターを押すことに対する重みがすこし軽くなってしまうような気がしてしまうのです。もちろん、F100君でなければ撮ることのできない写真も沢山あります。スピード感のある状況や何気ない一瞬を写真に収めるにはピントが云々と悠長に構えてられません。F100君が自動で合わせてくれるからシャッターを切ることに専念できます。
ただそれ以上に僕は、時間をかけて被写体と向き合いたいなと強く思うのです。刹那的出会いを大切にしていきたいと思うのです。
あとがき
ただね、フィルムカメラってLeicaっていう超高級機以外現行生産されてないんですよ。つまりほぼすべて中古な訳で。フルマニュアル機となると生産されてから30年40年経っているものがざらにあって状態のいいものって限られているんですよ。そして中古市場ってどうしても数が減っていくばかりなので次第に値段も高くなってきています。それでもデジタル一眼を買うよりは圧倒的に安いのですが、フィルム代、現像代のランニングコストを考えるとコスパはあまりよくありません。
そう考えるとF100君を無料で状態のいいまま譲っていただけたって本当に恵まれている。でもなぁ!!欲しいんだよなぁ!!という嘆きを残して締めたいと思います。
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