見出し画像

秋の摂心体験(4日間)

私は坐禅を始めたばかりの初心者です。月に数回、座禅会に通いながら少しずつ坐禅の道を学んでいます。このたび、坐禅を連日行う「摂心」に初めて参加する機会をいただきました。心境を振り返ります。


摂心参加

摂心へ参加させていただけることになり、これまでの人生を総括し、新しい人生を始める機会を与えられたような、不思議で厳粛な心境になりました。参加日が近づくにつれ、まるで年越しの瞬間を迎えるかのような緊張感と期待感が高まりました。摂心中は年越しのような自分の意志では止めることも進めることもできない「時」の流れを感じ、その中で行事が厳かに進行します。その空間の一部として、自分もその流れの中に包まれていく感覚を味わいました。

摂心中の1日の過ごし方

摂心中の生活は、朝4時30分から夜21時まで、坐禅を中心に構成されています。早朝、午前中、昼前、午後、夕方、夜の各区切りで、20分から45分の坐禅を2回行います。また、午後には講義の時間もあり、坐禅や日本文化に根付く仏道の教えを学ぶことができ、理解が一層深まります。

摂心中の反応

季節柄、心地よい気候の中での摂心でした。日本のお寺で初めて参加する摂心は、障子越しに見える青空や山々の美しい景色とともに、壁面坐禅を行う日々でした。その厳粛な環境の中で、私自身は必要以上に気負っていたかもしれません。

摂心初日には、初心者として多くの試練に直面しました。坐禅を始めた瞬間から現実と向き合うこととなり、心身ともにさまざまな反応がありました。集中力が途切れ、仕事や日常生活の細かな事に意識が向いたり、足の痛みやしびれとの闘いが始まりました。初めは「美しく心に向き合う自分」をイメージするのですが、現実は刻々と過ぎる時間の中で思い通りにならない自分自身を見つめ直す機会となりました。

摂心前半は、感情が昂る一方で、それを手放すことが難しい状態が続きました。坐禅中の思考を「見据えた後に手放す」と解釈しており、浮かんでくる思いや記憶などをしっかりと追いかけていました。結果として思考に囚われ感情が高ぶっていたように思います。「思い浮かぶことはやり過ごす」と教わり、後半ではそのように努めました。その結果、前半よりも静かで穏やかな心持ちで過ごせたように思います。

学び

摂心は日常の喧騒から離れ、自分の内面と深く向き合う貴重な時間でした。この経験を通じて、物事の本質や価値について再認識する機会を得られたと感じています。限られた道具とシンプルな生活の中で、これまでにない心の豊かさを感じることができました。「これだけあれば十分」と心がつぶやく瞬間が多々あり、今後の生活に必要な道具が明確に定義できたように思います。

秋の摂心を終えて

とにかく摂心後の心境の変化には驚きました。摂心前の心を軟式テニスのボールに例えるなら、空気が抜けて弾まない状態。それが摂心後には、空気が満ち、どこまでも弾むような感覚に変わりました。この変化は、日常の忙しさや目の前の課題に追われ、見失っていた自分自身を取り戻すきっかけになったのだと思います。それまで、心に重くのしかかっていた「やらなければならないこと」が、不思議と自然に進んでいく感覚がありました。その結果、滞っていた私事のプロジェクト(海外移民申請、断捨離、ブログ立ち上げ)をわずか3週間で全て片付けることができました。

また、心豊かに暮らすための日常の見直しにつながりました。坐禅を日常に取り入れ、心静かに過ごしてみたいと考え始めました。心が赴く場所を京都と決めた瞬間、それまで曇っていた空が一気に晴れ渡り、新しい景色が目の前に広がるような感覚がありました。その中で、「古民家暮らし」という選択肢を教えていただいたのも大きな転機でした。京都への引っ越しと古民家移住への取り組みを始めています。

摂心を通じて、日本に伝わる伝統の奥深さを体験させていただきました。それは、坐禅の静けさや規律ある生活の中で感じられるものであり、単なる技術や形式の学びを超え、心を労り、鍛え、大切にするという生き方そのものを学ぶ機会に見えました。そして、自分では乗り越えられなかった不安を、静かに受け入れ、手放すことができる自分へと成長できた時間でした。この経験に感謝しながら、次の摂心への参加にむけて、心静かに準備を進めていけることを心から嬉しく思います。

次回:初冬の摂心体験(5日間)


いいなと思ったら応援しよう!