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ミネルバでアクティブラーニングを経験して苦労したこととは


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今日は、「ミネルバでアクティブラーニングを経験して苦労したこととは」についてお話ししたいと思います。

はい、わたしは「未来の大学」といわれるアメリカ・サンフランシスコに拠点を持つミネルバ大学の社会人向け大学院コースで約2年間学んでいました。

ミネルバに大学院のコースがあると言うことはあまり知られていないかもしれないのですが、わたしは2017年に、大学院プログラムが一般公募を始めた年に入学をし2019年に卒業をしました。ちなみにクラスメイトは7名だけでアメリカ、ヨーロッパ、ラテンアメリカ、中国など世界各地に拠点を持つメンバーと共に学んでいきました。

このコースでは、従来型の先生1人に多人数の生徒というレクチャーではなく、議論とグループワークが主となる「アクティブラーニング」の形式をとっていました。オンラインのグローバル大学院のプログラムとしては、世界初のものです。

最近では、ミネルバ大学以外の先進的な学校でも、小学校からアクティブラーニング形式の授業が増えてきたり、探究型学習など、生徒の思考力を強化する教育メソッドが、欧米をはじめ日本からも出てきているようです。

従来のレクチャー型の授業とアクティブラーニングと違いはというと、前者が先生が中心となって運営されるのに対し、後者は学習する者が中心となって運営される授業となります。

評価の仕方も、スタンダードに基づいて、生徒全体の成績との比較で生徒のレベルを決定するのではなく、生徒個人の習熟度に重きを置き、先生が生徒の強みと弱みをフィードバックするのがアクティブラーニングです。

そして継続的にこのフィードバックのループを繰り返し、生徒個人が、学習内容を応用しながらマスターしていくのですが、授業では単にレクチャーの内容を聞く以上に、積極的な参加が求められます。

たとえば、議論やグループワークなどのタスクに集中しながら、同時にそのタスクが授業の目的とどうつながり、自分がどのレベルに到達したのか、と思考することも求められます。目の前のタスクに没頭しながら全体を俯瞰することを繰り返していくことで、高い次元の学習到達度が得られていくのです。

アクティブラーニングの学習到達度



認知科学を元に、学習到達度をピラミッド型に体系化しているものでBloom’s taxonomyというものがあるのですがそこでいうと、従来のレクチャー型は、”Remember” 知識を覚える、ということにとどまり、それは学習到達度が一番低い段階になります。

一方、ミネルバのアクティブラーニングでは、その4,5 段階上の学習到達度である “Evaluate”(多様な意見や観点を評価・吟味をする)、というのと”Analyze” (実際にこのコンセプトがどのように応用されてるのか実社会の事例を分析する)ことをクラス内で生徒一人一人が行っていくように設計されています。

参考:https://cft.vanderbilt.edu/guides-sub-pages/blooms-taxonomy/

ミネルバは独自のアクティブラーニングのスタイルをとっていて、クラスの75%以上の時間は生徒が発信し没頭している状態を創り出すために先生の発言時間は15分以下という定義が明確にされています。

わたしがアクティブラーニングのクラスに参加してまず苦労したこと


日本でいわゆる従来型の義務教育を受け、アクティブラーニングのネイティブ世代でなかった私が、大人になってからこの学びを経験し、どんな点がカルチャーショックで、苦労した点だったのか……。振り返ると、シンプルですが、それは授業中に「素の自分を出す」ということでした。

アクティブラーニングでは毎日、事前課題を授業が始まる前までに済ませておき、授業ではアウトプットを求められていたので、質と量の両面で高いレベルの努力を注ぐ必要がありました。英語もネイティブではなかったので、事前課題に毎日4時間以上はかかってしまっておりましたが、優秀で探究心の強いクラスメイトは、さほど苦労しているようには見えず事前課題をしっかりこなし、積極的に授業に臨んでいました。(でも実際は彼らも、すごい大変だよ!課題の多さに泣く!と言っていましたが。)

毎回、授業はとてもリズミカルに、超速で進行し、かつテーマもサイエンスから経済学まで多岐にわたる。文系出身だった私自身の知識にも限界があるなか、正解がないような複雑な問いに対してその状況に見合った最適の解決案を考え出す必要がありました。

そんな難題について、全員が同じ量を発言していくことが求められます。というのはミネルバはアイディアや視点は出来るだけ多様なものを持ち寄り生徒がそれを吟味し評価することが学びの習熟度につながると考えているからです。そのようにシステム上で設計され先生の画面からは生徒の発言時間が表示され調整できるようになっているのです。

このような環境下では、授業に参加しクラスに貢献する態度ももちろん求められますが、それ以上に自分の習熟度を示すことが問われます。どれだけ自分なりの言葉で語り、自分の習熟度を俯瞰できているか、が評価されるのです。1人1人の解答が違うのは当然で、他のクラスメイトと比べ、自分の解答はどう異なるのか、という点を考えることも重要となってきます。

従来のわたしが通っていた学校の授業では、”模範的な解答”があるなかで、それに近い解答を述べると、ある程度高い評価が得られました。逆に間違っていると、失敗と判断されてしまう。なので、私は授業中、合格圏内に入るため、ここでいう”模範的な解答”は何か?ということを計算して、それをアウトプットすることを心がけていました。

自分の言葉というより、正解に近いであろう言葉を使えば、それで合格圏内に入り、良い成績がもらえる。逆に、その”模範的な解答”がわからないと言葉を一切発していなかったです。授業は成果が試される場なので、どういうところがわたしがわかっていないのか、という”途中経過”すらも発言ができないものだと思い込んでいたのです。

その流れで、ミネルバの授業に参加した当初の私は、その「模範的な解答」を発言するんだ、という態度で臨んでいました。スマートに見える態度を崩さないことに気を取られてしまい、本当はあまりわかっていなかったものを、わかったふりをしてしまい、ある時に自分の言葉で言語化するときに、それができず大恥をかいたことがありました。

これは前回のVoicyでのトピックになりますが、これまでの従来の授業ではいわゆる「扱いやすい問題」を扱っていたので、これ、という正解がある前提の学びなんですよね。一方、ミネルバで私たちが学んでいたのは、テーマも多岐にわたり、現代の複雑で厄介な社会課題ばかり。「模範解答」といったものがないものばかりなんです。そこで、あたかも「模範的な解答」を探しに行こうとしていた私自身ののぞむ態度が違っていたのです。

それ以降、わからないものはわからないと聞く、知ったかぶりをする前に正直に白状する。個人それぞれが理解することが授業のゴールとされているのだから、質問する行為は恥ずかしいことではなく、価値があるということなのだとわかってきました。

クラスメイトは競争相手でなく知の探究の仲間

そんなふうに試行錯誤しているうちに、自分なりの言葉で理解をし、自分の習熟度を自分の言葉で評価し言語化していくと、普段、家族や友人と話しているような素の自分で居ざるを得ない時が増えてきました。

フォーマルな場で素の自分を出すことは恥ずかしいことだと思いきや、立派な経歴を持ったクラスメイトたちも自然体でリラックスし自分をさらけ出していました。そんな姿に勇気をもらい、自分の中の抵抗感も徐々に低くなっていきました。彼らをみていると、本当に知的な人、というのは、自分の知識は未熟である、わからないことはわからない、という正直さと謙虚さを持ち合わせている人なのではということもわかってきました。

21世紀型教育といわれる、個人の問題解決能力、思考力を養う場では、どれだけ自分がプロフェッショナルで真面目か、と学校や組織に忠誠や規律を示すことよりも、素の自分を出し、自分の言葉で語ることが大事なのではないかと思います。また、素の自分を出した時の授業は、学習到達度が高いという実感もあります。だからクラスの場には一人ひとりが安心して素の状態になれる「心理的安全性」が必要なんですよね。

クラスメイトたちは、成績の優劣を競う相手ではなく、共に自身の習熟度を高め合うパートナーなのです。時には自分が言語化できないものを、誰かが代わりに表現してくれる場面もたくさんありました。その時々で良い成績を奪い合うのではなく、学ぶ過程はずっと続くものだという共通理解から、暗黙の協力関係が生まれていたという実感がありました。

このように、素の自分で取り組み、しっかりと理解してから自分の言葉で言語化するという習慣は、さまざまな場面で役に立ってきていると実感しています。

例えば、会議で人と話すとき、相手に投げかける質問も自然になってきました。ミネルバ以前の私は、質問の内容も受け答えも、「模範的」でスマートに見られようという意識が働いていた気がします。今では純粋に相手の主張を理解するために自分はどうすべきか、余計なことを考えずに振る舞うことができ、相手にも私の考えが伝わりやすくなってきたのではと思います。

「模範的であろう」とする態度ではなく、 素の自分で理解を深めるために情報を収集していく。それが習慣化したことが、アクティブラーニングで得たとても大きな変化でした。




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