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「60歳からのキャリア」を30代の創業者が応援してみて 〜歳を取るとは?〜


こんにちは、Project MINTの創始者の植山智恵です。
私は60歳からのキャリアをサポートしたいと思い、この夏からProject MINTを通じてさまざまな活動を行ってきました。全てのきっかけとなったのは、「ダイアログWithタイム」という体験型エンターテイメントに参加したことからでした。
そこは、歳を重ねることについて考えながら、生き方について対話する場です。参加者も含めて、さまざまな世代の人々と「年齢」という普遍的なテーマについて対話を行ってきました。

きっかけとなった「ダイアログWithタイム」

体験を案内してくれたのが、70代、80代の高齢者アテンドさんたちでした。

高齢者アテンドさんたち(ダイアログ・ウィズ・タイム公式Websiteより)

会場では、重りをつけて歩いたり、白内障の体験眼鏡をかけたり、杖を使って移動することで、加齢に伴う身体の変化を体感しました。その中で、自分が高齢者になったとき、どのように感じ、何を考えるのかをリアルに感じ取ることができました。

私の案内役は80代の女性、元学校教師で校長先生も務めたKさんでした。彼女は、現役を引退した後、地域や芸術活動に情熱を注ぎ、今でも「10年以内に四国で書道の美術館を開く」という夢を持っています。彼女の目の輝きは、歳を取ることが決して人生の終わりに近づいていくことではなく、むしろ新たな始まりであることを教えてくれました。

歳を取るとは、"余分な枝を削ぎ落とし、どんどん幹を伸ばしていくこと”

私たちの社会は、アンチエイジングや加齢を乗り越えるための手段を追い求めがちです。まるで、歳を取ることを避けようとしているかのように。

しかし、「ダイアログWithタイム」を通じて、私は歳を取ることこそが、自分を磨き上げ、余分なものを削ぎ落として、人生の終わりまで成長し続けるチャンスであると感じました。

特に、高齢者アテンドのKさんの言葉が胸に響きました。

「歳を取るということは、自分の本当の才能に気づき、余分なものを捨て去り、さらに高く、自由に伸びていくこと」

この考えに触れたとき、私は加齢に対する自身の価値観が180度変わりました。歳を重ねることは、静かに生きることでも、ただ穏やかになることでもなく、より深く、強く、自己を伸ばしていくプロセスであると理解したのです。

そしてそのプロセスを経た後の方の想いの深さは、やはり年齢を重ねてきたからこそ出来上がるもの。そこにとても価値があるのではと思うようになりました。

年齢に捉われず、"自分の幹を伸ばしていきたい人”を応援したい

そこで、Project MINTとしても、人生の中間地点、後半に向かい始める時期にかけ、自分の才能に気づき、もっと伸ばしていきたいと考える人たちを応援したい、と改めて当事業の意味を感じました。

その一環として「60歳からのキャリアを考える」というトークイベントを2024年8月に開催しました。このイベントでは、定年退職後の不安や新たな挑戦に向き合いながら、どのようにしてセカンドキャリアを切り開いたのかを60歳前後の5名のロールモデルの男女が語る、という趣旨の企画でした。なんと、申込者数は400件を超え、大きな反響を呼びました。

それだけ、定年退職を控えた方々やすでに退職後のキャリアを模索し、人生後半において、セカンドキャリアを充実させたいと考えている方々が世の中にいて、こういったオンラインイベントに興味を示している、ということが、社会的意義の高さも実感しました。

いかにこれまでの線から外れ、点と点を創ることを楽しめるか

そのイベントに参加してくれた多くの方々が抱える共通の悩みは、定年退職後の「次のステップ」についての不安でした。「これまでのキャリアをどう活かすか」「新たに挑戦するにはどこから始めればいいのか」といった悩みは、非常に切実で、私自身も深く共感します。

なぜなら「セカンドキャリア」は、必ずしも60歳以降にかかわらず、今の時代、30代から「セカンドキャリア」を目指す人もいます。私自身も30代になってからサラリーマンを辞め、教育分野で独立をしたので、「セカンドキャリア」を踏む前のモヤモヤは当時痛いほど味わってきたからです。

例えば、ある方は、長年の会社生活を終えた後、会社を離れてから何をしていいのか分からずモヤモヤしていると話してくれました。定年退職が近づくにつれ、どこか漠然とした不安感が増し、その不安が障害となっている様子が印象的でした。

そこで、セカンドキャリアを自らの軸で(自分のパーパスを起点に)切り開いていった登壇者の1人である、木村さんは、こうおっしゃりました。

"「これまでの線から外れ、点と点を作ることを楽しめるか」が、セカンドキャリアでは大事。"

登壇者の木村さん(当日のオンラインイベントの様子)

誰しも、長年自分がいた世界から、飛び出して、新たな領域にいくことは怖いことです。

木村さんご自身も、大企業で働いたのち、自分が本当に自分らしくいられるような仕事をしたい、とセカンドキャリアを模索しました。個人や企業の社員さんに対してコーチングを提供する、フリーのコーチとしての活動を展開した当初は不安だらけだったと振り返ります。

" 雇用主がいた、と言うことで私は守られていたんだな、と実感しました。" 

でも、それは、あくまで自分が新たな領域に飛び出したからこそ、感じる想い。まずは自分がやってみよう、と思うところ、人との繋がりから生まれる仕事に全力で取り組んでみて、点と点を創ってみることから始めて行ったと振り返ります。

これが最終的にどう繋がるかはその時はわからなかったけれども、とにかく行動を積み重ねていくことが重要。
それが次第に、線につながって、新たな道が開けてくるのです。

(イメージ)やりたいことを形にして共感する人と繋がり素早く行動し点と点を作り線にしていく

不確実性とうまく向き合い、前に進んでいく力

ここで、私も感じるのは、これは年齢問わず、今の時代に必要となるのは、これがどんな風に繋がるかわからないけど、「実になるように行動してみる力」なのではと思います。

私自身も30歳になり、大企業のキャリアから離れ、教育領域のフリーランスとして活動を始め、ミネルバ大学の大学院で学び直しをしたのち、Project MINTを立ち上げました。

まさか私が起業するなんて思いもしなかったのですが、自分が情熱を感じることをその時々で行動し、先は見えないけれども続けていくことで、道が開けてきました。

これは若い人にとっても必要なことだと思います。

セカンドキャリアを目指していく人についても、不確実性を、障壁と捉えずに、上手に向き合い、「自分にはスキルがないから」「まだ経験がないからむり」などと決め込まずに、まだ結果がすぐに出なくても、新しいことに飛び込んでみることが大切なのではと思っています。

70代の父が経験したブレークスルー

私の父も、人生の大きな転機を経験しました。彼は60歳で定年退職し、その後の10年間、仕事から離れて過ごしました。そして、71歳になって初めて「何かを始めたい」という新しい気持ちが生まれました。私も一緒にシルバー人材センターへ付き添い、父の「再び働きたい」という気持ちをサポートすることにしました。この経験を通じて、定年後の「空白期間」がどれほど深い影響をもたらすかを改めて実感しました。

父は公立の中学校の教師として働いていましたが、現役時代は学校の外の世界をほとんど知らないまま生活していました。結果、退職後、再就職も考えたものの具体的なイメージが湧かず、最終的にはあきらめることに。その後、学びたかった海洋学を学ぼうと沖縄の大学での学び直しを検討しましたが、移住という大きな決断が伴うために断念。それ以降、好きな武道は続けながらも、仕事はせずに時間を過ごしていました。家にいる時間も増え、同居する母との関係も悪化していく事は、娘としても心配の種でした。

当時、私は「父はまだ元気なんだから働くべきだ」と感じていました。それから数年が経ち、コロナが訪れました。
頑固でワクチンを打たなかった父に対し、高齢者が重症化するリスクがあった中、私は「ただ生きていてくれるだけでいい」という大切な気持ちに気づかされました。

父は自分のペースを重んじ、やりたいことをやり、やりたくないことはやらない。その姿勢に、私自身も学ぶところがありました。

父と対話を重ねる中で、彼が「自分にはあと10年くらい元気でいられる時間がある。その間に新しい経験をしたい」という気持ちを口にし始めました。

この10年間、父は家とお稽古場の行き来だけで部屋に1人で籠る時間も多く、体力も以前と比べ落ちてきた様子を私も感じていました。

きっと自分の残された時間を意識するようになったのか、「もう一度働いてみたい」と言い出し、一緒にシルバー人材センターへ行くことになりました。親切な職員の方から説明を聞き、父にとっては新たな領域に踏み出す大きな一歩でした。

こうしなければいけない、はない。

結局、100年時代と言われているので、60歳定年退職後も、働こう、という風潮が強まってはいますが、働かなくてはいけない、というものもないんだと思います。

もちろん、経済状況は人それぞれで、収入をある一定額稼いでいかないといけない、という事情も人によってはそれぞれ異なると思います。

ここで感じたのは、「こうしなければならない」という固定観念に縛られる必要はないということです。

60歳を超えて働く選択肢が増えていますが、働かなくてもいい、という選択肢もまた存在します。父は一度「働かない」という選択をしましたが、自由な時間を経て、10年間結果的に狭い世界に閉じこもってしまった事に気づき、再び新しい挑戦を望み、地元で小さなアルバイトを始めることに決めました。

これもまた、正解の一つです。

これらの経験を通じて強く感じたのは、残りの人生、どう生きていきたいのか、というのもすべて自分次第、ということ。

周りがこうしているから、家族にこう言われたから、世間がこうだから、というものに縛られず、自分で決定していくことを尊重していく事なのではと思っています。そしてそれは何歳になっても遅い、ということはないのだと思います。

どんな風に幹を伸ばしていくか

重要なのは、至ってシンプルで、
本当の自分の心の声に耳を傾け、様々な余分な枝を削ぎ落としていきながらも、自分が本当にありたい方向へ、幹を伸ばしていくよう歩んでいくこと。

どう生きていきたいか、が、幹となって現れていき、それを自分次第でどんどん伸ばして行ける。自分で新たな可能性を切り開いていくこと。

画家パブロ・ピカソの名言。

歴史上偉大な画家のピカソは、このような名言を残しています。

「人生の意味は、自分自身の才能を見つけること。
人生のパーパスは、その才能を表に出すこと。」

自分自身の「才能」は、どんなものであってもいい。
職業として確立し、収入をもたらすものでなければいけない、というものとは限りません。
それが誰かを笑顔にすることだったり、自分が悦びを感じるものだっていい。自然と触れ合い大地を感じられることやものづくりの過程の楽しみだっていい。

人生は何のためにあるのか?は永遠に普遍的な問いですが、「自分自身の才能を見つけるジャーニー」という見解に私はとってもシックリきてます。

そして、その才能は、まだ気づいてなくても、世の中で、"表に出していく"ことをしながら、才能に気づいていく、という両輪でやっていくものなんだと思っています。
行動をしていきながら、自分の才能に、ふと気づいていく、そんなプロセスが、「パーパス」や「生きがい」を実感していくことなんだと感じています。

要は、正解がない中、自分がどうありたいのか、という本来の自分の想いを知っていくことが大切なのではと思います。

それを知るには、私の父のように、10年かかる人もいるかもしれないですし、日々意識している方もいると思います。

そんな対話を重ねる場を、私たちProject MINTでは、コミュニティの中で創っています。互いに心を開いて、お互いの想いを探究していきます。批判や評価、ジャッジはせずに好奇心を持って互いを知る場です。

こうした「次のステップ」を模索する人たちが集まり、互いに本音になって自分自身のニーズを知るためのプログラムやイベントを開催しています。

▼70代の方もぜひご参加いただきたい「50歳からのパーパス発見コース」開講中

▼来月は、「定年退職」を題材にしたドキュメンタリ映画の上映会と、対話会を企画しています。ぜひ、遊びにきてください。(お申し込みは下記でできます。)

一人ひとりが、自分の幹を伸ばしていくような大人が日本から、もっと増えていったら。

きっと、次世代の若い人たちも自分の本当のニーズとつながって生きていって良いのだ、と励ましていく世の中になっていくのではと感じています。

植山智恵
Project MINT代表


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